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1 メアリーという少女

 

 リーバイン神皇国のはずれにあるヴルカン村は、気候は温暖で過ごしやすい。


 だけど険しい山岳地帯の合間にあるからとても不便だ。村を興したご先祖さまはなるべく高い山に登り、少しでも神に近い位置で集落を構えようとしたらしい。敬虔な行いの結果だと神父さまには教えられたけど、僕は半信半疑でその昔話を聞いていた。


 生活の利便さだけでなく、村の安全を考えてもリーバインの城下街に近いところを選んだほうが良いに決まっている。もしも野獣が村を襲ってきても助けを呼べる。隣国から侵略者が来たとしても、城下街に近いほうが兵士さまたちが駆けつけてくれるからだ。


考えたくないけど、村人同士で争いや諍いが起こったときも調停役として期待もできる。こんなに街道から離れ、さらにその山奥に入り込んだところに村を構える大変さを考えると、信心深さの為せる技というには説得力に欠ける。つまり、村誕生の逸話はあやしいものだと思う。


 事実がどうかはさておき、村が辺鄙な場所に作られたことにはかわりない。そのおかげで、他の地域との交流の機会も少なかった。


 だから村人同士での結婚が当たり前だったし、村で育ち、村で生業を立て、村で死んでいくという暮らしがごく当たり前だった。村人の中には都会まで出稼ぎに行く者もいて、帰ってきた彼らは総じて垢抜けた風貌になっていた。


皆から羨望の眼差しで見られ、まるで英雄扱いだ。僕も一応、リーバインの近衛騎士団の試験を受けに城下街に行く予定があったから、羨ましがられたりもした。……誰も本当に受かると思ってはいなかっただろうけど。


 閉鎖的環境にならざるを得なかった僕の村には、『ナキネズミの手紙交換会』という催し物があった。

 一輪廻に一度、ナキネズミ月に行われる若者向けの行事だ。


 その一月だけ、村の中央通りの目立つところに鳥籠くらいの大きさの木の箱を据え置く。動かすことができないようしっかりと近くの大木に鎖で繋がれる。


 箱の上蓋部分には細く隙間が空いていて、細長いものなら箱の中に投げ入れることができた。しかし箱は施錠されており、村長である神父さま以外は開けられない決まりだ。


 ナキネズミ月の一日目に、村の若者たちがその箱に手紙を投函する。自分が好意を持つ異性への想いをしたためたものだ。ちなみに、もうすでに恋人がいる若者は投函することはできない。


 手紙は数日以内に想い人のもとへ届けられ、十日目までに返答が木箱へ投函される。

 返答が好意的なものであれば晴れて恋人同士……となる最初の第一歩を踏み出す約束を交わすというわけだ。


 村の若者たちも当初は無理矢理参加させられて気恥ずかしそうにしていたという話だったけど、今ではこの交換会はアーシア神さまの降臨祭と同じくらい若者の間で定番の行事になっていた。そこで成就した恋人たちは翌月にみんなで祝福するお祝い会も開かれ始めた。


 村の閉鎖的な環境で育った村民は皆引っ込み思案で大人しかったから、こういう強制的な繋ぎ合わせがなければ村の人口は減る一方だったろう。


 今覚えばこの催し物は、大人たちが頭を捻って考え出した村存続の秘策だったように思う。実際この催し物は功を奏し、村はある程度栄え続けた。


   *  *  *  *  *


 メアリーという女の子がいた。


 僕より五輪廻年下で妹のマリィと同い年。栗色で長い髪の少女で、小麦農家の子供だった。彼女は家の手伝いでスウェインおじさんのパン屋へよく小麦を届けにきていた。僕とマリィはそのパン屋へ入り浸っていたから(裏手で余ったパンをもらっていたからだ)、自然と顔見知りになった。


 年は妹のマリィと同じだけど、性格はまったく違っていた。メアリーはおとなしくて怖がりだった。


 こんな逸話がある。村の外れにある湿地帯でマリィとメアリーの二人がそこでしか採れない花を探していた時のことだ。その花はコトリバナと言って、名の通り羽ばたく小鳥のような形に花を咲かせる植物だった。


