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第136話 私の幸せ

「まさか」という思いと「やはり」という、相反する思いが同時に胸の中に去来して、イリアスはしばらく言葉を失った。

 脳裏に、別れ際のレニの言葉がよみがえる。


(陛下、寵姫さまのことを大切にしてあげて下さい)

(お願いです、陛下。他の女の人にモテても、新しいお妃さまが来ても、寵姫さまのことを愛して……ずっと大切にして下さい)


 リオが刺客に囚われた時。

 イリアスは、刺客と対峙するレニの様子を見ていた。

 黒幕がレニであれば、オルムターナが放った刺客と何か密議を交わすのではないか。

 そう考えていたイリアスの前で、レニは叫んだ。


(お願い! リオを連れて行かないで!)


「そう……だったのか」

 

 イリアスは、自分が見てきたレニとリオの様子を思い浮かべる。

 何故、気付かなかったのだろう……そう考えてから、イリアスは自嘲の笑みを浮かべた。

 いや、恐らく自分は気づかないようにしていたのだろう。

 そんなことがありうるはずがない。

 疑問が意識に上る以前に、可能性を自分自身の中で消していた。


「お前の心が私のもとにない、としても、その居場所は他の、男のもとだろうと、何故かそう思っていた」


 イリアスは、リオを腕の中から離した。

 少し離れた場所から、しげしげとその細い姿を眺める。


 イリアスにとって、リオの性別は特に意識したことがないものだった。「男」の肉体を持つことはリオの一部に過ぎず、彼を愛するときに付属するだけのものだった。

 リオが女性の肉体を持っていたしても、同じように出会った瞬間にその存在に心を囚われ、深く愛するようになっただろう。

 だがいま、「自分はレニから『リオ』という名前を与えられた者だ」という誇りに満ちた表情を浮かべている少年は、彼が愛した寵姫とはまったく別人に見えた。


「陛下、私はレニさまの下へ参ります。きっと、私のことを待っていらっしゃると思うのです」


 抑えきれない思慕で輝くリオの顔から、イリアスは視線を逸らした。

 リオは何の疑いもなく、レニが自分のことを待っていると信じているようだった。その確信が余りに曇りなく美しく、リオが自分の下を去っていく、という衝撃を差し引いても、その輝きを消し去ることにためらいを覚えた。

 レニと話したことを言うべきなのか、黙っているべきなのか。

 答えを出せないまま、イリアスは曖昧な口調で言った。


「寵姫、レニどのは、本当にお前のことを待っているのだろうか?」


 イリアスの言葉に、リオは僅かに怪訝そうに形の良い眉を持ち上げた。だがすぐに、明るい微笑みを浮かべる。


「はい。旅の途中で約束したのです。世界のどこまでもお供すると」


 リオはレニと約束した時のことを思い出し、瞳に優しい光を浮かべる。

 その細く優美な体は、籠から解き放たれた鳥のように今にもこの場から飛び立ちそうに見えた。


「しかし……」


 イリアスは、別れ際のレニの様子を思い出しながら言った。


「レニどのは、お前ほどはその約束を重く受けとめてはいなかったのかもしれない。一緒に旅をするのは難しいと……そう思ったのではないか?」

「そのようなことはございません」


 リオは強い口調で言った。表情から笑みが消え、声に僅かに陰りが帯びた。


「確かに、私は宮廷のこと以外、何も知りません。身体も丈夫ではありません。それは今後、どうにかします。レニさまの足手まといになるようなことは、この先は決して……」


 リオは、不意に何かに気付いたかのように顔を上げた。

 気まずそうに逸らされたイリアスの端整な顔を、強い眼差しで凝視する。


「陛下、何故そのようなことを話されるのですか?」


 リオの淡い色合いの唇から、言葉が零れ落ちた。


「レニさまは……どちらに」


 レニの姿を求めるように視線をさ迷わせるリオの体に、イリアスは手を添えた。

 しばらく悩んだ後、思い切ったように口を開く。


「寵姫、レニどのは……いない」

「いない?」


 リオは呟いて、微かに首をかしげた。

 イリアスは、労るようにリオの細く華奢な肩に手をのせる。


「レニどのは、宮廷から出て行った。私にお前のことを頼む、と言って」


 イリアスの懸念に反して、リオはいささかも動じることなかった。

 ここにはいない誰かに話しかけるように、優しい笑みを浮かべる。


「きっと、私が陛下にお許しをいただけるのを待っていらっしゃるのです。レニさまは、いつも周りのかたのことや、私の立場を一番に考えて下さいますから」


 イリアスは思い切って言った。


「既に旅立たれたのだ」


 五日ほど前に……とイリアスが言うのを待たずに、リオが口を開いた。


「どこかで待っていらっしゃいます。私が陛下のお許しを得たことがわかれば、すぐに迎えに来て下さるはずです」

「寵姫」


 たまりかねて、イリアスはリオの言葉を遮る。


「レニどのは、旅をしていた時はずっと一人だった、誰も一緒にはいなかったと、そう言っていた」


 己の中の残酷さを自覚しながら、イリアスは付け加える。


「お前に何か伝えることがあれば伝える、と言ったが、何もない、と」


 リオの顔からは輝きが薄れ、すべての表情が徐々に消えていった。初めて見るその姿に衝撃を受けながらも、イリアスはそれを認めたくないがゆえに取り繕うように言う。


「レニどのは、お前を旅に連れて行くのは難しいと判断したのだ。ここに残り、私の庇護の下にいるのが、お前にとっての幸せだと」

「私の……幸せ?」


 不意にリオが笑いで唇を歪めた。

 イリアスは、思わず口をつぐんだ。

 リオははっきりとした嘲りのこもった笑いを、かつての愛人に向けた。


★次回

第137話「何がわかる。」

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