第115話 誰と話していた?
11.
それから一刻ほど後。
普段の静けさが嘘のように、大公宮と付近の庭には大勢の衛兵がひしめいていた。
宮廷に賊の侵入を許し、しかも取り逃がしたとなれば、国の威信に関わる。草の根分けてでも賊を探し出せ、と言うオズオンの指示の下、兵士たちは宮廷中を捜索して回っている。
捕らえた一人についてレニから尋ねられると、オズオンは獲物に逃げられた飢えた野獣のような眼差しで言った。
「死んだ」
「死んだ?」
「歯の中に毒を仕込んでやがった」
当然、想定し対策を打つ事態ではないか。
レニのそんな内心を読み取ったのだろう。
オズオンは、苛立だしげに吐き捨てる。
「舌を抜かれていたからな、油断した」
刺客を捕らえた時は、舌を噛むなど自殺を防ぐためにすぐに口の動きも拘束する。今回の刺客は舌を抜かれていたため、その措置が遅れたのだろう。
だが。
レニは感情のこもらない瞳で、オズオンの暗い怒りを秘めた顔を眺める。
本当にそうだろうか?
もしかしてオズオンは、わざと刺客に自殺する猶予を与えたのではないか。
「おい」
オズオンは、ふと自分を見つめる姪の視線に気づいたように、その顔を睨んだ。
「お前、まさか俺を疑っているのか?」
オズオンは、何も答えないレニの顔をしばらくみていたが、やがてあからさまに馬鹿にするような笑いを浮かべた。
「おいおい、大丈夫かよ? 俺があの刺客を放ったなら、あそこでお前にばったり出くわしたりしねえよ。部屋で、朝まで高いびきをかいているフリをするさ」
尤もなことを言われ、レニは叔父の顔から視線をそらした。
オズオンはその横顔に、嘲笑を滑らせる。
「お前、外をうろつき回っている間に少しおつむが弱くなったんじゃねえか。俺を疑うのも、隠れてチョロチョロ動き回るのも好きにすりゃあいいが、足は引っ張るなよ」
レニはしばらく黙ってから、口の中で呟くように言った。
「襲撃者の身元は?」
「さすがに雇い主につながるようなものは持っていなかった。舌を抜かれているところを見ると、ガキの頃から訓練されている奴隷だろうな」
「黒い血盟ではないの?」
「黒い血盟は奴隷は使わねえ。あいつらにとって、血盟の人間は同志で兄弟だ。それにアーゼンが、今の状況で俺やお前を敵に回すとは思えねえ」
オズオンの返答に、レニは頷いた。
刺客の動きを見れば、黒い血盟の人間ではないことは分かる。オズオンが何をどう考えているか知るために、発した問いだった。
レニはオズオンの表情を観察しながら、ゆっくりと口を開く。
「それで……叔父さんは、さっきの刺客もレグナドルトの手の者だと思っているの?」
「聞くのはこっちだ」
オズオンは、苛立ちのこもった剣呑な眼差しをレニに向ける。
「あの刺客どもは、誰を狙ったんだ? あいつらが襲撃しようとした部屋に誰がいた? お前は俺に隠れて、会っていたんだろう? そいつは誰だ?」
レニはオズオンの眼差しを流すように、顔を横に背ける。
オズオンは、ギリッと奥歯を噛み締め、押し殺した声を吐き出した。
「答えろ、チビ。そいつが誰かわかりゃあ、刺客を放った奴もおおよそ検討がつく」
「……教えられない」
「教えられないだ?」
オズオンの黒い瞳に、凶悪な光が瞬いた。
ゆらりと、この男にしては珍しいほどのゆったりとした動きで、椅子から立ち上がる。
「おい、チビ。俺はいま、死ぬほど苛立っているんだ。あんまりふざけたことを抜かすと、お前の気に入りの淫売奴隷を引きずり出して、あの小綺麗な顔をなますにするぞ。それとも……」
不意に何事か思いついたように、オズオンは野卑な笑いで口元を大きく歪めた。
「お前の前で、あいつを死ぬほど犯してやろうか。お前の時とどっちがいい声で鳴くか、比べてみろよ。あいつのよがる声を聞きゃあ、お前のその舐めた態度も少しは改まるんじゃねえか?」
無表情を保とうとしながらも、僅かに目元を震わせるレニの様子を見て、オズオンは笑いを大きくする。
「ゲインズゲート以来、ご無沙汰だからな。久々にあいつを犯るのも悪くねえ。エリュアの穴の中でも、あいつは極上だ。お前も突っ込む側なら、知っていると思うがなあ」
嗜虐的な笑いが浮かぶオズオンの顔に、レニは刺すような眼差しを向ける。視線が力を持つなら、オズオンの体は今すぐに四散していただろう。
オズオンはレニの怒りと憎悪を味わうように、顔に愉悦を浮かべる。
「チビ、選べ。今すぐ俺に刺客が狙った奴を言うか、お前のペットが可愛がられているのを見ながら喋るか。俺は寛大だからな、お前に好きなほうを選ばせてやるよ」
押し黙ったレニの顔から、オズオンは扉のほうへ視線を移した。
「時間がもったいねえ。ここに呼ぶか。お前がいるって言やあ、尻尾を振ってすぐに来るだろ」
「待って!」
外を見張る衛兵に命じようと、足を踏み出しかけたオズオンを、レニは制止する。
振り返ったオズオンに向かって、レニは肩を震わせながら低い声で言った。
「わかった……。言うから」
「ハッ、最初からそう言えよ」
オズオンは口の端を笑いで吊り上げると、ゆっくりとレニに歩み寄った。
「手間をかけさせやがって」
「叔父さん」
レニは、オズオンに顔を寄せるように合図する。
レニの囁き声を聞くと、半ば優越感に満ちた、半ば胡乱そうにしかめられていたオズオンの表情が、徐々に強張ったものに変わっていった。
そして、大公宮に刺客が現れた三日後の夕刻。
レニは宰相ヴァレンと会うために、小月宮へ向かった。
★次回
第116話「願いがかなわくとも。」