 縁起の良い見た目から、村の催事で重宝されているコトリバナ。それを探していた二人なんだけど、近くの茂みから突然獣が飛び出してきて、二人を威嚇しはじめた。獣はマダラトゲイノシシ。縄張り意識が強い習性があるから、おそらく餌である湿地帯のキノコを盗られると誤解したのだろう。メアリーはあまりの恐怖に泣き叫んだ。


 一方の僕の妹は、持ち前の肝っ玉を発揮して冷静に対応した。メアリーの手を引き、優しくあやしながら、そっと静かに後ろ歩きで獣の縄張りから離れていく。


 そうして、ゆっくり慎重に後退し、無事獣の敵視圏内から抜けられた――そのときだった。後ろ歩きで死角となっていたせいで、マリィの左足が泥濘(ぬかるみ)にドップリとはまってしまう。体勢を大きく崩した妹は、泥の沼に手をつこうとするが、その先には、不運にも泥濘(ぬかるみ)に沈み隠れていた切り株があった。木こりが斧で切ったような滑らかな断面のものではなく、落雷か獣の突進で根本から強引に倒されたものだったのだろう。鋭利な幹がトゲのように尖っていた。


 ヴルカン村には、メアリー一人が走って帰ってきた。気が動転した様子の彼女は、大人を急いで湿地帯に向かわせて欲しいと懇願した。村の大人たちはすぐに救助隊を選抜し、湿地帯へ向かった。


 果たして、マリィはすぐに見つかった。彼女は湿地帯すぐ近くの大木の下で休んでいたようだが、気力を振り絞って起き上がり、ヴルカン村まであと少しまで地力で戻ってきたところを村の大人たちに保護された。妹の左脇腹は血塗れで、着ている服は真紅に染まっていた。


   *  *  *  *  *


 僕が教会の勉強会から帰ってきて、マリィからことのあらましを聞いたのは、すべてが終わった後だった。本当に心臓が止まりそうだった。大怪我を負って痛々しい包帯姿のマリィは、激痛を伴っているはずなのに笑顔でこう言った。


 ――これでイノシシの縄張りも、危ない切り株の場所もわかったし、またいつでもコトリバナを採りに行けるわ。


 もちろん、それを聞いたかあさんは大慌てで叱り始めた。……オドオドしてる僕の妹とは思えないくらい、マリィは度胸が座ってるんだ。


 それ以来、メアリーにとって、マリィは命の恩人になったんだ。


 ……ええっと、もうすこしだけ、栗色の髪の女の子の話してもいいかい?


 彼女の両親は、農作業と小麦挽きをしているせいで夜遅くまで帰ってこない。だからメアリーは、陽が落ちて少しずつ暗くなる中で一人誰もいない家で待つのは寂しくて怖いの、とよく話していた。


 僕はマリィと相談して、彼女におまじないをかけることにした。このおまじないはかあさんから教えてもらったものだ。


 マリィはメアリーにお伽話をしはじめた。


 ねえメアリー。知ってた?

 夜になると世界が暗くなるのは、アーシア神さまに仕える使徒さまの一人が、私たち人族のみんなに見せたいものがあるからなんだって。


 何かわかる? ……ふふ、違うわよ。正解は、お星さま。

 せっかく夜空に浮かぶ星々を作ったから、使徒さまはみんなが見てくれるようにわざわざ一日の半分を夜に変えているんだって。


 だから、夜になったらその使徒さまはわくわくしながら私たちを見てるの。びっくりしてくれるかな、手を叩いて喜んでくれるかなって。あまりに楽しみすぎて、その使徒さまは他のお仕事の手を止めて待っていたから、アーシア神さまによく怒られたんですって。


 とってもおかしいでしょ? だって使徒さまなのよ? 私たちのことをそんなに気にしてたなんてこっちがびっくりだわ。あなたが怖がる夜を、使徒さまは今か今かとずっと待っているだなんて。あなたが怖がる夜を、とっても楽しみにしていたことだったなんて。


 でもたしかに、私たちだって降臨祭の夜はすごくドキドキするものね。


 暗くて寂しい夜と、ずっと楽しみにしてる夜。


 同じ夜なのに、どう思うかで全然違うってことなのね。


 だからね。今日の夜も、怖がる必要はないの。


 使徒さまご自慢のお星さまを見上げながら、のんびりと待ってましょうよ。


 ――おまじないを聞き終えたメアリーは、あっけに取られた様子でぽかんとしてたけど……次の瞬間、僕とマリィに抱きついてきた。

 ――うん! 今ので夜は怖くなくなったわ! とっておきのおまじないね!

