第137話 何がわかる。
「他の人間と共にいることが?」
自分が世の中で最も貴いと思う美しい青い瞳が、見たことのない暗い輝きをたたえてギラつく様を、イリアスは半ば驚き半ば魅せられたように見つめた。
リオの唇から、圧し殺された激情で震える声が洩れる。
「あなたは嘘をついている」
「寵姫……」
「あなたに……何がわかる」
リオは唇を噛みしめ、青い炎のような眼差しでイリアスの顔を貫いた。
「レニさまが……レニさまが、俺を置いていくはずがない!」
全身に刃で裂かれるような鋭い痛みが走るのを、イリアスは感じる。
だがそれは一瞬のことだった。
美しい青い瞳は、すぐにここではない遠くへ向けられる。
リオは身をひるがえすと、部屋の外へ飛び出した。
「寵姫さま!」
部屋の外に控えていた侍女や衛兵が慌てて後を追おうとするのを、イリアスは止めた。
「良い。行かせてやれ」
驚いた表情を浮かべる衛兵に、イリアスは命じる。
「私が一緒に行く。何人か供をせよ」
衛兵が慌ただしく支度を始める中、イリアスは長い階段を駆け下りていくリオの姿を、ジッと見つめていた。
24.
自分がどこに向かっているのか。
最初はわからなかった。
小月宮の庭園を抜けて、宮廷の門の中では最も小さく、やんごとなき身分の者がお忍びの時に使う北門へと、足が自然と向いていた。
北門のすぐ近くで、皇女宮のちょうど裏手に当たる場所に大きな木がある。春になると白い小さな花を咲かせる。
そこは、リオの心に生涯忘れられない記憶が刻み込まれた場所だった。
一年前、旅に出ることを決めたレニは、その場所でリオを待っていた。
木の下に立っていたレニは、どこか心細そうに見えた。
リオはきっと来ないだろう。
そう思っていたのか、俯いた横顔はひどく寂しげだった。
リオが宮廷で見るレニは、皇女、皇帝、王妃という身分にいることが信じられないくらい、どこにでもいる普通の少女に見えた。
貴い身の上なのにいつも独りで、宮廷という場所にいるとひどく居心地が悪そうだった。
もし、自分が自由な身の上だったら。
ちゃんとした身分を持っていたら、せめてレニに仕える人間だったら。
そばにいることが出来るのに。
自分に会うたびにレニの顔に浮かぶ、心の底から幸福そうな笑顔を見るたびに、リオはそう思っていた。
小さな体に重い使命を背負わされた姿に感じる痛々しさや、自分に一途に寄せてくる憧憬へのいじらしさが、いつしか愛しさに変わった。
待ち合わせの木の下に向かい、自分を待つレニの姿を目にする瞬間まで、そう思っていた。
だが、レニのハシバミ色の瞳が驚愕で見開かれ、涙が浮かんでいるのを見た時に、気付いた。
側にいたいと思ったのは、レニの境遇に同情したからではない。
レニと同じくらい、いやそれ以上に自分が孤独だったからだ。
二度と独りにならないために、自分自身でレニと共にいることを選んだのだ。
レニが「一緒に行こう」と言って差し出した手を握り返した時、永久に溶けることはないと思っていた、自分を閉じ込めていた冷たい氷が、温かい陽射しを浴びて溶け出すの感じた。
(リオ、って呼んでいい?)
レニに「リオ」と名付けられた瞬間、自分はあの暗い氷の牢獄から、この世界に生まれ落ちたのだ。
「寵姫……」
日が暮れてもその場に立ち尽くして、遥か遠くを見つめているリオに、イリアスが歩み寄って声をかける。
もう諦めてはどうだ。
そう言いかけて、イリアスは普段の彼らしくもなく、言葉を呑み込む。
少し考えたあと、言葉を選びながら言った。
「一度、戻ったほうが良い。レニどのが、ここに迎え来るとは限らないだろう」
イリアスは、リオの冷えきった細い肩を慣れた様子で抱き寄せる。
リオは一瞬抗うような素振りを見せたが、やがて魂のない人形のように、導かれるまま大人しく歩き出した。
★次回
第138話「ただ自由になって。」