12 暗躍
オティーヌ王国よりもはるか西。
砂漠の街。
この街には、言い伝えがあった。
『スナザメがこの地を離れ ツクヨミオオカミが遠吠えをやめる頃
遥か東より異国の使者来る その者災いをもたらし この地を滅ぼさん』
歴代の長老が代々、書物にしたためてきたものだ。
この地方は、砂漠を渡る交易が重要な商業の要であるが、キャラバンのスナザメによる被害は後を絶たず、害獣とされていた。
しかし十日ほど前、その背びれの姿がぴたりとみえなくなった。
その夜から、ツクヨミオオカミの姿も消えた。
信仰深い砂漠の民達は、ついにこのときが訪れたと感じた。
当代の長老の家に民達は集まった。
そして言い伝えと共に受け継いできた『封印されし小箱』を開けた。
中には、伝承の原典である書物と高級毛糸で縫われた袋、さらにその続きが秘されていた。
『砂漠を守りし賢人 民の願いと共に目覚めん
滅びの前に 砂の大地から現れ この地を救うだろう』
高級毛糸の袋を開くと、そこには古びた子笛が入っていた。
長老をはじめとする砂漠の民は、言い伝えを守るべく西のはずれに向かった。
そこには閉じられた祠があった。砂漠の民は祠の前で祈り、そして子笛を毎夜吹き続けた。
数日後。
災いの使者は、果たして本当にやってきた。
街に来るやいなや、住民達の家屋を焼き、聖堂を破壊した。
虐殺が目的というわけではない。何かを探しているようではあったが、その行動は砂漠の民を恐怖に陥れた。
災いの使者が街を蹂躙しかけた時、大地が揺れた。
西の祠から轟音が響く。
砂漠の地面から、巨大な石像が現れた。
その姿は、禍々しく威容な外見であったが、この土地の守り神としてあがめ奉っていた姿と同じだった。
人族の背丈の一〇倍はあろうかという巨大な石の体躯が、災いの使者へと向かっていく。
真っ白な石で構成された守り神は、災いの使者に向け掌をかざす。
日の神の威光を一点に集め、強力な光線が放たれる。
眩いばかりの光の奔流を纏うその光線は誰が見ても恐るべき破壊力を備えていると分かるものだった。
巨大な石像と、人の大きさでしかない災いの使者。そして石像の掌から放たれる光線の驚異的な威力。これで瞬時に使者は滅されるであろう。そう、砂漠の民は考えた。
しかし。
石像が放った光線は、使者に直撃し――霧散した。
ゴミでもついていたかのように、災いの使者はポンポンと自身の鎧をはたき、
「今のは光属性……いや聖属性か? どちらにせよ、無効化されたか」
その使者の名は、アヤメといった。
見た目こそ神々しい姿だったが、彼の行いは侵略者そのものだった。
「こちらの番だ」
石像が連続で放つ光線を、今度は目で追えないほどの早さですべて避けていく。
気づけば石像の足下まで来たアヤメは抜刀し、巨大な右足を切りつける。
一瞬で。
どんな炎や爆発でもびくともしない石像の強固な右足が、子供が遊ぶ粘土細工のようなやわらかさで、切断された。
右足を失った石像は、自立が困難となり地に崩れ落ちる。しかしその戦意は健在で、アヤメを殲滅せんと、倒れ伏したまま左手を大きく伸ばし彼を掴む。
石像の手中に閉じ込められたアヤメ。握りつぶそうと石像が力を込める――その直前。
今度は石像の左手が吹き飛んだ。
「手応えがなく、つまらんな……本物の神でも喚んできてもらいたいものだ」
アヤメの聖剣が弧を描く。
斬首。
今度こそ石像は力尽き、ズズン!と重く低い音をたてて砂漠に沈んだ。
アヤメは、石の残骸の隙間をぬって頭部まで歩み寄る。
そして、石像の眉間にはめ込まれていた宝石を掴んで取り外した。
その宝石がなくなったことを契機に、石像はサラサラと砂に帰っていった……。
「4つ目……これでこの地にも用は無い」
災いをもたらした者は、剣を地面に刺し、そこからほとばしる光の奔流で空に飛び上がり、目映い尾を引きながら、東へと流れていった。
* * * * *
オティーヌの来賓室に戻ったアヤメを待っていたのは、ノアの険しい表情とレポートだった。
「イブキが、死んだ?」
「うん、またあいつの仕業だ」
四席必要だったこの円卓も、いまや二席しか必要なくなった。
「ふん……つまり、本気で挑む相手だということか?」
「超スーパーラッキーは、二回も続かないよね、普通なら」
アヤメは少し何事か考えて、
「少し休む。二時間後にミーティングさせてくれ」
踵を返して来賓室から去っていく。
「オーケー。ボクはそれまでに情報を整理しておくよ」
ノアはポータブルデバイスを操りながら、
「さぁーて、忙しくなるぞぉー!」