 ――何度でも、わたしを助けてくれるのね……本当に、マリィはすごいわ。


 命の恩人は、大親友になった。


   *  *  *  *  *


 そのはずだった。


 いつの頃からだっただろう。

 メアリーと疎遠になったのは。


 孤児として村にやってきたシャル。彼女の両親の死因が一人歩きして悪意ある噂になった。『魔女の疫病がうつる』。


 僕とマリィが、シャルと仲良くしていると知って(いや、正確には誰かが告げ口をして)、メアリーは僕らを避け始めた。


 酷い話だった。今まで命の恩人だと言ってあれほど慕ってくれていたのに……。


 ただ、無理もないとも言える。なぜならこの閉鎖的なヴルカン村の大多数の住人も同じ考えだったから。

 妹は、メアリーのこの残酷な掌返しにもあっけらかんとしたものだった。


 ――お兄ちゃんはシャーロットさんを信じるんでしょ。なら、私も信じる。

 ――でも、そうはいっても私たちから離れていく人たちもいると思うの。それが今回はメアリーだったというだけ。


 ……ちょっと、僕の妹にしては出来が良すぎないだろうか。その言葉を妹から聞いた時、思わず涙ぐんでしまうほどだった。


 そして。

 ――仕方ないわよ、ユーリィ。……それに……ごめんね。

 シャルは僕らによくそう言ってきた。


 けど、僕は認めたくない。

 そう、認める必要もないんだ。


 だってそのあとシャルは、悪意ある噂をきちんと吹き飛ばしたんだから。降臨祭の賛美歌ではシスターたちの中央で歌うほどみんなから慕われる少女になったのだから。間違っていたのは村のみんななんだ。


 本当に、あのときのシャルは立派で最高に格好良かった。みんなからの悪意をあんな形で消し飛ばすなんて! シャルといい、妹といい、どうして僕と親しい女の子は、僕よりも勇敢なんだろう……。


 っと、シャルの武勇伝については、また今度にするよ。

 話を戻すね。


 シャルを取り巻く悪意が消えたあと、しかし僕らとメアリーの仲が戻ることはなかった。もしかしたら、過去の自分が命の恩人に向けてしまった未熟な態度と向き合うことが辛かったのかもしれない。マリィも、ああは言ったものの、疎遠となったメアリーとすれ違うたびに、どこか残念そうだった。


 でも、今年の『ナキネズミの手紙交換会』で。

 栗色の髪の少女から、手紙をもらった。そこには、今まで僕らを避けてきたことを謝罪する内容が書かれていた。命の恩人に対して冒してしまった過ちを心から悔いているようだった。


 本来は想い人へ自分の気持ちを伝えるための手紙だ。だけどそういったことは書かれていなかった。

 ただ、そんなことは関係ない。


 木箱に入れる手紙には、素直な気持ちを、普段なら伝えられない気持ちを伝えればいいんだ。こんな素敵な使い方、最高じゃないか。


「今度は、みんなで夜のお星さまを見上げよう。僕とマリィと、きみで」


 メアリーからの手紙に僕はこう返した。妹が絵具で描いた、鉢植えから咲くコトリバナの絵を添えて。

 数多の星々が輝く夜空を見上げながら笑いあえば、もう一度仲良くなれるかもしれない。


 僕と妹の返信を読んだ彼女は、夜中に家を抜け出して冒険することをとっても楽しみにしていたみたいだ。


 あとはその日を三人で決めるだけ。


 いつもはできない冒険にマリィと二人でワクワクしていた。


 そんなメアリーとは、もう会うこともない。


 もちろん妹のマリィとも。


 なぜかって?


 燃え尽きて灰になったからだ。

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