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第155話 意外な人物

14.


 夜の闇にすっぽりと包まれた庭の中を、レニは身をかがめて走り続ける。

 幸いなことに、この夜は月明かりが雲に遮られている。爆発によってほとんどの灯りが消し飛んでいるため、視界が暗い。

 そうとう近寄らなければ、相手が誰であるかは見分けがつかない。


 衛兵たちは前庭の先にある表門を塞ぐために、いっせいに移動している。

 残った者たちは灯りを片手に、庭を探索しているようだ。

 いま、門に近づくのは自殺行為だ。

 むしろ追っ手の目が庭に向いているうちに、本館に逃げたほうがいい。


 レニはそう判断し、衛兵たちの死角をつくようにして素早い動きで本館へ移動する。

 本館に移動すればあるいは、使用人たちの中に紛れ込めるかもしれない。


「お、おい、そこの子ども、止まれ!」


 しかし茂みから出るとすぐに、衛兵に見咎められた。

 制止する声には従わず、レニは身をかがめて衛兵の足元に潜り込み、足払いをくらわせる。

 衛兵がもんどりうって倒れている間に、大きく開かれたテラスの扉から本館の広間に駆け込んだ。

 身を寄せ合うように固まっていた貴族の男女たちの間から、いっせいに驚きと恐怖の声が上がる。

 レニは人々の間を縫うようにして駆け抜ける。


「いたぞ!」

「こっちだ!」


 衛兵たちが追いかけてくるが、広間には多くの人間がいるため、なかなか思うように動くことが出来ない。

 集まっている人間は貴族ばかりなので、邪険にかきわけるわけにもいかない。

 レニは広場の混乱を大きくするために、走りながら椅子を倒したり、テーブルクロスをひいて卓の上のものを派手にぶちまけたりする。

 そのたびに、集まった人々の間から悲鳴が上がり、右往左往する。


「爆弾がある! ここも爆発するぞ!」


 レニがありったけの声で叫ぶと、混乱は極限まで高まった。

 人々は金切り声を上げ、いっせいに広間の出口や庭に殺到する。


「落ち着いて! 落ち着いて下さい!」

「大丈夫ですから! どうか、そのまま」


 衛兵隊長や使用人頭が必死に客人を宥めるが、一度混乱に陥った人々は、雪崩のように動いてその声を押しつぶした。

 レニは周りにいる人間に「こちらです」と声をかけ、一緒に広間の外に出る。

 このまま中庭のほうへ誘導するフリをすれば、外に出られるのではないか。

 そういう目論見だったが、すぐに本館にいる衛兵に見とがめられる。


「おい、そこの子ども。お前、どこの者だ」


 爆風で吹き飛ばされた衝撃で、身体も顔も埃まみれで、衣服は乱れて汚れている。極度の恐怖と混乱に陥っている客人たちならともかく、衛兵がその特異な姿を見逃すはずがない。


