第5話『Luxury brand store "Randolph"』
ホテルの広いエントランスを抜け、開いたドアから外に出ると、 強い日差しが突き刺さり、眩いほどの光が一気に視界に入ってきた。
一瞬、辺り一面が真っ白に見えて目を細める。
手をかざしてそれを遮ると、ロータリーの真ん前に大きな白いリムジンが停まっているのが見えた。
傍らには愛想の良さそうなドライバーが立っていて、すぐにこちらに気付いた彼は、半信半疑な表情の彼女に爽やかな笑顔を投げ掛けた。
あちらは顔を認識しているようだ。
そして微笑みながら、後ろのドアを開けて目配せをする。
フロリダの気候らしく、朝でも空気が湿度を帯び、ホテルを少し出ただけで汗ばむような暑さだったが、広いリムジンの車内は快適な空間だった。
ハイウェイを降りると、窓から真っ青の海が見える。
ほんの少し窓を開けてみると、フワッと潮の香りがした。
その名のごとくパームツリーの道が続く。
フロリダと言えば、真っ先に思い付くのはディズニーワールド、NASAケネディ宇宙センター。
それに加え、ここにはアメリカ屈指の超高級ビーチリゾートがある。
夏の間、リッチなニューヨーカーはマンハッタンを飛び出してハンプトンで過ごすのをステイタスにしている。
確かにハンプトンはNY社交界にとって花形リゾートだが、しがらみの坩堝。
その点、ここフロリダのパームビーチは成功者や富豪たちが避暑や隠居の地として選択するという、落ち着きと気品が漂う地。
“アメリカで最も象徴的な20のストリート” の一つにも選ばれた Worth Avenue。
そこには世界中のハイブランド店が軒を連ねている。
しかし近年、客足は遠退き、たまに来る客が数百万円買い物をする事でなんとか成り立っている兆しがあるらしい。
世界的な不況のなか、そんな手法では店舗も、強いてはブランド自体が敗退してしまうという危機に直面している。
そこでなんとか業務提携のごとく、Win-Winの関係が築けたらと、そんな思いの丈を企画書としてまとめあげ、先方には既に送信してある。
まずファーストコンタクトとしての提案は、最終的にはWorth Avenueに作る予定のセレクトショップの、“分店”なるものを、先にファッションモールに出店し、そこにハイブランドの商品を卸してもらえないか、という提案だった。
出店という部門では、どうしても素人臭さがでてしまう。
この点においては彼女も自信がなかった。
こんな門前払いされそうな提案に、仮にとはいえ話だけでも聞いてもらえる機会をもらえたのは、彼女の力ではなく、彼女を送り出した本社の元上司のおかげだった。
とにかくあとはない。
じっくりと練りながら、あの手帳に書きとめたプランと思いの丈を、存分に駆使して今日は勝負に出る。
「でも、こんな大事な時に、肝心のあの手帳がないなんて……」
原案の記録は残っていても、あの手帳自体が存在しないと思うと、やけに心許ないと感じた。
まだこれから、もっと色々な発想が生まれる手助けになったはずの、願掛けのようなアイテム。
実に手痛い。
「まあ、くよくよしてもしょうがないわね。それに私の手元に来ちゃったこの手帳の持ち主だって、困ってるかも。手掛かりがあれば返してあげたいわ。でも書いてあったのは……グルメリポートって感じだったけど……あれ? これって……」
後部座席に装備されているナビゲーションの画面に、見覚えのある単語を見つけて、思わず顔を近付けた。
目的地にほど近い、その場所に心当たりがあった彼女は、バッグの中に一応しのばせてきた白い手帳を取り出す。
「やっぱり! この店、この手帳に書いてあったお店だわ。ん? このレストランの……内装? 来客のピークまで記してある。あ、こっちはこのブティックか……この辺りは有名なハイブランドの店しかないはずなんだけど……こんな名前のブランドは知らないわ。ということは、地元のブランド? もしくはセレクトショップが他にも存在するとか? なら偵察しなきゃね」
彼女はその手帳のページをめくりながら、文字を辿る。
そして探していた言葉を見つけた。
そこには今から自分が商談しようとした相手の店の名があった。
「え……」
彼女は言葉を失う。
内部事情、それも一般的な年商などの情報だけではなく、スタッフのことから、社長のプライベートにわたるまで、事細かに……
「これは……一体」
車が止まったことにも気付かずに、まだ手帳を読み漁っている彼女に、笑顔が素敵な運転手がドアを開けてにこやかに言った。
「Here We Are」
「あ……OK」
車から降り立つと、メディアの写真でもよく見かける有名な建物がそびえていた。
