3 覚醒前夜 その③
日が暮れれば戸締りをし、滅多に出歩かない。自警団による見回りくらいで、夜はとても静かで昼間の賑やかさは息を潜める。それが普段のヴルカン村だ。
でも今日は違う。
年に一度の降臨祭、ヘビウサギ月の一日目。夜からが本番だ。
アーシア神さまが天界からやってきたその日、この世界の天地が創造された。女神さまは十二人の使徒を従えてた。そのうちの一人が、アーシア神さまが創られた生命に向けて、優しく歌を歌っていた。
その歌には人族の心を穏やかにさせる意味が込められたと言われている。今日この教会で歌われるのは、その歌への感謝を込めたアーシア神さまの賛美歌だ。
「すごい……大盛況だ……。村にこんなに人いたかな……」
朝の鍛錬と昼の食料探し(ただし釣果はゼロ)から帰ってきた僕は、思わずそう独りごちた。
中央通りに面する教会は、煌々と灯りがともり、たくさんの人間が集まってきている。
「教会から歌声が聞こえる……もう始まってるんだ!」
急いで中に入る。ただし大きな音を出すわけにはいかないから、こっそりとだ。
正面の扉をゆっくりと静かに開ける。
すると教会の最奥、アーシア神像が控える祭壇で、複数の村の女性が白と黒の衣装に身を包み賛美歌をうたっているのが見えた。
「(シャル! さすがだ!)」
僕が心中で興奮してしまったのは理由がある。
祭壇に立つ女性陣の真ん中には、シスターとしての正装、そこに豪奢な髪飾りをつけたシャーロットが立っていた。
「(一番重要な役割じゃないか、すごい!!)」
おっと、見惚れてる場合じゃなかった。
僕は村人でぎゅうぎゅうに満たされた列席の中、低い姿勢で目当ての集団を探す。
「(いた!)」
こそこそと目的のほうに向かう。彼らが座る際に確保してくれていたのだろう、空いている一席に腰を下ろした。
「(お兄ちゃん、ほんっとサイテー)」
座った隣から、妹のマリィが冷ややかな視線を寄越してくる。そのさらに隣には、僕の両親、そしておばあちゃんが座っていた。みんな普段よりもきちんとした正装姿で、鍛錬帰りの軽装なのは僕だけだった。マリィでさえ上下合わせた可愛い洋服に身を包んでいた。
「(賛美歌には遅れる。着てるものはいつもと一緒。おまけになんかちょっと臭い……。サイテーの中の超サイテー)」
「(ご、ごめんよ……マリィはとっても似合ってるね)」
妹はそんな僕の言葉にため息をつきながら、
「(ほんっと、なんでこんなお兄ちゃんがいいんだろ。シャルさんって物好きね)」
「(え? どういうこと?)」
「(ほら、ユーリィ、マリィ、前を向きなさい)」
かあさんに諭され、祭壇の方に向き直る。
その通りだ、兄妹で無駄口を叩いている場合じゃなかった。
「(うわぁ……!!)」
賛美歌は終盤に差し掛かり、幼馴染の少女の独唱が始まっていた。
『悩み 苦しみ 悲しみ 過ちも犯す
業深き我ら 信じて待つ それは祈り
アーシアさま 慰めたまえ 導きたまえ
天空と大地 包み込む 慈愛と共に 』
「(綺麗だ……)」
天使のような歌声だった。
小さな頃からいつも一緒に遊んでいた、あのおてんばシャルの面影はどこにもない。
実は彼女は、神々の使いとしてこの歌を人族に授けるために降臨した使徒だったのですと言われても、素直に認めてしまいそうなくらい、その音色は美しかった。
と、祭壇中央で歌う少女が、その薄翠色の瞳でこっちを見たような気がする。
目があった緊張で、なぜか僕の身体が固まった。
独唱中の彼女が、慈悲に満ちた優しい微笑みから、すこし苦笑いに変わったような気がした。
それを見た僕も、釣られて苦笑いをする。
心がお互いに通じ合った……ような感覚。いつもシャルとの間で感じてるものだ。
すごく安心できる、幸せな瞬間。
それから僕は、幼馴染の少女の美声に酔いしれてゆっくりと目を閉じた。