8 精霊の少女 その④
これが、精霊の里に建てられた巨大な石碑に記されている創世記の全文だ。
何百輪廻も前のものであるにもかかわらず、朽ちていく気配すらない。
シャーロットは不思議そうにその石碑に刻まれた文字をなぞる。
「所詮は言い伝えだ。今の精霊どもは、むしろ魔族以上に人族を敵視している。とくに若いやつらを中心にな」
隣に立つ赤毛の少女――ロラマンドリが腕組みをしながら言い放つ。
「……そうなんですか……」
「これも大昔のことだが……人族の王に魔術の体系書を売り込んで、財を築いた魔族のほうがむしろ人族とはうまくやってるだろ。その石碑に書かれていることは、おとぎ話だよ」
精霊の里には、古来よりの生活が残っていた。天まで伸びんとする世界樹を取り巻き、樹木でつくられた町が広がっていた。
あるところには兵士たちの訓練場があり、木々を飛び移る配達員たちの集荷場があり、市場では絨毯のようなものを広げて、そこで物品を売る精霊がいる。どこかヴルカン村のお祭りを思い出してしまう懐かしさがそこにあった。
「ん……もうそろそろ入ってもいいようだ。いくぞ」
ロラマンドリが石碑を見る少女に声をかける。
石碑から少し離れた巨木の根本、そこに備え付けられた扉から大人の精霊が顔を出し、こちらに向かって手招きをしている。
二人が巨木の扉の中に入ると、そこは精霊の里の中でも特別な空間のようだった。
樹木でできた巨大なベッド。それを透明な膜が覆っている。
その中には、ユーリィが寝かされていた。
もちろん意識は、まだ無い。
少年の口元には、葉っぱでできたマスクのようなものが付けられている。そして、植物のシダのような細い管が、彼の全身のいたるところに突き刺されていた。ベッドを覆う透明な膜の内側は、液体で満たされている。すこし黄色がかっているから、樹液かなにかだろうか。
ベッドの脇には、精霊の長、そして医者と思しき精霊数名が取り囲んでいる。
彼らの会話が、部屋に入ったシャーロットにも聞こえてきた。
「ここまで蝕まれて、よく人の形を保っているものだ……」
「はい。本来であればすでに人体は破壊され、霧散しているはずです」
「ふむ……。いかなる傑物だったのやら……」
医者精霊の一人が、ベッドの近くまでやってきたシャーロットに問う。
「人であったころ、彼は何を? 高名な退魔師ですか?」
「ユーリィは……平凡な鍛冶屋の息子です」
「信じられん……この少年は想いの強さだけで耐えているということか……」
驚愕する精霊を尻目に、ロラマンドリが精霊長に尋ねる。
「……で、どうなの?」
「この少年の身体を蝕む刻印の浸食……まずはこれを止めねばならん。しかし、その浸食速度が速すぎる
」
「浸食を止めることができれば、ユーリィは目を覚ますんですよね」
幼馴染の少女が不安げに問いかける。
「我が精霊の里でもっとも優れた治癒を行っているが……このままでは自我は崩壊し、身体は闇に堕ちるだろう」
精霊の長は、苦悩の表情で告げる。
「そんな……!」
たしかに精霊の里の医療技術は特筆すべきものだった。幼馴染の少年を検査する前に、シャーロットの右脇腹の傷はすでに医者精霊の手にとって治療が施されていた。ロラマンドリの応急処置も相まって、もうほとんど痛みは無くなっていた。
「……ふん」
赤毛の少女が、精霊長の言葉を受けて、すこし思案しながら、
「ねえお兄ちゃん。もうこいつは人でも魔でもないわ。どのみちいちかばちかの治療よ。だったら、『あの手』はどう?」
年頃の少女のような口調で提案する。
精霊の長は目を見開き、
「あの手……お前、本気か? あれは我が精霊族の身体への負担が強すぎる」
「お兄ちゃん、忘れたの? 私は半魔半精よ。いまさらなにも怖くはないわ」
「……ローラ……」
精霊の長は妹を愛称で呼び、しばらく沈黙した。
そして、言葉をひねり出すように、
「ローラ。お前はこの里へ、二度と帰ってこないと思っていた。一族との因縁も忘れていないはずだ。なのに、お前は頭を下げ、頼みにきた。……お前をそこまでさせる、この少年はいったい何者だ?」
その問いかけには、シャーロットも同感だった。精霊の長と共にロラマンドリの答えを待つ。
「べつに。いったでしょ、ただの平凡な人族ってだけよ」
精霊の長は、赤毛の少女をまっすぐ見据え、
「……そうか」
なにかを得心したような顔をした。
「もう止めはしない。『あの手』を、やってみるがよい。『因果共鳴』を」
「……ふん」
「準備を頼む」
精霊の長が指示すると、医者精霊たちが部屋を足早に出て行った。
「……?」
「では、あとはまかせる」
部屋から精霊の長も出ていく。
「いったい、なにが……?」
ゴクリとつばをのむシャーロット。




