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第144話 下町の少年

5.


 教室は、長机や椅子が倒され、子供たちは怯えたようにひとかたまりになっていた。

 入り口には二十歳ほどに見える、見るからに腕っぷしの強そうな大男と人相の悪い長身の男が立っている。

 その姿を見て、ルカは顔をひきつらせた。


「お前ら……」

「おおっ、ルカじゃねえか」


 二人のうち大柄で屈強な男が、歯をむき出しにして笑った。


「ちょうど良かったぜ。お前も来い。十歳以上の奴は全員、召集だ」


 ルカは黙っていたが、やがて大男の顔に視線を向けたまま、圧し殺した声を漏らした。


「グラン、言ったはずだ。俺たちは、そういう仕事は……もうやらねえって」

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「グラン」と呼ばれた大男は、へらへらと笑いながら、隣りにいる長身の男に声をかけた。


「おいトール、聞いたかよ。ルカは、もう俺たちとは仕事はしねえって」

「そんなわけねえよ」


「トール」と呼ばれた長身の男は、ペッと床に唾を吐いた。


「ルカが俺たちから抜ける、なんてなあ? まあ万が一だ、万が一、そんなことがあるなら、ちょいと体に聞いてみりゃあいい。つい間違ったことを口走っちまう、ってこたあ、誰にでもあるからな。もしくは、だ」


 長身のトールは室内を見回して笑った。


「このボロ小屋をつぶしちまえば、考えが変わるんじゃねえか」

「なっ……」


 男がそう言った瞬間、ルカの顔色が変わった。ルカは真っ青な顔で言う。


「それは……っ!」

「お前、冴えているな、トール」


 大男はわざとらしい感心した口調で言い、手近にあった木の椅子を持ち、壁に投げつけた。

 部屋の奥に固まっていた子供たちから、悲鳴と泣き声が上がる。


「こんなボロ小屋があるから、ガキどもが妙な勘違いを起こすんだ。やっちまうぞ」

「止めろ!」


 椅子や長机を投げたり蹴ったりし始めた二人に、ルカが飛びかかる。

 だが同年代の中でも小柄なルカは、すぐにはね飛ばされ床に転がった。


「ルカ!」


 床に打ち付けられて呻いているルカに、レニは慌てて駆け寄る。

 それから暴れている二人の男に、怒りに満ちた眼差しを向けた。


「ここはみんなが勉強する場所だよ。出て行ってよ!」


 二人の男は虚を突かれたように、一瞬、動きを止めた。

 だがすぐに、心底おかしそうにゲラゲラと笑い出す。


「何だあ? このチビのお嬢ちゃんは。俺たちに意見しようってのかあ?」

「みんなが勉強する場所だあ? だから、こうして壊しているんだよ!」


 大男のグランがそう言って、挑発するように椅子を壁に投げつけようとした瞬間。

 その体が、もんどり打って床に転がった。

 

