9 沙穂の気持ち
「理奈が色々失礼な事を言ってすみません。口は悪いですが、根は良い奴なんです」
理奈と浜野さんの姿が見えなくなってから、孝さんはそう言ってペコリと沙穂さんに頭を下げた。
それに対して沙穂さんは、気を悪くした様子もなくこう返す。
「分かっています♡私も理奈お嬢様の事は大好きですから♡」
「それと、このたびは色々僕の事でご迷惑をおかけしてすみませんでした。
元は岩山がちゃんと沙穂さんに愛の雫を渡さなかった事が始まりですが、
最初から僕が自分で沙穂さんに告白していれば、こんなに話がもつれる事はなかったんです」
孝さんはそこまで言うと一旦間を置き、ひと際真剣な眼差しになってこう続けた。
「沙穂さん、フラれた直後にこんな事を聞くのは未練がましいかもしれませんが、
もし、理奈が僕の許嫁じゃなかったら、返事はまた、違っていたんでしょうか?」
「・・・・・・」
孝さんのその言葉に、沙穂さんは少しだけ目を細めて黙り込んだ。
そして少しの沈黙の後、ニコッとほほ笑んでこう言った。
「いいえ、同じだったと思います」
「でしょうね」
孝さんはそう言って肩をすくめたが、残念そうな様子はなかった。
むしろモヤモヤが吹っ切れたような清々(すがすが)しい表情になっていた。
「僕も屋敷に帰ります。沙穂さん、お元気で」
「はい。孝おぼっちゃまもお元気で♡」
そう言葉を交わして握手をする沙穂さんと孝さん。
そして孝さんは俺の方を向いてこう続けた。
「稲橋君、君にも色々迷惑をかけたな。すまなかった」
それに対して俺は頭をポリポリかきながらこう返す。
「いやあ、別に構わないですよ。何か俺、こういう事に巻き込まれすい体質みたいなんで」
「このまま愛の雫が見つからなかったら、王本家の屋敷で一生タダ働きをしてもらうところだったよ」
「爽やかに怖い事を言わないでくださいよ・・・・・・」
「ハハッ、冗談だよ。じゃあ僕はこれで。
早く帰らないと、メイド長の幸江さんとかがうるさいからね」
こうして孝さんも、河原から去って行った。
孝さんが居なくなった所で、俺は沙穂さんにちょっとイジワルな質問をしてみた。
「孝さんをフッてよかったんですか?
あの時孝さんから愛の雫を受け取っていれば、これ以上ない玉の輿に乗れたのに」
すると沙穂さんは俺に軽くでこピンをしてこう言った。
「大人をからかうんじゃないの。私は沢凪荘での生活が気に入ってるの。それに・・・・・・」
「それに?」
「ご主人様とメイドが恋に落ちるなんで、あってはならない事なのよ」
そう言ってほほ笑んだ沙穂さんの表情には、何処か淋しげな雰囲気が漂っている気がした。
「沙穂さん、もしかして本当は、孝さんの事を・・・・・・」
俺がそう呟くと、沙穂さんは再び俺にでこピンをし、
「さ、もう帰りましょ」
と言って沢凪荘に向かって歩き出した。
今、沙穂さんはどんな気持ちなんだろう?
本当は孝さんの事が好きで、あの時も愛の雫を受け取りたかったんじゃないだろうか?
でもそこは理奈の存在や、孝さんと自分の身分の違いを考えて、自ら身を引いた。
考え、過ぎだろうか?
まあその辺の事は、沙穂さん本人にしか分からねぇんだけど。
「俺も帰るか・・・・・・」
ああだこうだ考えてもしょうがないので、俺はそう呟いて沙穂さんの後を追おうとした。
すると、その時だった。
ガシッ。




