8 覚醒前夜 その⑧
「………………え?」
僕の手から、釣り竿とビクがスルリと地面に落ちる。
「な……な……」
夕飯のシチューを楽しみに帰ってきたこと、
今日こそ釣ったアカマスを自慢できること、
入団試験に向けた素振りの鍛錬回数がついに一五〇〇を超えたこと、
とうさんやかあさん、おばあちゃんやマリィへ話す事を思い浮かべながら村に戻った。
そんな僕の目の前に広がっていたのは、
辺り一面の火の海。
「な……んだ……これ……」
非現実的な情景に理解が追いつかず、ただ立ちすくむ。
パチパチと、家屋が燃えて木片が爆ぜる音がここまで聞こえてくる。
村の人々のあらゆる思い出を燃料に煌々と燃え続ける炎は、すべてを飲み込もうと広がり続けている。夕焼け色に染まり始めた空をさらに赤く、明るく照らす。
「……そうだ! とうさん! かあさん!」
ハッと我に返った僕は家族がいる家へと向かうべく、火の海へと飛び込む。
途中の家々もほぼすべて燃えていた。
いったいなぜ?
どうして?
まさか人の仕業?
だとしても誰が?
なんのために!!
頭の中をぐるぐる渦巻く疑念を抱えながら、ただがむしゃらに走る。
急げ、急げ……!
あの丸屋根の家の角を曲がれば、僕の住む家だ!!
* * * * *
「ああああ……」
無残にも。
半ば予想どおりに。
僕の家も大火に包まれていた。でも躊躇してる暇はない。
走ってきた勢いそのままに、強引に燃える扉をこじ開けて中に入る。
「とうさん!! かあさん!!」
中も火の海だが構わず大声で呼びかける。
しかし、僕の声に反応したのは、威厳のあるとうさんでも、優しい顔立ちのかあさんでもなかった。
誰かも知り得ない全く謎の存在。
「おい……あんた……なにやってる?」
僕の声で振り向いた、その謎の存在は。
漆黒のローブを纏い、
正体をさとらせない容貌で、
頭から漆黒のフードを目深に被り、
その右手には奇妙な材質の短刀を持ち、
火の海の中とは思えないほど落ち着いた挙措で、
右手に持つ短刀を、とうさんの胸に突き刺していた。
「おい、嘘だろ……そんな、とうさん!! うああああ!!」
ドサリと地面に倒れ伏せるとうさん。
謎の黒いフードローブへの警戒もせず、僕はとうさんにすがりついた。
彼の近くには家族のみんなも倒れていた。かあさん、おばあちゃん。そして……すこし離れた場所に、マリィが大切にしていたぬいぐるみが粉々になって燃えていた。おそらくあの炎の中には、変わり果てた持ち主が転がっているはずだ。
「あ……あああああああ!!!」
「……」
家族の亡骸にすがりつき叫び続ける僕を尻目に、謎のフードローブは無言で立ったままだ。
そこに、新たな侵入者がやってきた。
目の前の謎のフードローブと全く同じ風貌の影が三つ。こいつらは家の奥側、より火の手が強いほうから戻ってきたようだが、なぜか一切の焦げ付きすら見当たらなかった。
そのうちの一人が目の前のフードローブに声をかける。
「見つかったか?」
「……いや」
「ハズレか」
「……撤退だ」
混乱と悲哀が僕の精神を蝕む中、合流した四つのフードローブは火事で割れた窓へ向かう。
ガラン! と音がして家の床の底が抜けた。さらに轟音が響き、家の支柱の一部が崩れ落ちる。炎がすべてを食い尽くそうとしているのだ。
「ううううう!! とうさん! かあさん! マリィ! おばあちゃん!!!」
いまだ混乱から立ち直れていない僕は、家族を燃え広がる炎からとにかく守ろうと、家の外に一人一人引きずって外に出していく。しかし。床の崩壊と立ち上る炎が障害となり、妹の許へどうしてもたどり着くことができなかった……。
僕は懸命に、家族のみんなを庭まで連れて行った。
その瞬間、完全に僕の家が激しい音と共に崩れ落ちた。
たくさんの家族との思い出と共に。