第165話 二人でいなきゃダメなんだ。
22.
その日の数刻後の昼前、領主のシャルケの館に、ソフィスが到着した。
ソフィスの陳情とアーゼンの助言の結果、シャルケは昨夜の騒ぎを花火玉の誤爆による事故として処理することを内々に決定した。
怪我人が飛散した破片で切り傷を負ったり、爆発音で腰を抜かした者だけだったことも幸いした。
「都市浄化法」は、いつの間にか話がなかったことになるだろうと、レニは数日後、アーゼンから聞いた。
下町には、また元のように酔っぱらいや浮浪者、子供たちがうろつく風景が戻ってきた。
23.
レニがアッシュイナの街を去ることにしたのは、その五日後だった。
出発の前日、ソフィスの塾でささやかな別れの会が開かれ、レニは塾の子供たちと別れを惜しんだ。
出発の当日は、塾の外まで子供たちが見送ってくれれ、ソフィスとルカが、街の外までレニに同行することになった。
三人は気ままに思い出話をしながら、のんびりと初夏の暖かな陽射しの中を歩く。
道の途中まで来た時、ルカが口を開いた。
「この前の夜さ、オッドが来たんだよ、俺のところに」
いかにも何でもなさそうな調子を装っていたが、レニは少年が精一杯気を使っていることに気付いた。
ルカはぶっきらぼうな口調で続ける。
「街を出る、って言っていた。新しく使ってくれる人が見つかったから、その人の下でやって行くって」
ルカは、チラリとレニのほうへ気遣わしげな視線を向けた。
「お前……オッドと、喧嘩したのか?」
「え?」
「オッドが言っていたんだ。レニに伝えてくれって。『謝らないけど、感謝している』って」
レニが顔を上げると、ルカは半ば心配そうに半ば拗ねたように言った。
「お前もオッドも、水くせえよな。何かあったなら、何で俺に相談しねえんだよ」
ルカは俯いて呟く。
「オッドは、どっか行っちまうし……お前も行っちまうし」
何かが喉に詰まったように声を途切らせたルカの肩に、ソフィスが優しく労るように手を置いた。
ルカは目に入ったゴミを取るような仕草で目元をこすると、心の内を誤魔化すような、殊更素っ気ない口調で言った。
「お前らはいいよな。そこら中、好き勝手ほっつき歩いて、たまに顔出して、またフイッていなくなって。こちとら、ずーっとこの街でお前らがいつ帰って来るか、待っているつうのに」
「ルカ……」
「俺はさ、お前の気持ちが全然わかんねーよ」
隣りを歩くレニの顔を、ルカは苛立ったように睨んだ。それから、何かを隠すように横を向いて呟く。
「何で、リオさんを迎えに行かねえんだよ」
急に話が変わって、レニは驚いたように目を見張る。ルカの隣りでは、ソフィスが二人の様子を見守るように茶色の瞳を細めた。
レニは、ルカに、というよりは、もっと遠くの何かに応えるように呟いた。
「リオを……迎えにいく? 私が?」
「お前、馬鹿か? そうすんのがあったりめえだろ。わかんねえのかよ?」
ルカは気持ちが抑えられないかのように、声を荒げた。
「しかし」
ソフィスがおかしそうに言葉を挟んだ。
「リオは他の人と結婚してしまったようだが」
「そんな、会ったこともねー奴のことなんか知らねえよ」
ルカは、そんなことは問題にもならない、と言いたげな愛想のない口調で言葉を返す。
「俺は、リオさんがレニと別れて、俺が会ったことも見たこともねえ奴と結婚するなんて信じらんねえ。リオさんが俺の目の前で、『好きな人が出来たから結婚しました』って言うまではな。先生だってそうだろ?」
ソフィスは、ルカの真剣な顔つきを慈しむように目を細める。それからゆっくりと頷いた。
「そうだな」
「ほら、みろ」
ルカは勝ち誇った顔で、まだ何となくぼんやりとした顔つきをしているレニのほうを向く。
「俺とか先生は、この街でお前やオッドが帰って来るのを待っている。俺はこの街でやっていくって思っているし、先生もそうだろ?」
ソフィスは笑いながら頷く。
「私は、塾も作ってもらったからな。この街で君たちとやっていくつもりだ」
ソフィスの答えに満足そうに頷くと、ルカは再びレニのほうを向く。
「でも、リオさんは違う」
「そ、そう……なの?」
「そうだよ」
あやふやな顔つきのレニに対して、ルカは力強く断言する。
自分にとって、文字で書かれたように明らかなことが何故レニにわからないのか。
疑問を通り越して、苛立ったようにルカは勢いよく言った。
「リオさんの居場所は、お前の隣りだよ。リオさんは待つんじゃなくて、お前と一緒に旅をするんだろ。お前とリオさんは、二人でいなきゃ駄目なんだよ」
「ルカ……」
「リオさんは、待っているよ。お前が来るのを」
ルカは、自分の感情を持てあますように淡い金髪をガリガリと掻いた。
ソフィスはルカの感情を包むように、優しくその小さな肩に手をのせる。
レニはふと顔を上げた。
この街の北に、王都はあるはずだ。
ジッとそちらの方角を見つめるレニに、ソフィスは言った。
「レニ、いつか来てくれ。私たちは、いつもこの街で君やオッドが帰って来るのを待っている」
レニのハシバミ色の瞳を見つめて、ソフィスは微笑んだ。
「今度は、リオも一緒にな」
レニは王都の方角を見つめたまま、やがて空気に溶けそうな淡い声で「うん」と呟いた。
★次回
第166話「本当はとても臆病だから。」