この辺りでも屈指の老舗店は、その前に立つと、より重厚に見える。
「Follow Me」
また屈託ない笑顔でそう言った運転手に付いて行き、背筋を正してその店のドアをくぐった。
大きなドアの前まで来て、運転手は小さな声で「Good luck !」と言ってウインクを投げた。
全面ガラス張りの広々とした空間には、大理石が敷き詰められた純白の床が広がり、外で感じた南国リゾート的な情緒も感じさせないほど都会的な雰囲気だった。
モノトーンのソファーの前まで進むと、ビジネス誌の記事で見た、アメリカの高級ブランド『Randolph』のオーナーが近付いてきた。
目を合わせながら一歩前に出る。
「Good morning.I don’t think I have been formally introduced(まだちゃんとした形ではご紹介頂いていないと思います).My name is Arisa Kirishima.It’s a pleasure to meet you」
緊張した面持ちの彼女に、オーナーはにっこりと微笑んだ。
「あはは、固い挨拶は抜きで結構よ。あなたが霧島有紗さんね。Mr.江藤から話は聞いてるわ」
有紗は驚いて、拍子抜けした声をあげた。
「え……あ、日本語がお出来に? アポイントメントを取った方は英語でお話しされてましたが」
「ええ、ウチで日本語が使えるのは社長の私だけなのよ」
「そうなんですか! 社長さんは日本の方……ではないですよね?」
そこまで言っておいて苦笑いする。
お相手はプラチナブロンドの貴婦人だ。
しどろもどろになっている有紗を見つめて、オーナーは笑いだした。
「あはは、面白いこと言うのね。気に入ったわ有紗。社長さんって呼ばれるのもなんだから、ホントはフィリシアでいいんだけど……逆に日本人のあなたにはハードルが高いかもね。ミセスランドルフの方が呼びやすい?」
小首をかしげたフィリシアは有紗に右手を差し出して、その笑顔で歓迎の意をしめした。
緊張がドロッと解けて座り込みそうになるのを押さえながら、有紗もその手を握り返した。
「よろしくお願いいたします。ミセスランドルフ」
フィリシアは彼女をソファーに促すと、運ばれてきたイングリッシュティーを勧めながら話し始めた。
「私の亡くなった主人は日本人とのハーフなんだけど、ご存じよね?」
「はい。先代の奥様が日本人だと」
「ええ。その主人の弟の妻がまた日本人でね、彼女もこのウォースアベニューで店をかまえてるの。だから日本語での会話は日常的なのよ。近々紹介したいと思ってるわ。折り入って、話もあるし……」
有紗は資料を差し出しながら言った。
「あの……事前にお渡しした企画書に、もしご不明な点がありましたら、今からでもご説明させていただきますが……」
フィリシアは首を横に振った。
「いいえ、そうじゃないの。あなたの企画書は完璧よ。いいアイデアだと思う。実はね折り入って、お願い事があって……」
「お願い事? ……ですか?」
有紗は首をかしげる。
「ああ……ええ。内々の事で。少しプライベートな話になるんだけど……かまわないかしら?」
「ええ。もちろんです」
有紗は膝に手を置き、座り直す。
「ご存知かもしれないけど、私には子供ができなくてね。だからというのもあって、弟夫婦の一人息子……私にとっては甥っ子なんだけど、その彼のことを、生まれた時から息子のように思ってきたの」
「はぁ……」
「あはは。なんのことかわかんないでしょうけど、まあ聞いてて。その甥っ子はね、とにかくじっとしてない子なのよ。何かと言うとすぐ父親がいる日本に行っちゃうの」
「日本へ? その人のお父様……えっと、ミセスランドルフの義弟にあたる方ですね?」
「そう。亡くなった主人の弟は日本で会社をやってるのよ。ランドルフとは無関係のね。実は彼は婿養子に入っていて」
「え? ランドルフの直系の方が日本の……?」
「ええ。彼の妻の実家が日本の大手企業で、彼女はその一人娘でね。その頃は主人が健在だったから、次男の彼は婿養子に入ったってわけ。それもあって、主人が亡くなってからも私が継ぐことになってしまったんだけどね。その日本の会社なんだけど……この前調べさせたら、甥っ子も社員として名を連ねてるのよ。私には内緒だったのかも。その子は……なんせ、逃げ足が早いというか」
有沙は更に首をかしげた。
「逃げ足?……ですか? あの……その甥っ子さんが、逃げる理由とは?」
フィリシアは、少し目を伏せて自嘲的に笑った。
第5話『Luxury brand store "Randolph"』- 終 -