第8話『親友とDOWNTOWNデート』
いつの間にか傾いた太陽からの美しい緋色の光線に照らされながら、ホテルの中庭のベンチに佇んでいると、突然スマートフォンが振動を始めた。
その画面に視線を落とした有紗は、慌てて応答する。
「あ! もしもし司。ごめん! 私、電話するって言ってたのに」
「いいわよ。ひょっとして食事中? だったら後にするけど」
「あ、食事するの忘れてた」
「はぁ? 一体何してるの? 今どこ?」
「ホテルに戻ってきてる」
「一旦こっちに来たのよね? そのまま帰っちゃうなんて!」
「ごめん! オーナーがハイヤーを付けてくれたから、まっすぐ帰って来ちゃった!」
「オーナー? 『ランドルフ』の?」
有紗は電話のむこうの親友に、今日一日の出来事を簡単に説明した。
「ふーん。思ったよりもずいぶん早く事が進みそうじゃない?」
「ほんとよね。なんだか怖いくらい」
「随分身構えて行ったのにね」
有沙は苦笑いする。
「ええ。それはもう。だけどすんなり受け入れてもらえて……その時点で、既に予想外だったんだけど」
「まあ親族が日系人っていう事もそうだし、オーナーが日本語を話すっていうところもラッキーだったんじゃない?」
「うん、まさしくツイてるとしか言いようがないわ」
「で? 有紗、結局オーナーが奨めてくれるその別宅に住むってことなの?」
「うん、まぁ……」
「いつからよ? 当初はそこに一週間滞在するつもりだったんでしょ? どうするの?」
「あ……それがね、オーナーがその場で早々にホームクリーニング業者に連絡して、明日でも入れるわよ、なんて言われちゃって……」
「ははーん……なるほど。有紗、あなた捕まったわね」
「捕まる? どういうこと?」
「わかんないの? あなたは『ランドルフ』からすっかり包囲されて、もう逃げられないように、そのオーナーに囲われたってことよ」
「囲われたなんて……」
「だってそうでしょう? そこに住んだら、あちらはあなたの全てを把握できるのよ? オーナーの手中に収まったってこと! まぁせいぜい働かされなさい」
「もう司! あんまり脅さないでよ」
さんざん脅しておきながらも、親友は終始、上機嫌で話している。
「そうか……あなたはあちらにとっても“希望”なのね。いいんじゃない? Win-Winの関係なら、ビジネスパートナーとしては申し分ないし! 生活も困らない、やりたい仕事にも早々に着手できる! 良かったじゃない!」
「そうね。ただ……その代わりというか、大変なミッション任されちゃったのよ」
有紗は親友にミッションの話もした。
「ほら、やっぱり! あなたしかできない仕事を任されたんじゃない。それで? その御曹司の目処はついてるの?」
「それが……全然。その甥っ子が今どこにいるかもわからない。出国してるらしいから、多分日本だろうってオーナーも言ってたけど。とにかくその問題も片付けなきゃ」
「探偵もやるわけ? なんか、すごい話ね。そうだ有紗、住所わかってるんだったら教えてよ」
「うん、わかった。後で送るね。でも多分ものすごく近くだと思うよ」
「そうなの? 嬉しい!」
「それでね、司にも色々付き合ってほしいことがあるの」
「なに? 私で役に立つことがある?」
「うん。これはちょっとした私の好奇心でもあるんだけど……でもね、ひょっとしたら今回の件に大いに役立つかもしれないの」
有紗は手帳の話もした。
じっと静かに聞いていた司が、突然声を上げた。
「分かった!」
「ええっ……何が?」
「あなたがどうしてこんなにラッキーかってこと!」
「どういうこと?」
「きっと有紗の手にあるその手帳のおかげよ! それがあなたの手に渡るってことが、どれほど不思議でどれほど凄いことか! 有紗、これは運命よ。あなた、運に選ばれた人なのかも」
「そ……そう? ホントにそうなら嬉しいけど。あ……ねぇ司、それでね、ここに載ってるお店に付き合ってほしいんだけど、どうかな?」
「そんなの、お安い御用よ! でもそんなことより、そこに書いてある事をあなたはしっかり把握して、この街で成功を収めるべきだわ。ガイドブックにも載ってないような事がまだ沢山書いてあるかもしれないしね」
