第126話 後始末
17.
その後、レニは謹慎という名目で、皇女宮に引きこもって暮らした。一日の大半を、何をするでもなく庭を見つめながらぼんやりと過ごす。
青月宮では何事か動きあるのだろうが、皇女宮から出ることはないレニの耳には何ひとつ話は届いてこなかった。レニも進んで、いま水面下で動いている動きを知ろうとはしなかった。
イリアスから差し向けられた侍女たちは、丁重に優しく接してくれたが、レニと個人的な関わりは持とうとはしなかった。
イリアスとの婚姻は実質的なことも心情的なことも伴わない形ばかりのものだったため、帝位についていた時も、レニは皇女宮に一人で暮らしていた。
十三歳の時に兄アイレリオが死んでから、レニ個人のことを心の底から気にかけてくれる人は誰もおらず、ずっと独りだった。
こうして、皇女宮で過ごしていると、その頃に戻ったような気がする。
レニは目の前に広がる、初夏の陽光に照らされた美しい庭園を見ながら考える。
宮廷を出て旅に出た、というのは、孤独な境遇と寂しさが生み出した白昼夢だったのではないだろうか。
本当の自分はずっとこの皇女宮にいて、叶わない夢を見ていたのではないだろうか。
ずっと恋い焦がれていた、夫の寵姫と一緒に旅をするという夢を……。
(私の夢は……ずっと、それだけでした)
(あなたさまのお側にいつまでもいたい)
(レニさまとずっと一緒にいたい)
(それだけです)
温かい「リオ」との記憶を打ち消すように、イリアスの声が脳裏の甦る。
(寵姫の望みは、ただこの小月宮で私に寄り添って過ごすことだけだ)
(寵姫は、それ以上のことは何ひとつ望んではいない)
(これがあなたに対して抱いているのは、敬愛の念だけだ)
イリアスがリオをさらった刺客を切り伏せる姿、倒れそうなリオを抱く姿、長年連れ添った愛人同士にしか見えない二人の様子などが、次々とレニの頭の中に浮かび上がる。
どれほど頭から追い出そうとしても、その映像は消えてはくれなかった。
来る日も来る日も物思いに耽るレニの下に、イリアスが訪れた。
18.
形式通りの挨拶が済み、侍女たちを下がらせた後もイリアスはしばらく黙っていた。
俯いているレニの顔に視線を向けたあと、半ば独り言のように言った。
「来るのが遅くなって済まなかった」
レニは微かに首を振る。赤い髪がふわりと空気に舞い、ゆっくりと戻る。
イリアスはレニの反応を確認すると、言葉を続けた。社交の場で雑談をするかのような、何の底意もない淡々とした口調だった。
「あの後、オルムターナの代官であるエンクルマを捕らえて拘束した。しばらくは知らぬ存ぜぬで押し通そうとしたが、最後にはオルムターナ公が目論んだことだと認めた。ドラグレイヤとレグナドルトの対立を決定的にすることが目的だったらしい。その過程で私が死に、あなたを王位につけられればさらに良かったと」
イリアスは僅かに瞳に鋭さを込めて、レニの顔を観察する。レニの様子が何ひとつ変わらないことを確認したあと、再び口を開いた。
「王殺しは反逆罪だ。本来ならば罪を露にし、公家を取り潰すのが筋だろう。だがオルムターナが罪に服さず反旗を翻しても、罪に服してドラグレイヤとレグナドルトの力が今以上に増しても、王権は危うくなる。今の私には、オルムターナを公に処罰する力はない」
イリアスの瞳に、静かな諦念が浮かんだ。
「罪を不問にする代わりに、オルムターナには条件を出した。オルムターナ公は公位を譲り、王国から派遣する管理官と行政官を受け入れろ、と」
「王国から派遣する管理官と行政官を受け入れる」ということは、王国の直轄領にするということだ。形式は残っても、実質、消滅することになる。
レニは口を開いた。
「オルムターナ公の地位は、伯父の子供に継がせるのですか?」
お飾り、傀儡としてのみの地位に、成人しているオルムターナ公の公子をつければ何かと厄介だ。あるいは公子は罪に連座させて、幼い孫に継がせるつもりかもしれない。
「いや……」
イリアスは、ジッとレニの顔を見つめたまま言った。
「レニどの、あなたに継いでもらう」
ハッとして顔を上げたレニの顔から、イリアスは視線を逸らした。淡々とした口調で付け加える。
「正確には、私とあなたの子供に継がせるつもりだ」
今後、オルムターナは事実上、王家の傍流として存続していくことになる。オルムターナを継ぐはずの、未だ存在しないレニとイリアスの子供の妃は、レグナドルトから出す。
それがオルムターナの処遇を巡って、レグナドルトとドラグレイヤ、もうひとつの公国であるメリサリシュ、三国の妥結点だった。
★次回
第127話「そのために生まれた。」