9 崖下の死闘
両腕をもがれた僕は何かに掴まることも、縋って減速させることもできなかった。
まるでおもちゃの鞠遊びのように、崖途中の険しい岩山に身体を打ち付けながら落下した。
落下の途中、崖壁面の尖った岩にぶつかる。そのたびに目に火花が散ったように痛みが走る。
何十回ぶつかっただろうか。そのたびに身体中の骨が再び砕ける音がする。
でも、ここで意識を失うわけにはいかない。
まだ、戦いは続いてるんだ。
『影』を……イブキを倒すまでは……!
「ごはっ!!!!」
一際大きな岩にぶつかり、僕の視界は真っ暗になった――。
* * * * *
ヒュルルルル……という風の音が聞こえる。
僕は薄暗い血だまりの中で目を覚ました。
急いで起き上がろうとするも、両腕は先の戦闘で吹き飛ばされている。寝たままの身体がを芋虫のようにごろんと転がっただけの格好となった。
身体中に激痛が走る。
黒い炎で一時的に繋いだとはいえ、全身の骨という骨が折れていることに変わりはないのだ。本来は身動きを取ることすらできないはずだった。
稲妻のような痛みが身体に走り続ける中、もがくように顔だけを動かし、あたりの様子を探る。
ここは深い崖の下。
太陽の光が届かない、暗い岩場の隙間だった。
左右には高くそびえ立つ壁。その壁は平たいわけではなく、ごつごつと大小様々な岩が隆起している。石の固まりが散乱しているため狭く、そして薄暗い。
ヒュルルル……という音がする。
崖の間を通る風の音だ。
身体をくねらせてもがくように天を見上げる。遥か先に、一筋の光が見える。陽の光だ。
あそこが崖上……つまり、僕はあそこから落ちてきたのだ。
ヤツと一緒に。
! そうだ! 『影』は……イブキはどこに!
今更ながら気づいた僕は、急いで辺りを索敵する。
すると。
すぐ先に、崖底にいる僕よりもすこし上の岩場に。
ヤツはいた。
ずっと、僕のことを見つめていたようだ。
「……!!」
燃やされた紋様入りの服を脱ぎ捨て、灰色の軽装に身を包んだその男は、手頃な岩に座り、口元には火のついた煙草をくわえていた。
なぜ襲ってこなかったのか?
僕がこの状況を訝しんでいると、
「やっぱ、手抜きはダメだわ」
煙草の煙をフーと吐きながら、ヤツは演説のように語り始めた。
「お前に近づかれちゃダメだ。ひでえ事が起きる」
もう一息。煙を吐く。
「油断せずに、徹底的に危険視して、対応すべきだったわ」
まだ吸い終わっていない煙草を、地面に捨てた。
「でもそうしなかったんだよなぁ。まあ俺様がオマエをナメてたからなんだけどさ。このクッソ遅れてる文明しかない異世界で、ここまで手強い野郎がいるとは思わないもんな」
ジャリと、革靴で煙草を潰す。
「ノアの忠告をちゃんと聞いときゃよかったよ。俺様も身体中ボロボロだよ。オマエから道連れ落下されたとき、途中でパラシュートを召喚できなきゃ、ホントに死んでた」
どこからか、もう一本煙草を取り出すイブキ。
「そんな危険なヤツを目の前にして、なんでぺらぺらくっちゃべってるのかって?」
そして、また吸い始める。
「まあそのなんだ……認めたんだよ。クソ古臭え時代のザコのくせに、ヤベえヤツだって。オマエは強いって。だから、ちょっとだけ話してみたかったんだよ。オマエをぶっ殺す前に」
『影』の男から、凄まじい敵意を感じる。
崖下に落ちる前。僕の突撃でイブキに触れることができた。しかしその時の黒炎はおそらく、崖を転落していく最中に鎮火してしまったのだろう。
このままじゃ、まずい。
もう僕には何の作戦もない。あの決死の特攻技で終わりだった。何せ今は、両腕がどこかに行ってしまって身動きもできない。
でも、いまのうちに、『影』が話してるうちに、なにか……なにか反撃の手立てを……!
