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第117話 宰相ヴァレンとの会談

13.


 リオにいざなわれ、レニは洗練された造りの客間に足を踏み入れる。

 何十人もの人間をもてなせそうな、広大な部屋だ。工芸品のように繊細な細工の調度が置かれ、全体の色彩は体を包み込むような淡い色彩で統一されている。

 入口から奥の壁には、広い露台につながる大きな窓がある。そこからはグラーシアが惜しまず金を注ぎ込んで作り上げた、園庭が見えるはずだ。


 陽が沈み、薄暗くなりかけている室内には、淡い色合いの灯りがいくつも灯されている。

 その灯りの中に、レニを出迎えるように小柄な男が一人、折り目正しく礼をして控えていた。

 レニが作法通り片手を差し出すと、男はその手を恭しく取り、甲にわずかに口を触れさせた。


「ヴァレン宰相」


 レニが声をかけて礼を解くことを許すと、小柄な男はゆっくりと顔を上げた。

 東方世界から来た祖先を持つことがわかる琥珀色の肌の顔は、六十八歳という年齢にふさわしく、ところどころ皺が寄っている。年を経ても、まだ艶を完全には失っていない顔を、白と黒が入り混じった髪が取り囲んでいる。

 何よりも目を引くのは、顔の中心にある黒い瞳だ。 

 まるで少年のような、好奇心と皮肉に満ちた輝きを放っている。


「お目通りが叶い光栄です、妃殿下。長きに渡る無沙汰をお許し下さい」


 ヴァレンは素早くレニの姿を観察した後、殊勝な口調で言った。


「余りにお姿を見る機会がないため、よもや何かご不例でもあったのかと密かに危惧しておりました。しかしこうしてお会いしますと、以前にも増して輝かしいばかりにお美しいご様子。胸をなでおろしました」

「心配をかけました」


 リオが導いてくれた椅子に、レニは腰かける。

 声の様子からは、ヴァレンが心の底からそう言っているのか、もしくはレニが宮廷にいなかったことに薄々勘づいているのかは、判断することが出来なかった。

 ヴァレンが好んで用いる大仰な言動は、本心を悟らせない煙幕のような役割を果たしている。


 レニはヴァレンに椅子を勧める。

 貴人に相対する時の作法通り、二度ほど謝絶したあと、ヴァレンはレニの斜め前に位置するように腰かけた。

 これも貴人を直視することは無礼である、という宮廷作法によるものだ。ヴァレンの表情を観察することが出来ず、レニとしては話を進めにくいが仕方がない。


「先日、大公宮に侵入した賊については、何かわかりましたか?」

「妃殿下の御心をわずらわせ、大変申し訳ございません。身の縮むような思いがいたします」


 レニの言葉に、ヴァレンはわざとらしく体を縮こめる。

 レニはその小柄な姿をジッと見つめていた。背もたれに身をもたせかけて、見下ろすような眼差しになる。

 その唇から、普段の彼女からはにわかに信じがたいほど、高圧的で冷たい声が漏れた。


「ヴァレン、時間が惜しい。そのような芝居はいらない。私の質問に答えよ」


 鞭が宙を裂くような鋭い語調に、ヴァレンはわずかに顔を上げた。一瞬だが、その黒い瞳が驚いたように大きく見開かれているのが確認できた。


「これは……キツいお言葉を」

「賊のことは何かわかったか? 逃げた最後の一人を捕らえることが出来たと聞いたが」


 ヴァレンが漏らす時間稼ぎの言葉に構うことなく、レニは畳みかけるように問いを重ねる。

 これほど正面から明確に問われるとは思っていなかったらしく、ヴァレンは抵抗するようにしばらく黙りこんだ。

 しかし強い眼差しにさらされて、諦めたように答える。


「宮廷警備は現在、ドラグレイヤ公が全権を担っております。何事かの目論見や罪状が明らかになった場合は、司法に引き渡すように伝えてはありますが」

「ドラグレイヤ公が引き渡さないと?」


 レニの言葉に、ヴァレンの老いた顔に苦々しげな表情が浮かぶ。それが演技ではないことは、すぐにわかった。


「妃殿下の縁戚のかたをこのように言うことは恐縮ですが、大公殿下は物事の筋を理解するかたではございません。時折、このように苦労いたします」


 レニは頷いた。

 オズオンは、自分の利益が損なわれない限りは、わざとのように宮廷の慣例的な価値観を貶める言動を取る。ヴァレンのように長年、複雑な政治の世界を生き抜いてきた人間にとっては理解しがたく、扱いづらい存在に違いない。


 だが。

 レニは注意深くヴァレンの様子を探る。

 刺客が生きながら政敵に捕らえられているというのに、焦りが見られない。

 もし刺客がレグナドルトの手の者ならば、暢気にオズオンについての愚痴など吐いてはいまい。

 どんな手を使ってでも取り戻そうとするはずだ。


 レニは、ヴァレンの老いてもなお生気を失わない横顔を眺める。

 内心の焦りを隠しているのか?

 それとも……本当に何も知らないのだろうか?


 不意にヴァレンが顔を上げた。

 感情が綺麗に隠された黒い瞳を、心の内を覗き込むように真っすぐ向けてくる。

 レニが身構えるよりも早く、ヴァレンは口を開いた。


「賊が侵入した時、妃殿下と大公殿下がたまたま居合わせて、自ら賊を捕らえられたと伺っております」


 貴き身で何と危ういことを、とヴァレンは付け加えたが、それが形式的な文句以上のものではないことを特に隠そうとはしなかった。

 ヴァレンの黒い瞳の輝きが、いっそう強くなる。


「しかし、不思議です。大公宮は今はあるじがおらず、無人と言って良い場所です。そのような場所で、一体、大公殿下とお二人で何をされておられたのか」


 いつの間にか。

 自分がヴァレンを問い詰めているはずが、ヴァレンのほうからジリジリとにじり寄られている。

 ヴァレンは形ばかりの礼儀正しい笑みを口元に張りつけ、黒い瞳を蛇のように細めてレニの顔を観察している。どんな兆候も見逃さないと言いたげに。


「大公宮は、宮廷の中でも奥深き場所。そのような場所に賊が侵入出来たことも、不思議と言えば不思議でございますな」


 ヴァレンはレニの顔から目を離さないままゆっくりと首を傾け、また同じ速度で傾きを元に戻す。


「……どういう」


 意味か。

 レニの問いに、ヴァレンは恭しげに目を伏せた。


「いえ、ただ不思議に思っただけでございます。ここ一年ほど王妃殿下にお目通りかなわないことを嘆き悲しんでいた身としては、大公殿下と妃殿下がそのような人気ひとけのない場所でお会いしていた、ということが奇妙に思えてなりませぬ。失礼な申し上げようながら、妃殿下にとって大公殿下は叔父君に当たるとはいえ、さほど親しい間柄とは思えませぬので」


 ヴァレンはジッとレニの顔を見つめる。

 背中に冷たい汗が流れ落ちた。


★次回

第118話「国が割れる。」

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