22 闇の神との契約 その①
よく、かあさんの柔らかい笑顔を思い出す。
小さい頃、僕はいまよりもずっと引っ込み思案で、自己主張をほとんどしなかったらしい。
パン屋を営むスウェインおじさんは、よく近所の家族を誘って食事会を開いてくれた。
あまりに多くの家族を呼ぶものだから、いくつものテーブルをくっ付け合わせていた食事会も気づけば立食形式になった。たくさんの子供たちが、『本日無料!』と張り紙された商品棚のお菓子や果実水に駆け寄っていく。
もちろん数には限りがあるから争奪戦だ。
親は親で挨拶回りに忙しいから、平等には行き渡らない。身体の大きい子供や、ずる賢い子供の取り分が多くなる。
その攻防を、僕だけ店の隅っこの方で眺めていた。当然、なにも取り分はない。
食事会が終わって、かあさんが「どうだった?」と聞いてきたから、恐る恐るその話をした。
かあさんは僕の話を聞いて、静かに微笑んだ。
「あなたの優しい心が、他の誰かを笑顔にしたのね」
僕の大人しい性格を、かあさんは直そうとはしなかった。
アーシア神さまの教えに、『施しは他人のためならず』というものがある。おそらくかあさんはその教えに基づいただけだろう。
でも僕は、自分を否定されなかったことが嬉しかったのを覚えている。あの柔らかい笑顔は、僕の宝物だ。
もしかしたら。
だからこそ、あの時の僕は頑張ってみようと思ったのかもしれない。
山間から吹き下ろされる風が冷たい季節だったのを覚えている。
僕らの村に、女の子がやってきた。
不幸なことに、その子の両親は不慮の事故で亡くなったそうだ。身寄りがない女の子の面倒は神父さんがみてあげることになったらしい。
教会でシスター見習いとして暮らし始めた彼女。両親が死んだ理由は事故ということだったけど、陰口というのは広まってしまうものだ。本当は魔女による疫病で亡くなったという噂が村中に流れた。
早朝、教会の前を箒で落ち葉掃除する少女を見て、大人たちがコソコソと何かを言いあっている。それが善なる会話ではないことが、子供の僕にもたやすくわかった。
大人たちの噂が、子供にも及んだ。
魔女の疫病が感染る、と。
女の子と遊ぼうとするどころか、話しかける子もいなくなった。
果たしてその女の子は、天涯孤独なひとりぼっちの少女なのか、それとも噂通り疫病をもたらす忌むべき少女なのか。真実はどうあれ、村による評価は後者を選んだ。
僕は、女の子を信じた。
真実がどちらかはわからない。
でも決めたことがある。
目の前の女の子か、悪意ある噂を流すみえない誰かか。
どちらを信じるかと言われたら、僕は目の前の女の子を信じると。
なので僕は、
勇気を出して、女の子に話しかけた。
神父さんの後ろに隠れていた女の子に、
「僕と一緒に、遊ばない?」
って。
彼女は、ニコッと笑って、
「うんっ!」
と答えてくれた。
だからこれは運命だったのかなって思う。
シャルはシャルで、あの初めて一緒に遊んだことを大切な思い出だと言ってくれているけど、僕にとっては、初めての勇気を認めてくれたことでもある。
ずっとこの勇気を持っていたかった。
温かくて、穏やかで、相手を笑顔にさせる勇気。
今の僕からは、失われてしまった。