11 覚醒前夜 その11 ★挿絵アリ★
「う、うう……」
僕が目を開けると、くすんだ光が視界に入った。
これは……ランプの灯火だろうか……。
ゆらゆらと揺れるその炎は室内を照らすに十分な輝きで、僕は眩しさに耐えきれず目を瞬かせる。ようやく光に慣れてきて、ここが見知らぬ部屋であるとわかった。
「こ、ここは……」
どうやらベッドに寝かされているようだ。
起き上がろうと、腕で身体を支える。
「痛っ……」
その腕が包帯まみれになっていた。腕だけじゃない。
感覚的におそらく全身、そうなのだろうと自覚する。
「い、生きて……るのか」
そろりそろりと上半身だけ起き上がる。
「貴様、あの『災厄』を良く生き残ったな」
……え!?
「だ、誰!?」
意識がはっきりしつつある僕はあたりを見回すが、ここには自分しかない。
しかし声だけは耳に入ってくる。
「ここだ馬鹿者」
もう一度発せられた音、その行方を探る。
……上?
「あ……」
僕の頭の上に、奇妙で不気味な色をした赤いトカゲが乗っている。
「ト、トカゲがしゃべった……うっ!」
身体中に激痛が走り、思わず身をよじる。あまりの状況変化で麻痺していた感覚が戻りつつあるのかもしれない。僕はあの黒いやつに致死ともいえる打撃を受けていたはずだ。
「ふん。火の海から助けてやったのに、消し炭になりたいのか? 二度と我をそう呼ぶな」
頭の上のトカゲは、やたらと饒舌だった。
「我にはロラマンドリという美しい名がある」
「……」
混乱の中、痛みに耐えながら話を聞く。
「ふん。これだから人族は好かん。知性のかけらもないからな。とくにイヤフ川での貴様の態度は気持ちが悪かった」
「イヤフ川……? ! あ、君はまさかあの釣りのときの……!」
「これで借りは返したぞ」
目の前の火蜥蜴族が、キバオオカミに襲われていたあのトカゲだと理解する。
ようやく意識が明快になった僕は、
「そうだ!! ここは!? みんなは!?」
「黙れ。今から教えてやる」
と、饒舌に喋っていた赤いトカゲがピタリと会話を止め、
「言っておくが、貴様に乞われたからではないぞ。マリアン様がそうしろとおっしゃったからだ」
マリアン……様……?
「目覚めたか」
奥の部屋から、妙齢の女性が入ってきた。
その女性は人外じみた怜悧な美しさを備えていたが、それ以上に彼女の容姿には驚嘆すべき事実があった。
僕はその理由を思わず口から零した。
「魔女……」
「あらあ? 『高貴なる美貌を持つ』が抜けてるわよ、ぼうや?」
「マリアン様」
頭の上の赤黒いトカゲが、美女の名前を呼んだ。途中まで進めていた会話の主導権を彼女に譲ろうとしているようだ。
「いいわよ、始めてたんでしょ。続けてロラマンドリ」
「わかりました」
(頭の上で)僕へ向き直り会話を再開するトカゲ。
「いいか人族、よく聞け。貴様は三日前、ヴルカン村で倒れていたところを、マリアン様と我が拾ってやった」
「三日、前……」
思わず布団をめくって、右の太ももを見る。包帯から血がにじんでいる。もちろん右手の平もぐるぐる包帯巻きだ。両方とも、あの黒いフードローブに風穴をあけられたところだ。
そして眉間を手で触れてみる。
無事だ。ここも狙われていたはず……。
つまり致命傷だったはずなんだけど、なぜ助かった……?
