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第143話 好きな男

「クレオは私が知っている中でも飛び抜けて優秀な男だったが……そうか、学長になったのか」


 レニのハシバミ色の瞳に、普段の生き生きとした明るい輝きが戻った。


「それでね、クレオさんがリオを試験してくれて、学府に入れることになったんだよ」

「リオさんが?! 学府に?!」


 ルカは仰天して叫ぶ。


「すげえ。リオさん、美人な上に頭もいいんだな」

「そうか、良かった。クレオならば、リオの素質をすぐに見抜くと思っていた」

「リオの素質? 頭がいいってこと?」


 首を傾げるレニに、ソフィスは微笑みかける。


「いいや、学問をするのに最も大切なことは、無為なことに耐えられる辛抱強さだ。学問は一見華やかに見えて、とても地味な世界だ。新しいこと、真実を見つけたと思って進んでも徒労に終わる。歩みはひどく鈍く、自分が積み重ねたものが一瞬で崩れ去る。自分がずっと考えていたことは間違っていた、一からやり直さなければならない、それを認める強さも必要だ。私はそれに耐えきれなかった」


 ソフィスは茶を勢い良く飲むルカに、視線を向ける。


「私は自分のやっていることの、意味の連なりを見ていたい。目の前で何かが少しずつでも着実に変わること、それが私にとっては一番の喜びなんだ」

「クレオさんは、リオは辛抱強くて学問に向いていると思って学府に入れてくれたの?」

「それはわからんが」


 ソフィスは夢から覚めたような顔になり、笑った。


「リオは、若いころのクレオによく似ている。私が出会った頃のクレオも、現実が虚構であることにいつも苛立って腹を立てていた」

「げん……じつが虚構……?」

「先生、リオさんはすげえ上品で大人っぽくて優しい人だぜ? 先生と同い年のじいさんに似ているって、そんなわけねえだろ」


 目を白黒させているレニの横で、ルカが文句を言う。

 ソフィスは穏やかな表情のまま言った。


「ルカ、君にもいつかわかる。人間の本質に、外見はほとんど関係がない。むしろ、人の本質をくらますために外見はある」

「何だよそれ、訳わかんねえ」


 ルカは興味がなさそうに軽く受け流すと、レニのほうに体を向ける。


「それより、レニ。リオさんは学府に入れることになったのに、故郷に帰って結婚しちまったのか?」

「うん……」


 頷くレニの表情は、再び暗くなる。

 ルカはレニの顔をのめつけながら言った。


「リオさんが元々好きだった奴と結婚して幸せだって言うなら、そりゃ俺もめでてえなって思うけどさ。何かおかしくねえ? お前、本当にリオさんが好きな男と結婚するって確認したのかよ?」

「好きな男?」


 ソフィスは呆気に取られた声で言い、俯いたレニの顔を見つめた。


「先生もおかしいと思うだろ? そんな奴が元々いるなら、何でレニに家から連れ出してくれなんて頼むんだよ。最初からそいつと家を出て、駆け落ちでも何でもすりゃあいいじゃねえか」


 ルカは自分の言葉の筋の通りように満足して頷き、その満足ゆえに一向に詳しいことがわからない歯痒さで苛立った表情になる。


「リオさん、無理矢理家に連れ戻されたんじゃねえの? レニ、お前、ちゃんとリオさんから話を聞いたのか?」

「その……リオに好きな人がいるのは間違いなくて、そのう、これからはその人がリオを守るからって」

「はあ? ほんとかよ? 口先だけの優男じゃねえの? 何が守るだ。言うだけなら詐欺師にだって出来るぜ」


 露骨な反感をにじませてルカは言う。


「どうせ、気障で嫌味なお貴族さまだろ。リオさんは、俺みたいな小汚ねえガキにもいつも丁寧で優しかった。リオさんのそういう魅力が、貴族の坊々(ぼんぼん)にわかるわけがねえよ」

「け、けっこういい人だよ、格好いいし」

「お前、どっちの味方だよ!」


 み、味方って……とルカから詰め寄られてタジタジになるレニに、ソフィスが言った。


「私は、リオにはレニが必要でレニにはリオが必要だと思うがの」


 下を向いたレニをジッと見たあと、ソフィスは言葉を続ける。


「リオの気持ちを、ちゃんと確認したほうがいいと思うが」


 レニはしばらくそのままの姿勢でいた後、わかるかわからないかくらい小さく首を振った。


「私のことに、リオを巻き込むわけにはいかないから」

「ふむ……」


 ソフィスは一瞬口を開きかけたが、考え直したように言葉を呑み込み、レニの気を引き立てるように言った。


「レニ、しばらくはこの街にいられるのか? 宿は決めたか?」

「レニ、また俺のうちに来いよ。母さんも人がいたほうが喜ぶから」


 ソフィスの問いに、ルカが横から口を挟んだ。

 ルカは体が弱い母親と二人暮らしをしている。この街に最初に来た時も、ルカの家に世話になったのだ。


「おばさん、元気? 調子どう?」

「まあまあ。今は、家のことは出来るぜ」


 特に気にしているわけではない、という様子を精一杯装っていたが、ルカの声は抑えきれない喜びで彩れている。

 起き上がり日常のことがこなせるようになっているなら、一年前よりだいぶ体調は良くなっているようだ。


 じゃあお世話になろうかな。

 レニがそう言いかけた時、子供たちがいる部屋のほうが、にわかに騒がしくなった。

 机や椅子が乱暴にぶつかる音、ひきつったような子供たちの小さな叫びを聞きつけて、レニとルカは同時に立ち上がる。


 次いで小さな子供の怯えた泣き声か聞こえてくると同時に、二人は教室へ駆け込んだ。


★次回

第144話「下町の少年」

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