2 夜空への飛翔 その① ★挿絵アリ★
「……――い、おい……おい、起きろ人族!」
少女の目がハッと見開く。
目の前には、赤黒く不気味な顔をした――
「ト、トカゲ、さん?」
「今、ギョッとしなかったか?」
「い、いいえ!」
シャーロットは、自身の身体の上に乗ったロラマンドリに驚いたことは伏せ、ごまかした。
「まあいい……。やっと目が覚めたようだな、人族」
「そうよ、あの『影』は……痛っ!」
「貴様は腹に致命傷を負っている。治癒魔術はかけたが応急でしかない。傷が開くからあまり動くな」
その言葉の通り、少女の右脇腹の出血は辛うじて止まっていた。
ロラマンドリが珍しくいたわりの言葉を紡ぐ。
「……あの女の『影』は、貴様が倒したよ。よくやった、人族」
「……!!」
歓喜で涙が出そうになる。
「やった! やったわ! いつつつつ……」
「だから言っておろう馬鹿者め」
火蜥蜴は呆れながら、
「ふん。重傷なのは貴様だけではない。早急にあやつも治療する必要がある」
ロラマンドリは、「あやつ」のタイミングで首を横に向けた。
その方角に三つ編みおさげの女の子も顔を向ける。
戦いの爪痕を残すギルドの館内、少女から少し離れた場所に少年が倒れている。四肢は無事に繋がったらしいが、意識は戻っていないようだ。
「石の柱から抜け出たはいいが……かなり事態は深刻だ。いっこうに目覚めん。しかも、あやつの身体の浸食具合は相当なものだ」
朱鷺色の髪の少女は右脇腹の痛みを堪えながら、ゆっくりと起き上がり幼馴染の少年の様子を見る。
「これは……!!」
彼の顔半分に刻まれた刻印が、さらに広がっていた。今は服に隠れて見えないが、この調子では身体の刻印も相当広がっていることだろう。幼馴染の少年の地毛色である、亜麻色の髪の毛にすら、赤黒い浸食が広がっている。
意識が戻らないことも、少女の不安に拍車をかけた。
「ユーリィ……」
「ふん。このままでは、この人族は魔獣と化すな。いや……魔獣でもない……『虚ろな者』か」
「そんな……!」
「不死であろうとも、自我を保てなければ、ただの狂った化け物だ」
「どうにか、どうにかならないんですか? そうだ! マリアンさんのところに連れて行けば……」
「ふん。我が主を便利屋扱いするな! こやつの身体は主でも無理だ。たしかに治療が必要だとは言ったが、こんな呪詛付きの人族なぞ、もう手遅れだ。どこに行っても――」
「トカゲさん?」
赤いトカゲが言葉を途中で止めた理由を問うシャーロット。
ロラマンドリは赤い舌をチロリと出しながら思案するように、
「いや、一つだけ、あるな。この人族の身体を回復させる手立てが」
「本当ですが、それはどうすれば!?」
「しかしこの方法は……」
言い淀むロラマンドリ。歯に衣着せぬ言動をしてきた火蜥蜴にしては珍しい立ち振る舞いだった。
「……まさかマリアン様、この事態を見越して我を人族のもとに寄越したのですか……?」
そして火蜥蜴はここにいない主人へ向けてボソリと問いかける。
「……?」
相変わらず状況が呑み込めない少女。
ロラマンドリは、ふー、とため息をついて、
「このとっておきを貴様ら人族のためにつかうことになるとは……過去の我が知れば嘆き悲しむであろうな……」
「とっておき、ですか……?」
シャーロットとユーリィから、なぜかトカゲは大きく距離をとる。
「これは膨大な魔力を使うゆえ、数輪廻に一度しかできぬ秘術だ。そのことを重々理解し、感謝するように」
「は、はい」
素直に受け入れる幼馴染の少女。
「我が火蜥蜴族は気高く慈悲深き種族である。ゆえに手を差し伸べるのだ。たとえ金貨をいくら積まれても、貴重な魔道具をいくつ貢がれても、美味である赤ナツメグをいくらもらっても、本来は首を縦に振らぬ、ありえぬことだと心得よ」
「……はい」
「にもかかわらず、たかが人族のために今から貴重な魔力を大量に使い、秘術を唱えてやるというのだ。これは貴様らでいうアーシア神の恵みにも等しい、奇跡の施しであることを――」
「……いいから早くやって」
さすがに穏やかなシャーロットも苛立ちを隠せずに先を促した。
「ふん。おい人族。隣で寝ている不死の人族を引っ張って、今よりもさらに離れていろ。そのほうが安全だ」
「え……?」
「いくぞ」
ロラマンドリが長い長い魔術の詠唱を始めた。
たっぷり一〇〇句はあっただろう。
その最後までを唱え終えたその次の瞬間。
ぐぐぐぐぐ、と。
大柄な男性なら手のひらにちょうど乗るくらいの大きさだったトカゲが、みるみるその全長を伸ばし始める。
「え、え、ええええええ!?」
唖然と驚く少女を尻目に、まだまだ体積を増やし続けるロラマンドリ。
少女は、倒れたままのユーリィを引きずって、巨大化し続ける火蜥蜴に押しつぶされないように急いで後ろに移動する。
そしてついに。
大きく育ちきったロラマンドリの長い首と頭部、そして同じく長く伸びた尻尾が、このギルドの館の屋根を突き抜け、破壊した。
手のひらサイズの火蜥蜴は、身の丈が人族何十人分もある巨大な赤竜と化した。
「乗れ」
「……わお」
シャーロットは右脇腹の痛みを忘れて声を上げた。