「怪しい奴め。こっちに来い」


 ちらりと背後に目をやると、後ろからは既に多くの人間がやって来ている。

 レニはとっさに衛兵のほうへ向かって駆け出した。

 まさか自分のほうへ向かってくるとは思わなかった兵は、身体を強張らせ身構える。

 レニはその側を脇目もふらずすり抜け、奥に駆け抜けた。


「おおい! 待て! 止まれ!」


 背後からの叫びを聞きながら、レニは走り続ける。

 しかし、遠く廊下の先から別の兵士が駆けてくるのが見え、ハッとして足を止めた。

 レニは辺りを見回した。

 後ろからは先ほどの衛兵、前からは別の兵士たち。

 両側は窓のない壁になっており、他に通路のないまっすぐな一本道だ。

 すぐそばにある、客室とおぼしき豪華な扉以外、どこにも逃げ道はない。

 レニは、とっさに客室の扉のノブに手をかける。力を入れるとノブは簡単に回った。鍵はかかっていない。

 しかし中に人がいれば、衛兵たちに突き出されておしまいだ。


 背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じる。

 捕まったら、一体どうなるのか。

 自分の身元が明らかになったら、政治問題になりかねない。

 どうあっても捕まるわけにはいかない。

 だがこうして考えている間にも、追っ手は確実に迫ってくる。

 決断がつかずただジッと目の前のノブを見つめるレニの前で、不意に扉が開いた。

 レニは呆気に取られて、開かれた扉を凝視する。


「どうぞこちらへ」


 部屋の中から声が聞こえ、レニは腕を引かれるようにして室内に導かれた。

 レニの小柄な身体が室内に転がりこむと同時に、声の主はパタンとドアを閉める。

 いくらも経たないうちに、廊下の足音が大きくなり、すぐに静まり返った。

 一瞬の沈黙の後、丁重な、だが断固としたノックの音が室内に響く。

 部屋の主は、ノックの音に応え、扉を開いた。


「何事だ」


 特に威圧する響きのない、平素と変わらぬ穏やかな声だ。だがその声の中には、兵士たちの興奮や殺気を冷やす何かがあった。


 兵士たちはしばらく黙っていたが、中の一人が思い切ったように言う。


「お騒がせして申し訳ございません、閣下。ただいま、不審な者がこちらの棟に紛れ込みまして、捜索を行っている最中でございます。こちらのお部屋に、誰かが侵入した様子はございませんか?」

「不審な者?」


 部屋の主は、軽く眉をひそめたようだった。だがその声は、貴族のサロンで詩歌について論じているかのような穏やかなものだった。


「私は最前からこの部屋にいたが、そのような者は誰も入ってはこなかったようだ」

「し、しかし……っ! 確かにこの部屋に……」


 衛兵の一人が声を上げる。

 恐らくレニの後を追いかけてきた兵士だろう。

 だが、衛兵は不意に何かに声を奪われたかのように、言葉を飲み込んだ。

 ピンと張りつめた空気が流れる中、再び穏やかな男の声が響く。


「何かの間違いだろう。ここには私と、私付きの小間使い以外は誰もいない」

「はっ……」

「どうしても不審だと言うならば、領主殿にこの部屋を改めるよう申し上げればよい」


 男の声は穏やかなままだった。だが、その奥に何か冷たい得体のしれないものが宿るのが室内で聞いていたレニにもわかった。


「ただ調べて何もなかった場合は、私としては少し腹を据えかねるが」

「も、申し訳ございません」


 衛兵のリーダー格らしき男が、喉に絡むような声で言った。

 男の声から剣呑な響きが消え、一転して元の物静かなものに戻る。


「良い。それよりも、客人たちがだいぶ混乱しているようだ。戻って騒ぎの収束に努めるように」

「は、はい。お騒がせいたしました、閣下」


 衛兵たちが競うようにして去っていくのを確認すると、部屋の主は扉をゆっくりと閉めた。

 扉が閉まると騒ぎの声はだいぶ小さくなり、豪奢で広い部屋の中は外の世界とは隔絶された空間のように静まり返る。


 部屋の主は室内を振り返ると、身構えて自分の顔を睨みつけているレニのほうへ歩み寄り、恭しくその手を取った。


「ご無沙汰しております、妃殿下。変わらずお健やかな姿を見て、胸を撫でおろしております」


 わざとらしいまでに丁重な口上を述べる男の顔を、レニは不信のこもった眼差しで貫く。

 目の前の人物は、ここにいることが意外でもあり、同時にいることが当然のようにも感じられた。


「何であなたがここにいるの?」


 レニは油断なく相手の顔に視線を当てたまま、その名前を呼んだ。


「アーゼンさん」


 部屋の主……イライス・アーゼンは、穏やかな容貌に上品な笑みを浮かべてレニを見つめた。



★次回

第156話「御心のままに。」

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