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第125話 黒幕

16.


 ヴァレンとの会談を終えた数日後。

 レニは青月宮の地下にある、薄暗い牢獄を訪れた。

 身分の高い罪人や政治犯などを、尋問のために一時的に収監する牢だ。

 一般的な牢よりも遥かに厳重で堅固な作りをしている。


 石を組み上げて作られた、光が射さない薄暗い通路を、案内の兵が持つ灯りひとつを頼りに歩く。

 通路の両脇には、鉄で裏打ちされたぶ厚い木の扉が間隔を開けて並んでおり、その奥からは苦痛に満ちた呻き声や正気を保っているとは思えない叫び声が聞こえてきて、通路に幾重にも反響する。

 まるで、亡者たちが責め苦を受ける死者の世界に下っていっているようだ。気の弱い者ならば、とっくに逃げ出しているだろう。

 レニは周りから聞こえてくる音を遮断するかのようにフードを目深に被り直し、薄暗い通路をひたすら歩き続ける。


 通路の奥にはさらに扉があり、その前には見張りの兵が二人立っている。

 案内の兵とレニの姿を見ると、見張りはハッとしたように姿勢を伸ばし敬礼した。

 案内の兵が何事かを囁きかけると、急いで扉を開け、しゃちこばった動きで頭を下げる。

 扉の奥は、さらに濃密な闇に包まれていた。石造りの牢獄には、体臭の入り混じったムッとするような空気が充満している。

 案内の兵は、一番奥の扉の前で足を止めた。懐から鍵を出し、扉にかかっている錠前を外す。

 扉を開けて脇に避けると、レニは一人で独房の中へ入った。


 密閉された牢の中は、通路以上に臭気がひどかった。換気のための空気穴がどこかにあるはずだが、部屋の中の空気を入れ替えるまでは及ばないようだった。


 部屋の片隅に置いてある石造りの粗末なベッドの上に、何か黒い物体が蠢いている。その物体は、低い地鳴りのような音を絶え間なく発していた。

 独房に澱む闇に目が慣れてくると、それが全身を痛めつけられた苦痛にあえぐ人間であることが見て取れるようになる。

 殺すな、と指示されているのだろう。ありとあらゆる場所を傷つけられ、ボロ雑巾のようになりながらも、手当はきちんとされている。

 傷つけられては修復される。そのことが、黒い物体をいっそうおぞましいものにしていた。


 程なくして、その物体から発せられる唸り声が止んだ。探るような用心深い沈黙が下りたあと、にわかにその物体は起き上がり、不自由な仕草でレニの足元にひざまずこうとした。


 レニは自分のほうに差し伸べられた、震える手にそっと触れ、そんなことはしなくてもいいと言いたげに押し戻した。手の爪は全てはがされ、指は赤くただれ火傷で膨れ上がっていた。

 レニは一瞬、苦しげな表情で瞳を伏せたが、またすぐに顔を上げる。


「私が、誰だかわかる?」


 囁くように言うと、ほとんど倒れ伏すように地面に這いつくばった囚人は、何度か頷いた。肯定の徴に、喉から「ああああ」と地鳴りのような声を出す。

 レニのほうを向いたのか、薄闇の中で獣のそれのような二つの瞳が見えた。

 囚人は震える指を、舌のない口の中に差し込む。元々は奥歯があった場所に隠していた小さな筒を引き抜き、そこから丸められた紙を出した。

 何も書いていない紙の上に自らの掌をかざすと、そこから闇を照らすように青白い光が放射される。

 レニが手に取っても、紙は光を発するだけで何も書かれていない。

 問いかけるような眼差しを向けられると、囚人は手振りで紙の上に手をかざすように伝える。

 少し考えこんでから、レニは掌に意識を集中させる。黒魔術ブラック・マジックによってわずかに発光した掌を、青白い光を放つ紙の上にかざすと文字が浮かび上がってきた。


「二重に封印されているんだ」


 レニは独り言のように呟き、文面に目を通した。

 

 代官のエンクルマが万事心得ている。何事も従うように。


 ごく短い文面に目を走らせたあと、レニは表情を変えないまま、しばらくジッとしていた。

 訴えかけるように自分のほうを仰ぎ見る刺客の生き残りに、レニは静かな声で問いかける。


「あなたに……陛下を襲うように指示をしたのは、この手紙を書いた人?」


 惑うように辺りに視線を彷徨わせる刺客に、レニは言った。


「大丈夫。誰も聞いていないから。あなたはこの人の指示を私に伝えるために、宮廷に忍びこんだのでしょう?」


 刺客はレニの顔を見て、何度か首を頷かせた。何かを訴えるように、喉の奥から「あああああ」と掠れた声を絞り出す。

 レニは膝まづき、労わるようにその肩を小さな掌で撫でた。


「あなたの任務は分かっている。私はこの指示を待っていたから。近いうちに陛下はお亡くなりになられ、私が王位を継ぐことになる。そういうことが起こり得るから、その時の心づもりをしておけって言われていたんだ。今が、その時なんだよね? そう言っていたんでしょう?」


 レニは一瞬、逡巡するように口をつぐむ。

 しかしすぐに、ハシバミ色の瞳に強い決意を込めて言った。


「私の伯父……オルムターナ公が」


 レニの言葉に、刺客は二つの瞳を大きく見開いた。

 そうして、青白い光に照らされながら、首をひとつ大きく頷かせた。

 レニは、小刻みに震えるその肩を優しく撫でると、独房の中で立ち上がった。

 それを待っていたかのように、案内の兵が独房の中に入ってくる。

 レニはそちらのほうを見ずに、ただ黙って手に持った紙を兵士に渡した。紙からは急速に光が失われ、牢内は再び黒い闇に包まれつつあった。


「陛下の暗殺を目論んだのは……オルムターナです」


 うなだれたままレニが呟いた瞬間、足元に跪いていた刺客が喉の奥から絞り出すような声を放った。

 刺客に足にすがりつかれがくがくと揺さぶられながら、レニはされるがまま、その場に立ち尽くしていた。


 レニから密書を受け取った案内の兵は、「そうか」と口の中で呟く。

 僅かに痛ましげな視線をレニのほうへ向けた兵士の顔は、イリアスのものだった。

 レニは視線を動かさないまま、虚ろな声で言葉を続ける。


「オルムターナは陛下のお命を縮めて、血縁である私を王位につけようとしました。どうぞ、厳正な裁きをお願いいたします。私も謹慎して、陛下のお沙汰を待ちます」

「……わかった」


 レニの元の住まいである、皇女宮の一室を用意させよう。

 イリアスの言葉を、レニは何も反応せず、黙って聞いていた。



★次回

第126話「後始末」

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