第114話 かなわない望み
フレイは襲撃者が事切れているのを確認すると、腕の中のリオの白皙の美貌をソッと撫でる。
リオの青い瞳が薄く開いた。
「レニ……さま」
珊瑚色の唇から漏れ出た呟きに、フレイは空色の瞳を微かに見張る。
その瞬間、リオはハッとしたように、瞳を大きく見開いた。
「あっ」
何事か言葉を発しそうになったリオの唇を優しく塞ぐように、フレイは自らの指先を当てた。
「寵姫、無事でよかった」
「妃殿下は……」
リオの問いに答えるように、レニが二人の側に近寄ってきた。
リオが、守られるようにしっかりとフレイの腕で抱えられているのを確かめると、やや離れた距離で立ち止まった。
リオはフレイの腕の中でわずかにもがき、レニのほうへ顔を向けた。
「レ……妃殿下、お怪我は? 何もお怪我はされていませんか?」
レニは、フレイの腕の中にいるリオの姿から目を逸らし、曖昧な仕草で頷く。
それからフレイに向かって言った。
「賊は三人だった。一人は捕らえて、もう一人はまだ逃げている。もしかしたら、他にも仲間が潜んでいるかもしれない。叔父さん……ドラグレイヤ公が一緒にいたから、今ごろ大公宮の周りを中心に捜索を始めていると思う」
レニはフレイの空色の瞳を見つめながら言った。
「賊はあなたを狙っていた。あなたが、私と話した部屋にいることを知っていた」
「私の動向を把握している人間がいるのかもしれないな」
フレイは独り言のように呟く。
それから半ば不安げな半ば探るような表情を浮かべるレニに向かって、鷹揚に頷いた。
「レニどの、言っただろう? 私のことは心配しなくても大丈夫だ。御覧の通り、自分の身は自分で守れる」
フレイは地面に転がった襲撃者の遺体を指し示した。
レニはフレイに答える、というよりは、自分に言い聞かせるように、何度か首を軽くうなずかせる。
それから口の中で、呟くように言った。
「私は戻るから、寵姫さまのことは任せるね」
「もちろんだ」
「妃殿下! お待ちください」
レニが身をひるがえそうとした瞬間。
リオは振り切るようにして、フレイの腕の中から脱け出した。
フレイは呆気に取られたように、空になった自分の腕と、自分に背を向けるリオの姿を交互に見る。
リオはフレイの様子にはまったく気づかず、レニに追いすがるような眼差しを向けた。
紡ぐべき言葉が見つけられないように、ただ必死にレニの姿を見つめ続ける。
レニさま。
口に出来ない呼びかけを、心の中で叫び続けているのが……離れて会えなかった日々、リオがずっと自分の名前を呼び、存在を求めて煩悶していたことが伝わってきた。
だがレニは。
その眼差しを受けとめるために、顔を上げることが出来なかった。
何故か、先ほど襲撃者からリオを奪い返したフレイの姿、リオの身体を易々と大きな腕で抱きとめ包む姿が脳裏から離れなかった。
「寵姫さまが、ご無事でよかったです」
不意にそんな言葉が口から漏れた。
小さな掠れた囁きだったが、リオの耳には届いたようだった。
まるで心臓を掴まれたように、リオは大きく目を見開いた。呆然としたように自分のほうを見ようとしないレニの姿を凝視する。
レニはその視線から逃れるように、庭の中を走り出した。
「妃殿下……っ! レ……」
走りながら背後に視線を向けると、必死に追いすがろうとするリオを、フレイが抱きとめているのが見えた。
宮廷の中では、どこに誰の耳があるかわからない。
だから自分たちの関係は隠しておかなければならない。
それが国のためであり、自分のためであり、リオのためでもあるのだ。
リオを守ることでもあるのだ。
だがそう思う一方で。
なぜ、リオの名前を呼んでもいけないのか。
なぜ、また一緒に旅に出ようと約束をかわすことすら出来ないのか。
なぜ、リオの側にいたいという、自分のただひとつの望みさえ叶わないのか。
そう考えることを止めることが出来なかった。
リオに会いに行き、その側にいることができる。当然のようにその体を抱きとめ、リオを守ることが出来るフレイに対して、どれほど努力しても妬ましさを押さえることが出来ない。
瞳から溢れそうになるものをこらえるために、レニは唇を強く噛み締めた。
★次回
第115話「誰と話していた?」