3 闇の神の力 その③
僕は、右手にギチギチに巻いていた包帯をはずす。
村が炎上した日、あの黒いフードローブが持つ奇妙な錫杖によって手の甲が穿たれた。
しかし、今その穴は完全に塞がっている。
太ももの負傷も、もう痛みは感じない。こっちも綺麗に治っている。
僕は全回復した右手を強く握りしめ、もう一度開く。
これが、闇の力……?
何度かそれを繰り返していると……。
乗り合い馬車を引く巨大な栗毛馬がヒヒン! と嘶き、その足を止めた。
木造張り板の隙間から、外の景色を窺う。
いつのまにか山間の街道は平坦な道なりに変わっていた。
馬車が止まった場所は、リーバイン神皇国の中心部である城下町へ続く関所前。
どうやら関所の衛兵が馬車の運転手に何か聞き取りをしているようだ。
前方から、衛兵らしき無骨な男性の声と、気弱そうな馬車の運転手の声が聞こえて来る。
「通行証をみせろ」
「へ、へえ……こちらになります」
貨物部分に乗る他の乗客も息を殺して状況を見守る。
「積み荷はなんだ」
「地方からの出稼ぎたちと、その家財道具ですだ」
「……点検する」
ドスドスドス! と、衛兵たちが二人、断りもなく積荷部分へ乗り込んできた。
そして衛兵の二人が背を低くし、道を空けるように広がる。
その奥から、老年の導師服の男が乗り込んでくる。
この装備は……リーバイン軍直属の退魔師!
ヴルカン村が燃えるまでは、リーバインの近衛騎士団入団試験を受けようとしていた僕だ。一目見て、老年の男が高位の術者であることを悟った。
乗客たちはいっせいに不安そうな顔を見せる。もちろん僕もだ。
「ううん……ユーリィ?」
「しっ。静かにシャル」
寝ぼけ眼の彼女の頭をそっと押さえ、僕らは存在を殺すように小さく蹲る。
屈強そうな衛兵二人を両脇に従えた老退魔師は、懐から掌大の水晶体を取り出す。
乗客がすし詰めになっている貨物部分を、老退魔師が衛兵と共に検閲するようにゆっくりと歩く。
ビクビクする乗客に紛れ、生唾を飲みこむ。
歩を進める老退魔師が、僕の前までやってきた。
ゆっくりと目の前を横切る。
瞬間。
「この者、魔族じゃ!」
老体魔師の水晶体が、黒く濁った。
「くっ!!」
僕はとっさに羽織っていたローブを翻し、老退魔師に投げつける。
「ぬおっ!?」
「ほら、はやく!」
老退魔師がひるんだ隙に、幼馴染の少女の手をとって低姿勢のまま衛兵たちの脇をすり抜け、二人で馬車から脱出する。
「魔族だ! 魔族がいたぞ!」
馬車の中から衛兵の声が響く。
当然だが関所には大勢の衛兵が駐在しており、この馬車の周りも例外ではなかった。
しかし、突然の逃走劇に面喰らったのか行く手を遮ろうとするものはまだいない。
「魔族だって!? どこだ!!」
「あの飛び出してきた二人組だ!! 逃がすな!!」
「お、おい、あいつの顔!!」
みな、僕の姿を見て驚いている。
無理はない。闇の神と契約した僕は、顔半分に黒い炎の刻印がなされているのだから。
ようやく追跡を始めた衛兵たち。しかし捕まるわけにはいかない。
シャルの手をつかんだまま、一心不乱に関所の向こう側を目指して走る。
門の直前までやって来たところで、ついに関所を守る衛兵が立ち塞がる。
「……!!」
左手で幼馴染を連れ走りながら、僕は腰に備えていた剣の柄を右手で握る。
初めて、人に向ける剣だ。
意を決して、念じる。
迷うな――行け!!
僕が右手で剣を抜いた――瞬間、
僕の右腕の、肘から下が切り落とされる。
「!!」
「ユーリィ!!」
何者かが横合いから切りつけ、僕の右手を消失させたのだ。
「くっ!!」
「きゃ……!」
僕はシャルを左手でかばいながら、剣戟が飛んできた方をにらむ。
まばゆく光る、銀色の鎧。
真っ赤な外套に、泉水のような輝きを持つ長剣。
そして一遍の曇りのない、凛烈な眼。
「リーバイン神皇国近衛騎士団、副団長レオニズム=フェルシオン」
「こ、この人は……!」
僕が憧れていた『リーバインの気高き風』、近衛騎士団の副団長じゃないか……!
なぜこんなところに!!
銀色の騎士が、右手に持つ流麗な長剣をすこし持ち上げる。
その剣が、黄金色に光り始めた。
「魔滅の剣、煌龍」
突然の邂逅に棒立ちになった僕に向けて、銀色の騎士は無駄のない動きで静かに剣を横薙ぐ。
僕の上半身と下半身が、真っ二つに引き裂かれた。
記憶がはじけ飛ぶ。
意識が途切れ――。
暗転。
闇。




