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第138話 ただ自由になって。

25.


 その後の日々も、リオはただひたすらレニが迎えに来た、という知らせが来るのを待ち続けた。

 きっとレニの耳には、まだリオが旅に出ていいという許可をもらったことが届いておらず、どうやって小月宮から連れ出そうか考えているのだろう。

 何の憂いもなく旅に出れると分かれば、すぐに来てくれるはずだ。

 

 リオは毎日のように北門の木のある場所に通いつめた。

 自分宛の言付けはないか、侍女に頼んで一日に何度も皇女宮に使いをやった。

 イリアスから言い含められているのか、侍女は特に逆らうことはせず、黙って言いつけに従った。

 結果はいつも同じで、特に何も連絡はないとのことだった。


 レニが自分を置いていくはずがない。

 必ず迎えに来るはずだ。


 最初の頃は、巌のように揺らがなかった強固な確信は、日が経つにつれて、風雪にさらされた古い城壁のようにあちらこちらがひび割れ、冷たい隙間風が吹き込み、体の内部で虚ろな音を鳴らすようになった。


 昼間は北門や皇女宮の裏手の庭を当て所もなくさ迷い歩き、夜は寝台に腰掛けて、ぼんやりと窓の外を見ることが多くなった。

 豪華な調度に囲まれ、大の大人が五人は横になれそうな天蓋付きの贅沢な寝台に腰をかけて、リオは旅に出ていた時のことを思い出す。

 旅の空の下では、固くて狭くとも寝台に寝られれば恵まれていて、多くの場合はマントや毛布にくるまって固い床や時には外で眠った。

 レニと寄り添って温かさを分けあっていれば、どんな豪奢な寝台で眠るよりも安らぐことが出来て幸せだった。


 リオは、いくつも重ねられた柔らかい枕の中に顔を埋める。


(レニさま……)


 そう呟いた瞬間、小さな物音を聞いたような気がした。

 リオはハッとして顔を上げる。

 僅かに開かれた両開きの扉の向こうの露台で、何か気配を感じた。


 美しい彫り物が施された手すりを、小柄な人影が乗り越え、身軽な動作で露台の上に降り立った。

 キョロキョロと辺りを見回し、遠慮がちに中を覗き込むその姿を、リオは瞬きもせずにジッと見守る。

 少しでも身動きをするとその人が消えてしまいそうで、息をすることすら怖く、その場でジッとしていた。

「リオ」と躊躇いがちな小さな声が聞こえた瞬間、リオは何かに打たれたかのようにその場から跳ね上がり、勢いよく露台へつながる扉のほうへ駆け寄った。


「レニさま!」


 露台から入って来た人影は驚いたように、だが嬉しそうに、抱きついてきたリオの身体を受けとめる。

 そうして涙を浮かべて、しがみつくように体を抱き締めるリオの背中を、おずおずとした優しい手つきで撫でた。


「リオ、ごめんね。来るのが遅くなって」


 レニの言葉に、リオは無言で頭を何度も振る。

 涙が胸に詰まって、言葉が出てこなかった。ただその存在を手放さないために、レニの小柄な体をキツく抱き締める。

 レニはリオの想いに応えるように、その細い体に手を回した。

 リオはかすれた声で囁く。


「ずっと……待っていました」

「うん」

「レニさまが……迎えに来てくださるのを。ずっと」

「うん」

「ずっとです」


 会えたら、もう二度と離れない。

 そう思って。


 自分でも自分の声が聞こえなかったが、レニが小さく頷くのがわかった。

 自分の体を抱き締める手に力がこもるのを感じて、リオはようやく安堵して瞳を閉じる。

 二人は、お互いの存在を確かめるように抱き合った。


「大丈夫? 今から出られる?」


 しばらくそうしたあと、レニが顔を上げた。

 リオは乱暴に涙を拭いながら答える。


「はい。すぐに支度をいたします。少し、お時間をいただいてもよろしいですか?」


 常に準備してあった荷物を、寝台の横から取り出す。荷物を開けながら、リオは思い切って言った。


「レニさま、その……これからはレニさまがやんごとなき家柄の令嬢で、私はレニさまのお付きの従者、ということにしてはいかがでしょうか。ちゃんとそう見えるような服も用意しましたので」


 それから、なるべく何でもないことのように、早口で付け加えた。


「もしくは……その……夫婦、ということにしても良いかもしれません。男女で旅をするなら、それが一番自然で、人に説明するのも楽だと思いますので……」


 顔が赤らんでくるのを感じて、リオはそれを隠すように荷物の中を覗き込む。


「も、もちろん、レニさまが宜しければ、ですが」

「でも……」


 レニは、リオの華奢でほっそりとした体や傷ひとつない滑らかな肌を見ながらもじもじして言った。


「リオと私が並んでも、夫婦には見えないんじゃないかな? リオのほうが綺麗だし……」

「そんなことはございません」


 リオは荷物から旅装を取り出しながら、何とか頼りがいのある毅然とした口調になるよう努力しながら言う。


「この前、着替えて姿見で確認したら、ちゃんと……男に見えました。私が女と勘違いされやすいのは、格好の問題なのです。こういう姿をしているからそう見えるだけで、恰好と言葉使いを変えれば、私も男に見えます。まだ剣は使えませんが、レニさまから教えていただいて、自分の身もレニさまのことも守れるようになります」

「リオが私のことを守ってくれるの?」


 レニは頬を僅かに上気させて瞳を伏せた。


「……嬉しい」

「レニさま」


 リオはレニの手を取り、その顔を仰ぎ見る。


「これから先は、『俺』があなたをお守りいたします。あなたがこの先、決して一人にならないように」

「本当に? リオ」

「本当です、レニさま」


 リオ、ずっと一緒にいてくれる?

 もちろんです、レニさま。


 俺たちはこの先ずっと一緒です。

 あなたをエウレニア・ソル・グラーシアにするものからも、俺を「寵姫」にするものからも自由になって、二人でずっと生きていきましょう。

 ただのレニとリオとして。


 リオの言葉に、レニは嬉しそうに笑った。



26.


 ゆっくりと瞳を開くと、見慣れた天蓋の模様が目に入った。

 リオは広く柔らかな寝台の上に横になったまま、ぼんやりとその模様を眺めていた。

 首を横に動かすと、露台に続く透明な両扉が目に入った。そこは何事もなかったように、しっかりと閉ざされたままだった。


 リオは体を起こし、寝台から抜け出た。

 寝台の脇に置かれた旅のために用意した荷物は、長いことそのままにしているためかどこかくたびれ果てて見えた。

 露台につながる両開きの扉から、外の風景を眺める。空はどんよりとした灰色の雲に閉ざされ、世界全体の色が褪せてしまっているかのようだった。


 リオは感情が浮かばない瞳で、色のない世界をただ見つめ続けた。


★次回

母親に会いに行く途中に立ち寄った街で、レニは意外な人たちと再会する。


第八章「下町の子供たち(下町奮闘編)」

第139話「久しぶり。」

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