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第167話 呼ぶ声。

25.


 翌朝。

 イリアスはいつも通り、まだ日も顔を出さない早朝に目立たぬように小月宮から出ていく。

 イリアスの身支度は、いつもリオが一人で世話をした。

 国王としての略装を纏い腰に護身用の剣を帯びると、イリアスは夜着を片付けるリオを、腕の中に引き寄せた。


「寵姫、状況が落ち着いたら、住まいをこちらへ移そうと思う。誰が見ても、そなたが私の一の者だとわかるように」


 イリアスは、リオの黒い絹糸のような髪に、白い透けるようなうなじに唇を当てる。唇が触れるたびに小さな声を上げるリオを切なげな眼差しで見つめたが、やがて名残惜しそうに手を放した。


 宮殿の入り口まで送ろうとするリオを、イリアスは部屋の戸口で留める。


「また、今宵来る」

「はい」


 リオは虚ろな眼差しのまま微笑み、人形のように精緻せいちな動きで頷いた。

 イリアスが出ていくと、リオは力なく豪奢な椅子に腰かける。目の前の窓の外には、鉛のような灰色で重い雲が立ち込めた空が広がっている。

 端から見れば、等身大の美しい人形が置かれているようにしか見えないに違いない。

 リオはその姿勢で静止したまま、ただ流れていく時を虚ろな瞳に映していた。


 どれくらい経っただろうか。

 密やかなノックの音が、扉を鳴らした。

 リオがまったく反応せずにいると、再びノックの音が響いた。

 そこで初めてリオの人形のように端整な顔に、怪訝そうな表情が浮かぶ。

 侍女たちは、「寵姫」を意思のある人間ではなく、国王の命によって管理している貴重な宝と考えている。

 リオの反応によって、管理のための動きが変化することはない。

 普段であれば、ノックをしてしばらくすると、リオが反応しなくとも部屋に入ってくる。

 

 普段と違う。

 その疑問は、リオの中で不意に形のある天啓となった。

 リオは「寵姫」としては考えられないほどの勢いで立ち上がり、急いで扉の側へ駆け寄る。感情のない曇った青い瞳が、緑色の色彩に輝き出すのが自分でもわかる。


「レニさま……っ、レニ!」


 リオが叫びと共に扉を開けたため、扉の外の人物はひどく驚いたようだった。

 リオはその人物に目を向ける。

 服装からして新米の侍女のようだったが、見覚えのない顔だった。

 落胆、失望というには余りに暗い光を瞳に浮かべたリオに、侍女の身なりをした女は何か巻かれた紙のようなものを押し付けた。

 顔を近づけて、密やかな声で囁く。


「さるお方からです」

「さるお方……?」

「このことは誰にも言われませぬように。漏らされれば、寵姫さまご自身が困った立場になられます」


 読み終わりましたら、書状は必ず処分してください。

 女はそれだけ言うと、辺りを警戒するように見回し、そそくさと階段のほうへ向かった。

 リオはゆっくりと扉を閉めると、室内で受け取った紙を広げる。

 そこに書かれた内容を見た瞬間、わずかに形のいい眉をひそめたが、読み進めるにつれて、瞳が明るく輝きだす。


 読み終わるとリオは書状を丸め、火をつけて灰受けの中に入れた。

 燃えて灰となっていく書状を見つめるリオの瞳には、強い意思の光が浮かんでいた。



 その日の夕刻。

 リオは後宮の侍女の姿をして、薄暗くなりつつある部屋の中でジッと座っていた。

 何事かを待っているかのように、その姿は緊張している。

 もうすぐ、夕暮れの最後の光が消えようとする時刻、扉の外から密やかなノックの音が響く。

 リオはハッとして、扉のほうを振り返る。

 耳を澄ますと、書状に書かれた合図の音が聞こえてきた。

 リオは淡く色づいた唇を引き結ぶと、椅子の脇に置かれた荷物を手に取り、扉に歩み寄る。

 同時に扉が開き、細い影が中に滑り込んできた。早朝、書状を渡してきた女の姿を、リオはジッと見つめる。


「我があるじの願いを、お聞き届けいただけますか?」


 確認するような女の問いに、リオは瞳を緑色に輝かせ、ハッキリと頷く。

 女の顔に半ば安堵したような、半ば憐れむような表情が浮かんだ。だがそれも一瞬のことで、すぐに顔から表情を消し、扉のほうへ身をひるがえした。


「ではお急ぎを。侍女たちは後宮への手伝いのために出払わせましたが、何人かは残っております」


 侍女の姿をしたリオは、日除けのヴェールで顔を隠すようにして小月宮から外へ出る。

 宮殿の裏手にある小さな北門の前には、目立たぬように細工された貴婦人が遠出をするための馬車が用意されていた。

 リオは女に促されるままに馬車の中に入り、扉を閉める。

 女はリオが座る席とは仕切りによって分けられた前の座席に乗り、小窓から御者台にいる男に声をかけた。


「急いでね。なるべく早くエリュアに戻らないと」


 御者の男は無言で鞭を振るう。

 馬車がゆっくりと動き出した。


 

第八章を読んでいただきありがとうございます。

良かったら、評価、感想、ブクマをしていただけると大変励みになります。

 

次章、レニは母・エリカに会いに行き、リオとも再会します。

引き続き二人の旅にお付き合いいただけると嬉しいです。


★次回

第九章「母と娘の物語(オルムターナ編)」

第168話「母からの使者」

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