1 覚醒前夜 その① ★挿絵アリ★
とても気持ちいい。
ふかふかのベッドの中で僕の微睡はますます深くなる。
ずっとこのまま寝ていたい。
「うーん……」
薄ぼんやりとした意識の中で、覚醒のきっかけが訪れる。
カーン、カーンと。教会の鐘が響く音がうっすらと聞こえてきたからだ。
これはいつもの、中央通りに面する教会の鐘だな……。
ああ、ということはつまり……。
「……いけない!」
寝過ごした!
ガバッと起き上がり、麻製の衣服に急いで着替えていく。昨日の夜のうちに、あらかじめテーブルの上に準備しておいたものだ。
ベッド脇に立てかけていた片手剣と釣り竿を掴む。
扉を開け、慌てて食卓がある部屋に出る。
「お弁当できてるわよ」
「ありがとう母さん! いってきます、おばあちゃん! マリィ!」
僕の支度を待ち詫びていた家族に朝の挨拶を交わす。
母さんから昼食が入っている籐籠を受け取り、ロッキングチェアでくつろぐ祖母とその隣で髪の毛をとく妹に声を掛け、家を出た。
「とうさんも! 行って来ます!」
「ああ、気をつけてな! 今日も頑張れよ」
庭先の金属床で重厚なハンマーをふりおろそうとする父。その横をすり抜ける。
背後でキィン! という父の鍛冶作業の音が聞こえた。
* * * * *
僕が住むヴルカン村は、リーバイン神皇国のはずれに位置する。
万物創造の女神であるアーシア神さまを信仰するこの国は、数百年前から強国として栄えてきた。隣接するオティーヌ王国とは信仰上の諍いがあり、あまり仲は良くないけど、それは王都同士の揉め事だ。僕が住む村はのどかすぎてそんなこと気にしたこともない。
家を出て村の中央通りを走ると、そこに面している教会にすぐたどり着いた。ここで祈りをささげるのが朝の日課だ。
いつも扉は解放されているので、急ぎ足で奥へと進む。
「急げ急げ……!」
教会正面の突き当り、祭壇の奥に立つ女神像に祈る。
「そんなせかせかしたお祈りなんて、絶対にアーシア様には届かないはずなのに……」
背後から、鈴の音が鳴るような声が聞こえてきた。僕にはなじみの、そして心地よい声だ。祈る僕が片目を開けて声のした方を見れば、教会のシスター、シャーロットが腕を組んで呆れていた。
朱鷺色の髪の毛を三つ編みの2つ縛りにした彼女は、薄翠の瞳を細めながら、
「なのにユーリィだけよね。この前の洗礼で女神さまの加護をもらったの。何かずるいわ」
「た、たまたま運が良かったんだよ」
ちょっと困った顔をしてから、また目を閉じて祈りを再開する。
「よし! お祈り終わり。シャル! いつものある?」
「はいはい。ご用意させていただいてます」
教会の参列席横の別室に引っ込んだ彼女は、白樺製のコップを手に持って戻ってきた。コップからは温かそうな湯気が立ち上がっている。教会の裏手で神父様が飼育するシロツメ牛のミルクに、たっぷりとハチミツを注いだものだ。
「都会の教会……とくに礼拝堂じゃ本来飲食禁止なんだけど。ここはみんなの集会場みたいなものだから」
誰に言うでもなくそう呟く朱鷺色の髪の毛の少女。
僕はそのシャル特製ミルクを受け取ると、一気に飲み干した。
「おいしい! やっぱりシャルが入れるミルクは最高だよ!」
彼女は苦笑しながら、
「おおげさよ。今年は天候がよくてシロツメ牛の機嫌がよかったからだと思うわ」
「そんなことないと思うけどなぁ。シャルが入れてくれるからおいしいんだよ!」
これは本当だ。母さんが出してくれるミルクよりも、なぜか彼女の入れてくれるもののほうが美味しく感じてしまう。これはシロツメ牛の機嫌のせいじゃないはずだ。
「あなたって、ほんと天然よね」
すこし顔を赤くした三つ編みの少女が、そっぽを向きながら呟いた。
「?? ……ねえ、ところで今日の『降臨祭』って君は賛美歌歌う?」
ヴルカン村には他のリーバイン神皇国の街々と同じように、アーシア神さまが天地創造のために天界から降り立ったヘビウサギ月の一日にお祝いのお祭りを催す風習がある。
実はその『降臨祭』が今日なんだ。
おかげで村は数日前から祭前のソワソワした空気に満たされて、どこかみんなぎこちなかった。
僕は特に何の役割も持たされていないから、気楽なものなんだけど。
「もちろん歌うわよ。神父様にも随分前からお願いされてるし」
「そっか! 楽しみだよ、村一番の歌声だもんね」
「お、大げさね……他に人がいなかっただけだし。たんなる数合わせよ」
そう謙遜する彼女だけど、僕は知ってる。教会のお勤めが終わったあと、裏庭で毎日賛美歌の発声練習をしていたことを。きっとこの日のためだ。
僕は思わず笑顔になる。それをみたシャルはまた顔を赤くした……ような気がする。
って、そうだ!
「そろそろ麓の山に行かなきゃ! ごちそうさま!」
飲み終わったミルクの容器を彼女に返し、教会の外へと足早に歩き始める。
シャルも三つ編みおさげをいじりながら、僕のあとをついてきて、
「ね、ねえ」
「ん? なんだいシャル?」
「あの、今日のさ、お祭りだけどさ。賛美歌のあと……ちょっと時間ある?」
「うん、うちに帰るだけだし、大丈夫だよ!」
「じゃあ、えっと、一緒にお祭りまわってもらえる……?」
隣を歩く朱鷺色の髪の毛の女の子は、恐る恐るこちらを上目遣いで窺っている。
え、それって……まさか。
「うん、もちろん!」
僕は即答した。
「ありがと! じゃあ、あとでね!」
シャルはパッと顔を上げて明るく微笑んだ。まるでアーシア神さまみたいだ。
「じゃあ、行ってくる!」
「いってらっしゃい! ユーリィに、アーシア神さまのご加護がありますように」