そこに流れ込んでくるデータに目を輝かせていた。
* * * * *
オティーヌ城の中庭は、色とりどりの草木に囲まれた園庭となっていた。
白銀の騎士アヤメは、ノアとの会話後、芝生まで足を運んでいた。
手に持つスマートフォンを操作する。
彼の周りに、さまざまな武器や防具が出現した。
その場に座り込み、一つ一つ、自分の獲物を細やかに眺めていく。
これは彼の日課だった。
最強無敵の装備を身につけているものの、その剣や鎧もいつ刃こぼれや錆付きが起こってもおかしくない。異世界のルールがまだ明確に分かっていない状況だからこそ、戦闘準備に手を抜くことはしたくなかった。
リリカやイブキはその辺りは無頓着過ぎた。
自分のポリシーを押し付ける気はなかったが、彼女たちの敗因に準備不足があったことは否めないはずだ。
敵を知り己を知れば百戦殆うからず、とは『孫氏の兵法』の有名すぎる一句だが、それをアヤメは愚直に実行する生真面目さを持っていた。
「……アピアランス解除」
銀髪碧眼の『勇者』姿から『男子高校生』の姿に戻る。
いつもあの姿では、肩が凝ってたまらないのだ。
日の光が優しく照らす園庭の芝生の上で、さきほど来賓室で拝借してきたサンドウィッチをスマホから取り出し頬張る。
リラックスしながら装備のメンテナンスを行う少年。
そこに突然、明るく黄色い声が響く。
「あー! こんなところでサボってる!!」
「!?」
「はやく厨房に集合って言ってるでしょ! ほんとにもー!!」
後ろを振り返ると、メイド服姿の少女が腰に手を当てながら仁王立ちしていた。
「あーしかもこれ、これ国賓のお客様用のサンドウィッチじゃん! 抜け出したのはこういうこと!? もー言ってくれれば内緒で取っておいてあげたのに!」
なんなんだいったい!?
面食らうアヤメだったが、彼女の言動以上に彼を驚かせる要因があった。
「それよりなに、そのカッコ。きちんと給仕服きなさいよ。ほんと最近の新人は全然いうこと聞かないんだから……ってどしたの?」
活発でズケズケものをいってくるメイド少女。
アヤメは彼女に心を奪われていた。
似ている。
クラスメイトの宗像ヒマリと瓜二つだ。
「おーい、生きてる?」
そのとき。
アヤメのスマートフォンがバイブレーションを起こした。
「!!」
彼は急いで着信内容を見る。
ショートメッセージ。
ノアからだ。
《リリカが、リリカが帰ってきた!!》
空には、捜索用ドローンが旋回していた。
* * * * *
リーバイン神皇国、リーバイン城。
高位職だけが入ることのできる、宝物庫に続く回廊で。
『影』襲来による爪痕がようやく癒え、復興が進み、普段の荘厳さを取り戻し始めた頃。
それは起こった。
「き、貴様……なにゆえ、このような愚行を……!?」
呻く初老の男は、純金の豪奢な鎧と純白の外套に身を包んだ屈強な騎士だった。
その豪華で硬質な鎧の腹部、薄く空いた隙間に、青年は短剣を突き刺していた。
「お許しください、騎士団長様。私にとって、どうしても必要なものなのです」
リーバイン神皇国近衛騎士団長であるこの男は元来慎重を期す人間だった。無警戒なままかなり接近できなければ、このような暗殺行為は到底不可能であるはずだが、この青年にはそれができた。
彼は、初老の男の直属の部下であり、副団長レオニズム=フェルシオンだからだ。
力なく倒れ伏す騎士団長の懐から、レオニズムは金色の鍵を探りとった。
「まさか……貴様!!」
「代々リーバイン王に受け継がれる秘剣。お借りします」
「ならん! あれは人族の叡智ではあるが、同時に破滅の剣でもある!!」
「だからこそ、あなたを麻痺毒で指してでも、手に入れるのです」
「レオ……ニズム、いかん。いかんぞ、憎しみは……なにも……」
意識を失う初老の騎士。
銀色の騎士レオニズムは怜悧な表情で見届けると、宝物庫を目指す。
コツコツコツと、軍靴の音が鳴る。
歩く彼の手には、羊皮紙が握られていた。
すでに何度も丸めては広げられたのだろう、クシャクシャに皺が入ったその紙には、こう書かれている。
『死亡通知書 ライオネル=フェルシオン
リーバイン城東南の関所にて魔王と名乗る咎人との交戦により』
「待っていろ、不死者」
その青年は、以前のような純白精錬な近衛騎士ではなくなっていた。
「私は貴様を殺すために生きる」
不気味な黒い炎を扱う少年をつけ狙う、獰猛な狼だった。
宝物庫の扉が開く。
そこには、鍛え上げられた剣が眠っている。
魔を滅するためだけに作られた究極の武器が。
「お前に、必ず復讐してみせる」




