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第147話 あんた、凄いな。

8.


 高い壁に挟まれ、ほとんど陽が射さない狭い路地裏を、オッドは慣れた足取りで進んでいく。

 薄暗いため辺りの様子はほとんど分からず、レニには自分はどこにいるのかはおろか、いまいる場所と先ほど通った場所が同じ場所なのかすらわからない。


 しばらく歩くと、赤茶けた高い石造りの建物の裏手に出た。二十歳前後の若い男が二人座り込んで、葉を巻いたものを吸っている。


「よう、オッドじゃねえか」 


 男の一人が、口から煙と一緒に言葉を吐き出した。


「女連れか。珍しいな」

「ブルグは?」


 男の言葉には応じず、オッドは短く問う。

 男は葉を持った手で、建物を示した。


「中にいるよ」


 オッドが歩き出そうとすると、もう一人の男が行く手を塞いだ。


「待てよ、色男」


 男は下卑た笑いで顔を緩ませて言った。


「ここを通るには、通行料をもらわねえとな」

「どけ」


 オッドが感情のこもらない低い声を吐き出したが、男は笑いを浮かべたままだった。

 もう一人の男が立ち上がった。


「お前もわりぃ奴だな。こんなガキから金をふんだくろうとしていのかよ」

「人聞きの悪いことを言うなよ。ちょいと世の中のことを教えてやるだけだ。勉強代としちゃあ安いほうだ。金で済むんだからな」

「ちげえねえ」


 ニヤニヤと笑う二人の男の前で、オッドは視線を逸らし、服の物入れに手を入れた。

 男たちがいかつい顔を弛緩させたその瞬間、オッドは拳を一人の顔に叩き込んだ。

 完全に油断しきっていた男は、防ぐ暇もなく顔に痛打を喰らい、ぐわっという奇妙な声を立てて顔を押さえた。


「て……めっ」


 オッドを捕まえようとした男の身体が、不意にその場に倒れる。男の後ろに回ったレニが、男に足払いを喰らわせ、体勢を崩した男を背後から肘で地面に押さえつけた。男の腕を後ろに持ってきて、体重を乗せていく。


「いてええっ! やめっ! やめろっ! やめ……てえっ!」


 男の悲鳴に構わず、レニは力を込める。さほど強い力は加えたようには見えないのに、男の肩から異常な音が鳴り、次いで男は絶叫した。

 男の顔が激痛で引き歪んだことを確認すると、レニは男の背中から腕を離し、立ち上がる。


「関節を外しただけだから、入れればすぐ治るよ」


 何でもないことのように言うレニを、オッドは金褐色の瞳を見開いて見つめる。オッドと対峙していた男は、無意識だろうが、顔を押さえたまま建物の入り口から身体をどかした。


「行こう」

「……ああ」


 レニに促されて、オッドは夢から醒めたような顔で頷く。

 二人の男は追って来る気配はなく、ただ肩を痛めた男の泣き声だけが徐々に遠ざかって行った。



 陽が余り入らない暗い建物の中を歩きながら、レニは隣りを歩くオッドの顔に、気遣わしげな視線を向けた。


「ごめん、やり過ぎたかも。後で、面倒なことになったりしない?」


 オッドは否定するように首を振り、それからちらりとレニの幼さの残る顔に目を向けた。そこには今までとは違った、畏敬とも言える念が宿っていた。


「あんた……凄いな」

「そ、そう?」


 レニは微妙な響きの声で呟く。

 オッドはレニの戸惑いには注意を払わず、視線を逸らして言った。


「俺たちの喧嘩なんて……子供の遊びみてえなものなんだな」

「そ、そんなこと……」

「ああいうの、どこに行けば身につくんだ?」

「え?」


 不意にオッドに強い真剣な眼差しを向けられて、レニは一瞬言葉を失った。だが、すぐに慌てて手を振る。


「あんなの習わないほうがいいよ。人を壊す技術だから」

「人を壊す技術……」


 独り言のように自分の言葉を繰り返すオッドを、レニは不安げに眺める。まるでその道の愛好家が、衝撃的な絵画や音楽に出会ったかのような、物に憑かれたような眼差しをしていた。


「人を壊す技術」 

 レニの師は、自分がレニに教える技をそう言った。

 この技は、正確には相手を攻撃するためのものでも、痛めつけるためのものでもない。自分の身を守るためのものですらない、最小限の労力で、人体の機能を失わせる「技術」なのだと。

 

 だから実戦と同じくらい、いやそれ以上に「自分がなぜその動きをするのか」「相手にどういう体位を取らせると、どういう動きが出来なくなるか」を知ることが重要であり、繰り返し反復させられ、頭と身体に叩き込まれた。

 成長して、何もわからない幼いころの自分が学び覚えさせられたことがどんなものであるかわかったときレニは戦慄した。

 それは人の身体がどのような構成で、どうすれば短時間で正確に破壊することが出来るかを追求した技なのだ。「人体を有機的な物体としか見ない」という非情な人間観から成り立っている。

 人間を相手にしているとは思えない、効率性だけを追及した哲学が、この技術の精度を極限まで高めている。

 イライス・アーゼンに言われるまでもなく、レニは自分の身にいつの間にか同化してしまったこの技を、誰にも教えるつもりはなかった。


 二人は小さな小部屋に入り、そこでブルグから迎えが来るのを待った。

 レニが何度かその話題を避けるうちに、オッドも次第に口を開かなくなった。だが、それでもその表情は変わらなかった。

 沈黙が降りたあとも、レニはオッドの顔にちらちらと目を向ける。静かに考え込んでいるオッドの顔は、何故かレニのことを不安にさせた。


「ねえ、オッド……」


 思い切ってレニが声をかけた瞬間、小部屋の扉が開いた。


「待たせたな、ブルグさんが来いとよ」


 片目が火傷の跡でつぶれた小柄な男が、そう言って顎をしゃくる。

 オッドはレニに促すような視線を向けると、立ち上がる。

 片目の男は、オッドに付いていくレニを、遠慮のない目付きでジロジロと観察した。


「何だあ? このチビのお嬢ちゃんは」

「放っておけよ、俺の連れだ」


 男はなおも納得しかねるようにレニのことを眺めていたが、何か言うより早く、ブルグの部屋の前に着いた。



★次回

第148話「ブルグとの約束」

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