僕は戸惑いながらも、知った事実について目の前の美女へ感謝を告げる。
「治療までしてくださって、あ、あの、どうもありがとうございました」
「魔女が人族を救うなんて意外かい?」
マリアンと呼ばれる魔女が皮肉げに笑う。
「いえ……! そ、そんなことは――」
ある。
なぜなら魔女は、人族にとって『災厄』の象徴であり、アーシア神さまの加護を打ち消してしまう『呪いの化身』として忌避されているからだ。それだけじゃない。魔術研究のためには倫理すら気にしないと語り継がれており、ヴルカン村で疫病が流行った際も、魔女による人体実験だったと囁かれている。
「いいわよ。そーゆーの慣れてるし。人族の事情なんてどうでもいいわ」
手をヒラヒラとさせながらあっけらかんと答える魔女。
「で? 何か訊きたそうな顔だけど?」
「あ……はい! そ、それであの……、僕の村は……どうなりましたか?」
「マリアン様」
「ええ、あれを使いましょ。この子もすぐ理解するでしょ」
頭の上のトカゲと目の前の美女が僕には意図不明のやりとりをしたあと。
魔女は目を閉じて詠唱を始めた。
当然アーシア神さまへの賛美歌のようなものではない。
人族の本能としてわかる。この荘厳ささえ感じさせる重く暗い詠唱は、魔術を発動させるための文句だ。
「深淵に潜む闇の神 その名において命ず
御身が宿す 虚ろの眷属を以て
滅亡の因果を ここに現映せよ」
魔女が詠唱を終えると、部屋の空中に円形の魔法陣が浮かび上がった。
魔法陣には奇妙な紋様が象られており、その陣の内側には、どこかの情景が浮かんでいた。
これは……どこか別の場所とつながっている?
どこかの情景……それは、とある村の現状だった。
「あ、あ……」
廃墟だった。
三日経って火事もようやく収まったのだろう。
煙を上げているところがちらほらとあるが、あたり一帯すべて、跡形もなく燃え尽きて灰になっていた。スウェインおじさんのパン屋も、中央通りに面したよく通った教会も、僕の家も、家族も、全部。
「!! ぐっ、ぐぐ、ぐうううううううう」
顔を伏せて、むせび泣く。嗚咽が止まらない。
「なんで、僕だけ……生き残って……! ぐう、ぐうううう」
こんなひどいことがこの世にあるだろうか。絶望を向ける矛先がなく、思わず握り拳でベッドを殴りつけていた。癒えない傷のせいで身体に激痛が走る。でもそんなこと知るもんか。
僕の様子を頭の上から窺っていたトカゲはつまらなそうに、
「ふん。おい人族。貴様らの悲哀なぞ我らには関係ない。さっさと泣き止め」
「この調子じゃしばらくかかりそうねぇ」
「目覚めた貴様に吉報があったというのに」
心が乱れたままの僕にも、その言葉は自然に届いた。
「……き、吉報?」
「あら、耳聡い子」
頭の上のトカゲが続ける。
「ふん。ただしその件は、我らが訊きたいことに答えたあとだ」
「き、訊きたいこと……?」
魔女は魔法陣に向かって右手を軽く振る。映し出されていたヴルカン村だった廃墟の風景は消え去り、魔法陣のみが残った。彼女は腕組みをしながら僕に問いかける。
「村を焼いた『影』……ありゃ何者だい?」
僕はその言葉にハッとする。
「ふん。貴様を助けたのはこのためだ。答えろ!」
「わ、わかりません。僕にだって。あいつは、僕が村に帰ったらもう、みんなを……」
「ま、そんなもんよね」
成果のない答えを受けた魔女はあっさりしたものだった。
僕は逆に彼女へ問いかける。
「……ということは、つまりあなた方『魔族』でも、わからない……?」
「ふん。口惜しくもな」
「しかも、あんたの村だけが襲われたわけじゃないのよねぇ」
魔女が、再び詠唱する。
頭の上のトカゲが僕に解説をしてくれる。
「これは、貴様が眠っていた三日の間に起きたことだ」
魔法陣にここではない別の土地の風景が次々と映し出されていく。
リーバイン神皇国の王都。その中央にあるリーバイン城が燃えている。すこし目を凝らしてみると、精鋭と謳われている近衛騎士団の剣士たちが大勢血を流して倒れている。全滅、したのだろうか……。