二本目の煙草を口にくわえたイブキは、スッと立ち上がり、
「リロード。M4カービン」
そして、手に出現させた武器を乱射した。
バララララ!!
高音が響き渡り、僕の下半身が、完璧に破壊される。
両腕を失っていた僕は、下半身も消失させた。
「が、あああ、あああああ」
痛みはない。まだ麻痺しているのだ。もうすぐ想像を絶する激痛が襲ってくるだろう。
その前に、連射による攻撃で僕そのものが粉砕されるかもしれない。
イブキが再度武器を構える姿を視認する。
――くそ、くそっ!!
――ここまでなのか……!
――諦めたくない!!
そして。
敵の追撃は襲ってこなかった。
「なあ、ピラルクって知ってるか?」
え?
「ゴフッ……。な、なに……?」
思わず、吐血でいっぱいの喉から疑問の声が出る。
こいつ、なにを……?
とどめを、刺さないのか?
「一億年以上も形をかえてない古代魚なんだよ。俺様のペットなんだけどな、これがまた可愛いんだわ」
「……」
「でもさ、ピラルクってのはさ、永遠に人間様の考えってのは理解できないわけ。あいつらからすると、餌代を払えないとか、引っ越しで水槽がもう置けなくなったとかの理由で、いきなり水ん中に毒をぶち込まれたとしても、どうしてそんなことをされたかなんて、分からないまま死んでいくんだよ」
本当に、口数の多いヤツだった。
「あいつらにとっては人間様は超越的存在だからさ、こればっかりは仕方ないよな」
今この間にも、どうにか血路を開こうと思案する。しかし燃えるような痛みが、身体中を蝕み始めた。
ダメだ……何も……。
「戦争だってそうだ。どうあがいても生き残れないところを進まないといけねえ。それが末端の兵士ってもんだ」
何も、思いつかない……。
「ま、偉そうにいってるが、俺様にその経験はないけどな」
本当に良く喋る。
勝利を確信しているからだろう。
そしてその確信を覆す手段が、今の僕にはない。
これで、終わりなのか。
「まあいい。とにかくな、お前この戦いも、そうだと思わないか? 俺様が、なぜおまえを殺そうとするか、理由がわからないだろ? それでいいんだよ。話したところでわかるわけはない」
――いや、待て。
――良く喋る、だって?
つまり……それはどういうことだ? 何か引っかかる。僕は燃えるような痛みで意識が飛ぶのを必死に押さえ込みながら考えをまとめていく。
リリカも、こいつも。
実のところ、『影』は僕たち人族とあまり違いはないように思える。異世界からやってきたにもかかわらず、『影』族(とひとまず呼ぼう)は魔族や精霊族よりも人族に近い。
リリカもイブキも炎を熱いと感じたし、それを鎮火しようとしてリリカは氷の魔術を使ったし、イブキは服を脱いだ。
つまり、暑がったり寒がったり、楽に感じたり苦しんだりも、全部僕たち人族と同じってことなんじゃないのか?
「それほどの、超越された残酷な差ってのがあるのさ。ピラルクと人間なら言葉も通じねーしわかりやすかったんだが、オマエらって中途半端に見た目俺様達と似てたり言葉がわかったりするだろ。だから勘違いしちゃったんだよ。その勘違い、俺様が正してやるから」
なら、だとしたら。
やってみる価値はある。
幸い、僕の両腕はもがれ、胴体から下は吹き飛ばされて、その血だまりは大量にあるんだから。
「いい加減、楽になれ」
あとは……あれが必要だ。
頼む、あれがもう一度!
もう一度だけ、来てくれれば……!
神頼みなんて、できる立場じゃないのはわかってる。
でも今は、どんな存在にでも縋りたい。その一心だった。
アーシア神様には、もう愛想を尽かされているだろう……。
なら、僕が祈るのは別の神だ。
僕の……僕の闇の神よ。
闇の神、アーク・リッチよ。
僕に、幸運をーー。
いや、悪神の運を僕にくれ!!
そのとき。
「じゃあな」
『影』の男が武器を構え最期の掃射をする直前。
ヒュルルルル……と風の音がした。




