5 精霊の少女 その①
早朝。
一晩飛翔し続けた赤竜がバサリバサリと翼をはためかせ、大きく拓けた草原に降り立った。
シャーロットもそろりそろりと、ロラマンドリの背中から草原に足をつける。
巨大な竜が鉤爪で器用に、運んできた荷物を脇にそっと転がす。この中には、瀕死で意識不明のユーリィと手土産が入っているはずだ。
もちろんこの草原は人族の少女にとって未開の地だ。彼女の目算では、リーバイン神皇国を南西に数カ国飛び越えた辺境の地。ヴルカン村の中央通りに面した武具屋の壁に掛けられた世界地図でも、このあたりの詳細は描かれていない。
測量どころか伝聞も辿れなかったのだろう。地図では大きな雲に隠されており、どんな場所か想像もできなかった。
シャーロットが周囲を見渡す。周りは険しい山々に囲まれており、その手前は断崖絶壁と言っても過言ではない深い谷があった。この草原はいわば盆地のような場所で、人族が住んでいる気配は感じない。
一方のロラマンドリ。
高速かつ長距離の飛行を一晩中こなした火蜥蜴の魔力は尽きつつあった。
赤い竜がすこし悶えるように身をよじると、その身体はどんどん小さくなっていき、ユーリィたちが出会った時と同じトカゲの姿に戻る。
「きょろきょろするな。こっちだ」
自身の身体変化をまったく意に介さないロラマンドリが、草原をチョロチョロと進んでいく。
「え、でもあの、ユーリィが……」
「心配いらん。すぐそこだ」
「……?」
――すぐそこって、見渡すかぎり草原しかないけど……。
そんなシャーロットの心の声が聞こえるはずはなく、トカゲは草原の南のほうに向かっていく。
しかし南には、遥か先に深い谷があるだけだ。
訝しみながらもあとを追う少女だが、意に介さずトカゲは先へと進む。
そして数瞬の後――。
「ここだ」
何もない草原のど真ん中で止まるロラマンドリ。
「?? ここって、何も――」
と非難の声をあげようとしたシャーロットが、なにかに気づいた。
「!!」
目の前に、うっすらと、透明な膜がある。
「これは……?」
すぐ近くまで来て目を凝らさないとわからないが、透明だが明確にそこに膜が存在する。光の反射角度がほんのすこしずれているから、かろうじて認識できたのだ。
少女がまじまじと凝視すると、その透明な膜は上に行くにつれ奥に向かって緩やかに曲線を描いていた。たとえるなら、球体の上部分だけの、あまりに大きなシャボン玉がこの盆地の一地域をすっぽり覆っているように見えた。
警戒よりも興味が勝り、シャーロットはゆっくりとその膜に触れてみる。柔らかな弾力があった。巨大なシャボン玉が、割れずにずっとそこに残っているような、そんな感覚。
と、少女の足下にいるロラマンドリが、先端に炎を灯したしっぽをつかって透明な膜に何かを記している。
もちろん、いたずらや落書きでは当然ない。
これはおそらく、解術の呪文。
この透明な膜、半球体は、隠蔽の魔術なのだ。ここを草原だと思わせて、なにかを隠している。トカゲの真っ赤に燃えるしっぽが解術文句を透明な膜に刻み込んでいく。
足下が大量の文字で埋まったそのとき、透明な膜が、パチンと弾けた。
「え……!?」
透明な膜越しに広がっていた、険しい山々や深い谷、足下に広がる大草原は、シャボン玉に映る景色が弾けるように消失した。
目の前には、鬱蒼と生い茂る、深い深い森林。
その中央には、森の中からさらにそびえるように天に向かって伸びる、巨大な木。
木々の奥は早朝の光も届かず薄暗い濃緑色で染められている。
ここは、険しい山々に囲まれた草原ではなかった。
樹木がすべてを支配する、人跡未踏の隠された森の大地だった。
「いくぞ」
ロラマンドリが淡々と指示を出す。
「ト、トカゲさん、これは……あの大きな木はまさか……」
「ふん。貴様ら人族の中でも寓話できいたことがあるだろう。世界樹だ」
「……!」
「人族。こっちだ。さっさとこい」
少女の驚きをよそに、ロラマンドリは、薄暗く深い森の中に入っていく。
シャーロットは必死であとを追いかけながら、この地に降り立ったときから感じていた疑問をようやく口にする。
「あの、トカゲさん。ここが、精霊の里、なんですか?」
「そうだ」
「トカゲさんは、なぜこの場所を……存じなのですか?」
赤い火蜥蜴はごく自然に答える。
「生まれ故郷だからだ」
「! 生まれ、故郷……!」
何度目の驚きか覚えられないシャーロットを尻目に、火蜥蜴は樹木に覆われた苔むした大地をチョロチョロと進んでいく。