「そうね。じゃあ明日早速、行ってみる?」
熱が冷めやらぬ親友は、興奮気味な声を残して電話を切った。
無理もない、有紗の中にも同じように運命という言葉が既に鳴り響いていたのだから。
翌朝、有紗は早めにチェックアウトを済ませ、スーツケースを転がしながらWDWを後にした。
タクシーで空港に向かい、そこから出ているアムトラックに乗って、ウエストパームビーチに向かう。
少々長旅ではあったが快適で、アメリカでは珍しい電車の旅を堪能した。
時折車窓を眺めながらも、手帳をどんどん読み解いていく。
新たに購入したガイドブックの地図のページに印をつけながら、幾つも店をチェックする。
手帳の二番目に書いてあったレストランは、偶然にも親友の行きつけでもあった。
昨日出向いた『ランドルフ』本社の程近くに住む彼女の家から車で15分ほどにあるダウンタウンの中心部。
このアムトラックが到着する『ウエストパームビーチ駅』のターミナルで待ち合わせをした。
そして手帳に記載された情報が正しければ、徒歩で数分のメインストリートにある、その店でランチをとることになっていた。
「司! 久しぶり!」
「やだ、有紗! そんな大きなスーツケース持ったまま来たの? 荷物なんか送りなさいよ」
数年ぶりに会った親友は、すっかり現地に溶け込んだセレブリティの出で立ちだった。
荷物を車に放り込んで、二人は強い日差しを浴びながらも、いそいそとダウンタウンへ足を向ける。
前々から訪れてみたかった、ウストパームビーチきっての中心地“クレマチスストリート”
そこに足を踏み入れて、目を輝かせながらキョロキョロと辺りを見回す有紗に微笑みながら、司は予約したそのリストランテに案内した。
まず目に飛び込んできたのは、あの手帳にかかれているように、洗練された内装だった。
ロイヤルブルーをテーマカラーにしたファブリックにセンスのいいシャンデリア。
どれをとっても有紗の好みだった。
テーブルにつき、会話を始めた瞬間から、二人はかつての同僚時代あの頃に舞い戻った。
次々に運ばれてくる豪勢な料理に舌鼓を打ちながらも、懐かしい話が次から次へと後を断たず、大いに笑った。
「いいもんだわ。このアメリカの地で、髪色も肌色も違う人たちの周りでさ、こんなに長く日本語で話すのなんて、ホント何年ぶりだろう」
昼間から揺らすワイングラス片手に、司は伏し目がちに微笑む。
「大変だっただろうね。こっちに来たばっかりの時は」
有紗は司をじっと見つめた。
「そりゃそうよ。仕事も捨てて、親友とも離れてこんな地球の裏側に来てさ、出産して……あの頃はもう勢いで来ちゃったから、どうにでもなれ! って感じだったけど……」
「それが今では三人の子持ちとはね」
「そうよ! この若さと美貌で」
司は大袈裟にポーズをとって、若い店員にウィンクを投げた。
「あはは、ホントよね。でも司のダーリンは素敵だし、頼りになるじゃない?」
「うわぁ、懐かしいわぁその呼び方! そんな事言ってる時もあったわね。今やすっかり、子供達のパパだから」
「そうなんだ。ミスターフランクにもまた会いたいわ」
「そうね、近いうちにあたりバーベキューでもやろうよ。本当は郊外でも行きたいんだけど、とりあえずはうちの庭でいっか! あなたも忙しいだろうから」
「うん。楽しみだわ」
食後の紅茶が運ばれてきた。
「有紗、チェックアウトしてきのよね、じゃあディズニーリゾートとはもうお別れ……じゃないのか。ねぇ、例の件は? いいの?」
有紗は置いたカップを見つめながら、小さく頷いた。
「うん。ホントはね、こっちに来て、すぐ済ませちゃおうと思ってたのよ。そうすることで、仕事だけにまっすぐ向かい合えるかなって思ってて。だけど、初っぱなから思いがけなくうまくいっちゃったもんだから……」
「そうね。今はこの流れに乗るのが正解だからさ、例の件は、全部終わってからゆっくり向き合ったら?」
「うん。そうする」
「大丈夫なの? 一人で……いつでも付き合うわよ! 家族ごとね」
「ありがとう。確かにあの夢の国は大勢で楽しむ方がいいかも! 一人で回ってたら変よね?」
「うん、何か痛々しいかも?!」
「あはは。確かに!」
第8話 『親友とDOWNTOWNデート』 - 終 -