「なっ……」


 何が起こったか分からず、呆気にとられて床に伸びている相棒を見る長身の男トールの脇腹に、レニの足先がのめり込む。

 人相が悪いトールの顔は内蔵を直接痛打されたような苦痛で歪み、次の瞬間、口からは「ぐえっ」という奇妙な声と共に唾液が吐き出された。


「ふ、ふざけやがって……」


 脇腹を押さえて怒りの表情を浮かべる男の顔を、レニは睨みつけた。


「出て行かないなら、叩きのめすよ」

「このクソチビ」


 トールが悪態をついてレニに近寄ろうとした瞬間、ふと何かに気付いたように、入り口を振り返った。


 入り口から、細身の人影が入ってくる。

 褐色に近い濃い金色の髪を持つ、十代半ばほどに見える少年だ。

 だがその表情は、何十年も生きた老爺のように静かで感情がなく、髪の毛と同じ色合いの瞳には、皮肉というには暗すぎる光が瞬いていた。

 入ってきた少年は、芸に失敗した犬を見るような、冷ややかな眼差しを二人の男に向ける。


「ずいぶん手こずっているみたいだな」

「オ、オッド」


 少年が現れた瞬間、長身のトールの顔からは先ほどまでの傲慢な雰囲気が消え、何かに怯えるような様子にとって代わる。

「オッド」と呼ばれた少年は、まだ白目を剥いて倒れている大男のグランを何の興味も浮かばない眼差しで眺めたあと、身構えているレニのほうに視線を向けた。


「余所者か」

「君がこの人たちに指図したの?」


 だったら、と言いかけたレニを、ルカが制した。


「ルカ」

「レニ、黙っていろ」

「でも……」


 ルカは独り言のように呟いた。


「お前には関係ない」


 驚くレニを尻目に、ルカは一歩足を踏み出し、新しく現れた少年……オッドの前に立つ。

 二人組の男が乱入した先ほどまでの空気とは異なる、奇妙な緊張感で場が張りつめた。


 ルカとオッドはしばらくジッとお互いを見ていた。やがて、意を決したようにルカが口を開く。


「オッド、召集があったのか?」


 オッドはルカからの質問に、何も答えなかった。ただ感情の浮かばない瞳で、ルカを見つめている。

 ルカはわずかに俯いたが、ややあって顔を上げた。


「召集には俺が行く。だから……他の奴は勘弁してくれ」


 オッドはしばらく黙っていたが、やがて視線を横に向ける。


「駄目だ。人手がいる」

「オッド……!」


 なおも言い募ろうとしたルカの小柄な体に、労るように手が置かれた。

 ルカは手の主の顔を見上げる。


「先生」


 不安そうなルカに頷きかけると、ソフィスはオッドに穏やかな眼差しを向けた。

 オッドの目つきが鋭くなる。


「じいさん、引っ込んでろ。あんたみたいなお偉い学者の先生には、関係ない。あんたには、俺たちが生きている世界のことはわからない」


 オッドの口調の底には、ソフィスではない何かに向けられた憎悪が揺れている。

 そのことに気付いたレニが二人の間に割って入るより早く、ソフィスが言った。


「そうだな。確かに私には、君たちが抱えているものはわからない」


 オッドの険を含んだ目元が、僅かに震えた。

 しかし、とソフィスは言葉を続ける。


「目の前で、自分の生徒が連れて行かれるのをただ見ているわけにはいかん」

「先生……」


 ルカを始め、子供たちはソフィスの姿を見つめて、小さな声を上げる。

 ソフィスは、特に気負う様子もなくオッドの前に立っているが、脅しや恫喝では決して動かないだろうと思わせる何かがあった。

 オッドはその姿を、ジッと眺める。


「オ、オッド、こんな死にかけたじいさん、俺がちょっと撫でてやりゃあ……」


 へつらうように言った長身のトールに、オッドは一瞥もくれなかった。

 ソフィスを見つめたまま、足を一歩踏み出すと、いきなりその腹に拳を見舞った。

 ソフィスは呻き声を上げ、その場にうずくまる。


「先生っ!」

「私に構わなくていいっ! ルカ、小さい子は奥に連れて行きなさい!」


 そう言うソフィスの身体を、オッドは足で蹴りつける。


「先生!」と悲鳴のような声で泣きわめき、ソフィスの側に駆け寄ろうとする子供たちを、レニが引き留める。


「大丈夫、大丈夫だから」


 レニは子供たちを宥めながら、無表情のままソフィスに暴行を加えるオッドの様子をジッと観察する。

 長身のトールと、ようやく目が覚め起き上がった大男のグランも、オッドの様子に気圧されてその場にただ突っ立っているだけだ。

 何をされても無抵抗なソフィスの身体を、起き上がらせて投げるように壁に叩きつけると、オッドは手下である二人の手下のほうを振り返った。


「引き上げるぞ」

「あっ、へっ、へい!」


 踵を返して、さっさと荒れ果てた室内から出て行くオッドの後を二人は慌てて追いかける。

 出て行く寸前、長身のトールが振り返って捨て台詞を吐く。


「これで分かったろう、俺たちに逆らうとどういう目に遭うか。わかったら、さっさとこんなボロ小屋を閉じるこったな」


 トールは入口の床に唾を吐き捨てると、外へ出て行った。



★次回

第145話「オッドとルカ」

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