第149話 他に方法がない。
「そうだ。シャルケの気持ちが下町の人間を少し締め付けたほうがいい、っていうほうに傾けさせるためにな。仮にシャルケの気持ちが動かなくても、周りの奴らが下町の人間を危険だと言う声が大きくなる」
オッドのボスのテインシィという男は、法を成立させることで、合法的に人を確保しようとしている。恐らくは北の鉱山や南の穀倉地帯、船の漕ぎ手など、過酷であるがゆえに人手がいくらでもいる場所に送り込むのだろう。
社会の最も下にいて貧しさに苦しんでいる人を、さらに利用しようとしているのだ。
ようやく見えてきた話の全体像に、レニは絶句した。
「オッド、そんなの……」
なぜ、そんなことの片棒を担ぐのが、と言いかけてレニは唇を噛んだ。
オッドのような立場の人間にとっては、そうしなければ自分や仲間が過酷な場所へ送られることになるのだ。
少なくとも、社会の上層に生まれたレニが咎めていいことではない。
オッドはレニの口ぶりから言いたいことを察したようだが、特に憤りを見せなかった。金褐色の瞳に浮かんでいるのは、普段と同じ、年に似合わない暗闇のように底が見えない諦念だけだった。
「今の俺には力がない。ルカやチビどもを守ってやることすら出来ない。この街をあいつらのいいようにさせないためには、上に行くしかない」
「ごめん……」
レニが下を向いて呟くと、オッドは怪訝そうに眉を寄せた。
だがそのことについては何も言わず、レニの様子を観察しながら言う。
「それより、あんた、本当にいいのか? 終わった後は、ブルグの奴が逃げる算段をつけてくれちゃあいるが」
オッドの言葉に、レニはハッとして顔を上げる。
「あのブルグっていう人……信用できるの?」
レニの言葉にオッドは、軽く肩をすくめた。
「信用するかしないか選べる立場にない」言葉よりもはっきりとオッドが考えていることが伝わってきて、レニは俯いた。
オッドは独り言のように付け加える。
「最悪捕まったとしても、俺だけなら、跳ね返りのチンピラが粋がって貴族に楯突いた、ということで済ませられる。法を成立させるかさせないかという話には影響しないだろう」
「だから……行くの?」
オッドは特に何でもないように答えた。
「他に方法がない」
命令をこなしながら、シャルケや貴族たちの考えに影響を与えるほどの衝撃を与えない。
そうすればボスのテインシィは、計画を変更するか諦めるかもしれない。
オッドは自分が取りうる数少ない選択肢の中で、目的を叶えるためにそういう針の穴のように細い可能性を追求している。
ソフィスの塾を守った時と同じように。
オッドが置かれている環境はレニに、兄から与えられた「祖父を倒せ」という使命に縛られていた過去の自分を思い出させた。
灯りのない狭い箱に閉じ込められ、その箱が少しずつ狭まり、いつか自分の存在を潰すのではないか、そんな漠然とした恐怖と息苦しさを感じ続ける日々だった。
その箱から出る方法はただ一つ。祖父を殺すという使命を果すことだけだった。
あの時の自分は、恐ろしいほど孤独だった。
レニは顔を上げる。
「オッド、手伝うよ」
口調の強さに気おされたように軽く目を見張ったオッドに、レニは言った。
「領主さまの館に忍び込むことも、その後のことも。きっと何か、下町の人たちを守れる方法があるよ。ソフィスやルカも入れて、みんなで考えよう」
真剣な目で見られて、オッドは返事に困ったように横を向いた。
★次回
第150話「心にいつもいる。」