11 過去の記憶
千葉県船橋市。
駅からバスを使って一〇分ほどのところに建つ県営団地。
そのうちの一室で、東雲アヤメは生まれ育った。
幼い頃からインドア志向で、近くの公園で皆と遊ぶというよりも、部屋で大人しくマンガや小説を読むことのほうが多かった。学業は優秀だった。好成績のテスト結果を持って帰るたびに両親から大げさに褒めてもらえて、それがとても嬉しかった。
中学まででは良い成績だったが、しかし高校受験に失敗する。
その理由は、家庭環境の変化だった。
両親が離婚した。
年頃の少年は精神的に傷ついてしまう。
離婚後は父親が別居のために出ていき、母親一人でアヤメを育てた。一方で、アヤメにとって父親に恨みはない。あるのは、良い想い出だけだった。
しかし、以前のような明るさと成績は戻ってはこなかった。
県営団地の一室。
リビングのテーブルで、アヤメがポータブルゲーム機を操作している。
画面上に映っているのはドット絵で作られた、どこかの景色。
真っ青な空に、白い雲。どこかの丘の上からの風景のようだ。
見る人が見れば、それはゲーム上でも高度な操作と長い時間を要する大作であることが分かったはずだ。
ゲームのグラフィックではあるが、これは一種の芸術品だ。
そうアヤメは自負していた。
父親がここから出ていく前、アヤメにゲームばかりするなよ、とよく言っていた。
――わかってないなあ。これからの世界は、ゲームデザイナーが動かしていくんだよ。
「よし」
ドット絵の絵画が完成したところで、ゲーム機をスリープモードにさせる。
デイバックを背負って家を出る。
向かう先は、バスと電車を乗り継いだその先にある。
* * * * *
日本清慶大学付属病院。
入院棟のとある病室の前で立ち止まり、アヤメはノックする。
「どうぞ」
中に入ると、そこにはアヤメの母親――東雲景子がいた。
「遠いところまで良くきたねえ」
「まあね……これ」
景子が身を起こしたベッドの脇まで歩き、ここにくる直前まで作業をしていたゲーム機の画面を見せる。
「まあ、これ、アヤメが描いたの? すごいわねえ!」
「コツがわかれば誰でもすぐにできるようになるよ」
「こんどお母さんにもおしえてね。アヤメから借りたのはいいんだけど……機械はさっぱりなのよねえ……」
「入院中のヒマつぶし程度でやればいいんだよゲームなんて」
「そうね、そうするわ。でもほんと、こんなことができるのね、すごいわ」
景子は飽きもせず、ずっとアヤメが描いた絵を見ている。
照れ臭いが、こういう時間がアヤメにとっては幸せだった。
「東雲さん、診察のお時間です」
病室の入り口で、看護師がこちらに声をかける。
「あ、はい、わかりました」
「じゃあ、僕は行くから」
「もう? ゆっくりしていけば?」
「宿題があるんだ。ちょっと寄っただけだから」
「そう……今日もありがとうね」
母親の病室から出たアヤメは、落ち着いた色で統一された廊下を進み帰路に着く。
と、そこで同い年くらいの制服姿の少女とすれ違う。
彼女はイヤホンで音楽を聴いているようだった。
――あれ、この音楽……。
――それに、この制服、僕の学校の……?
思わずアヤメは振り返る。それは彼女の方も同様だった。
「あ、もしかして、東雲くん?」
「あ、えっと……」
耳からイヤホンをはずし、アヤメに微笑みかけてくる少女。
「私だよ。クラスメイトのヒマリ」
「なんでこんなところに……」
「それはこっちのセリフだよ! 偶然だね!」
突然の出会いに戸惑いと動揺を隠せないアヤメはただ挙動不審になるばかりだった。
ニコリとした笑顔のままヒマリはアヤメへと歩み寄り、
「問題! わたしじゃ今日何を聞いていたでしょーか?」
こちらを覗き込む彼女。
「あ……た、たぶん、『secret base』……かな」
「おおう、正解じゃ。さっすが」
なぜ彼女もこの病院に?
アヤメの脳内はその疑問で一杯になっていたが、今はそれどころじゃない。
この異常なシチュエーションをどうにかスマートに離脱しないと。
そのことだけを考えていた。