場面が切り替わり、次はどこか別の街だ。そこで生活をしていたであろう一般の市民たちも大量に倒れている。皆ぴくりともしない。おそらくすべて……。
「『影』は、この国に住まう人族を、見境なく殺しまわっている」
さらに場面は別の土地へ移る。ヴルカン地方とはまたどこか異なる、自然豊かな山奥。その山の頂上で、巨大な竜族がひどい傷跡を遺して死んでいた。この地方の主だったのかもしれない。
次の場面は、どこかの館のような場所だ。たくさんの女性が倒れて動かない。彼女たちの身なりは、魔女マリアンとそっくりだった。
「魔物も、そして我ら魔族も、例外なくな」
「魔族、まで……?」
「連中は突然現れて、この国のあちこちを襲った。無数の破壊と殺戮が生まれたわ。あらゆる都市と集落を壊滅させた『影』は、そして姿を消した」
「ひどい、ひどすぎる……」
「魔族でも魔物でもない。かといって、人族でもなさそうなのよねぇ……。それに、あの黒い外套もだけど、やつらが使っている武器。あれは奇妙だわ。この私ですらみたことないもの」
細く白い指を自身の口元にあて、思案する魔女。
僕の頭上の火蜥蜴族が赤い舌をチロリと出して魔女の言葉を受け続ける。
「ふん。衣服や武具というものは、目新しく見えても必ず元となる文化や流派が痕跡として残る。貴様の片手剣はリーバインの古き鍛冶技術が礎になっているようにだ」
「でもあの『影』どもの武器……あれの源流を読み解くことができない。ほんと不思議よねぇ」
トカゲと魔女の会話に引っ掛かりを覚えた僕は探るように、
「あの……マリアンさんは、そういったことに造詣が深いのですか……?」
頭上のトカゲが僕の身体をスルスルと這い降り、魔女の肩に移動した。
「ふん。聞け人族! この世の何者よりも深いに決まっている! なぜならマリアン様はリーバイン神皇国最古の魔女であり、齢五〇〇年を超える高位の――むぎゅ!」
トカゲが魔女につままれて床に落とされ、そして踏まれた。
「……誰が年をバラせっていった? 氷結魔術で永遠に冬眠させてやろうか?」
「すみませんマリアン様すみません」
息の合った二人(?)だから、こういう掛け合いができるんだろうな……。
「ったく……話を戻すわよ。あの奇妙な武器もそうだし、あいつらの立ち振る舞いも、戦の術もそう。今までの私の記憶には刻まれていない。ひいひいばあさんから受け継いでるアカシアの書を紐解いてもみたけど、見当たらなかったわ」
「それっていうのは、つまり……?」
「やつらは……そう。どこか別の世界からやってきたように、突然現れた」
「ふん。まったく空想の類のようだがな」
「別の、世界……」
脳裏に、あの黒いフードローブ姿の不気味な姿を思い浮かべる。
そんなことが、あり得るのだろうか。
たとえばアーシア神さまは天界から降り立った。それはある意味別の世界から来たとも言えるかもしれない。しかし、アーシア神さまは当たり前だけど神さまだ。人族とは根本的にすべてが異なるし、万物を司る創造主だ。あの黒いフードローブが、それと同等のような存在とは決して思えなかった。
そうやって沈思黙考していると、魔女が何かに気づいた様子を見せて、
「ん? ロラマンドリ。もう一人も目覚めたようよ」
「はいマリアン様。おい人族。そろそろ吉報を伝えてやる。感謝しろ」
「え……?」
同じ時、部屋の奥から僕の名を呼ぶ声がした。
「ユーリィ! ユーリィ!!」
この……心に響く温かい声は!
「まさかシャル! ほんとうにシャルかい!?」
「うえええええん、ユーリィいいいい!」
部屋に駆け込んでくる、幼馴染の姿。
「君も、君も、助かったんだね……!! っ痛つつ……!」
ベッドに起き上がっていた僕に飛びかかるように抱きついてきたから、傷に響いて悲鳴を上げそうになる。
「あっ! ごめんユーリィ! でも、でも良かった! ユーリィ!! 良かったぁ……」
そう安堵するシャルだけど、彼女の肩にも痛々しい包帯が巻かれていた。
やはり、あの出来事は現実だ。
村から生き残ったのは、僕とシャルの二人だけなんだ……。
「ふん。人族は何もかもが大袈裟で気にくわん」
悪態をつくトカゲの声の調子も、どこかすこし優しげだった。