第122話 まるで絵のような。
15.
「さて」
ヴァレンが退出の挨拶をし部屋から出ていくと、イリアスは隣りに腰掛けていたレニのほうへ体を向ける。
「レニどの、と、これからも呼ばせてもらって構わないだろうか?」
レニは、困惑したように辺りに視線をさ迷わせた。イリアスの口辺にうっすらと漂う笑みを見て、つられたように頷く。
レニが頷くと、イリアスは遊びの約束を了承してもらえた子供のように嬉しそうに笑った。その表情は、気品に満ちているがゆえにどこか近寄りがたい雰囲気があるこの若い国王が、本来は人懐こい性格なのかもしれない、と見る人間に思わせた。
自分の表情がひどく開け広げになってしまったことに気付いたのか、イリアスは照れたように目を伏せる。
「不思議だな。こうして『フレイ』として話したほうが、あなたと親しく話せる気がする」
素直な口調でそう言われて、レニは半ばおかしそうな半ば寂しげな笑みをこぼした。
「陛下はずっと、難しい立場に置かれておられたのですから。私のことを疎まれるのも当然です」
自分を見つめるイリアスの空色の瞳に、ひどく真剣な光が浮かんでいることに気付いて、レニは語尾を曖昧に呑み込んだ。
イリアスは僅かに目を逸らして呟く。
「そうだな。確かに私はあなたを疑い、疎んじていた。グラーシアにつながれるための鎖としか思っていなかった。あなたもあなたの兄アイレリオどのも、自分の身の危険を顧みず、命を賭けてグラーシアから国を取り戻してくれたのに」
「私も兄も、グラーシアの血を継いでいます。陛下が私たちの真意を疑い、遠ざけられても無理はありません」
仕方ないと言いたげに首を振るレニの手を、イリアスはソッと取った。
思わず顔をあげたレニの瞳を、イリアスは真っ直ぐに覗きこむ。
「レニどの。あえてそう呼ぶが、これからは私たちは良き友人になれないだろうか」
「陛下……」
「以前のように、『イリアス』と呼んで欲しい」
イリアスは、レニの顔を見つめたまま言った。
「これから国をまとめて治めていくには、心の底から信頼出来る友が必要だ。私とあなたの縁は、始まりは私たちの意思とは関係のない者によって強いられたものだったが、それを今からでも良きものに変えていくことは出来ないだろうか。私たち二人の手で」
不意に部屋の入り口近くで大きな音が鳴った。
イリアスとレニが同時にそちらへ顔を向けると、リオが今にも倒れそうな様子で小卓に手をついている様子が見えた。
反射的に立ち上がろうとしたレニよりも早く、イリアスがリオの側に駆け寄る。
淡い光源の中で、イリアスが今にも崩れそうなリオの細い体を抱きとめている姿がぼんやりと見えた。腕の中のリオに、優しい表情で何事か囁いている。
薄闇の中に灯された明かりに照らし出された二人の姿は、幼いころ読んだ、神話の中の英雄と彼の傍らに常に寄り添う美姫のように美しかった。
(綺麗……)
レニは心の中で思う。
二人が並ぶ様子の神秘的な美しさは、鋭い刃のようにレニの心をえぐった。
イリアスは、手を引いてリオをレニの前に連れてこようとしているが、リオが必死に抗っている。激しく首を振り、何事かを哀訴していた。
イリアスがリオの顔を見つめ、その体に宥めるように手を置いている。
それは紛れもなく長年馴れ合っている愛人同士の姿で、嫌でも二人が歩んできた年月と絆の固さが伝わってきた。
レニは二人の姿を、遠くから見つめながら考える。
二人はどれほどの歳月を一緒にいたのだろう?
四年、五年?
自分がリオと旅をした一年足らずという期間に比べて、イリアスは何と長いあいだ、リオの側にいて彼を愛し守ってきたのだろう。
抗いきれなかったのか、リオはイリアスに肩を抱かれるようにしてレニの前に連れて来られた。存在を消したいと望んでいるかのように縮こまった細い肩は、よく見ると小刻みに震えている。
顔をうつむかせたまま、決してレニのほうを見ようとはしない。
一体、何がそんなにリオのことを苦しめているのか。
レニは必死にリオの視線を捉えようとした。
そうするうちに気付いた。
自分の存在そのものがリオを苦しめていることに。
自分の眼差しこそがリオに、生きながら体を切り刻まれるような苦痛を与えているのだ、と。
愕然として、レニは瞳を見開いた。
「レニどの」
イリアスは震えるリオの肩を、労るように腕の中に包みながら言った。
「あなたも承知しているとは思うが、これは私がずっと寵してきたモノだ。私は寵姫を……愛している」
イリアスが柔らかい響きの声音でそう言った瞬間、リオの体は電流でも流されたかのようにビクリと大きく震えた。
★次回
第123話「それが望みなの?」