プロローグ
「もう10年になるんだねぇ。」
―小さな街を見下ろせる、丘の上の教会。
その教会を見つめ、初老の婦人が一人呟く。
教会は閉鎖されてから大分時間が経っているのか、いたるところにシダのつたが絡み、木造の建物はその多くの箇所が腐敗し崩れかけていた。
老婆はその教会の扉の前に、この地域でよくみられる純白の花を手向けると丘を後にした。
花は風にふかれ寂しげに花弁を揺らしていた。
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ここはニヒュルネの街。
小高い山々に囲まれた小さな街。
この国の北西部一帯を治める盟主ダラグネの管理下に置かれるこの街は、小さいながらも葡萄酒とチーズを名産とし賑わいを見せていた。
街中は旅人と見られる人々が往来し、店先には旅の助けとなるであろう薬草や道具が並べられていた。
「今日は良質なチーズが沢山手に入ったんだ。そこの旅の人!酒のおともにゃこいつが一番だよ!」
「うちの薬草はどれも自家栽培の自慢の品さ!どんな傷にもよく効くよ!さぁ買った買った!」
街の住人はその多くが商人である。
男も女も自慢の品を売ろうと威勢よく声を張り上げている。
「この花をください。」
フードを目深に被った若者が女店主に告げた。
「はいよ!リアスの花だね。10本で20ルオだよ。」
純白の花を麻の紐で束ねながら女店主が軽やかに答えた。
「この花は見た目もきれいだけど、その香りで人の心を癒すといわれていてね。これでも立派な薬草の一種なんだよ」
「えぇ、知っています。」
若者は何かを懐かしむような表情をすると、街の正面に見える丘を見上げて言った。
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ニヒュルネの街を見渡すことができる丘の上。
荒廃した教会。
今日も初老の婦人がリアスの花を携えこの丘をせっせと登る。この花を教会の扉の前に備えるのは彼女の日課のようだ。
「早くしないと家に着く前に日が暮れてしまうわね。」
いつもは日中明るいときに訪れるのだが、今日は孫たちのお守を息子夫婦に任されていたため家を出るのが遅くなってしまった。
赤く染まる山々とニヒュルネの街。
この地方は夜がとても冷え込むので、日が沈んでから出歩くことは滅多にしないのだが、この時間に見るこの丘からの景色が彼女はとても好きだった。
(昔はよくこの景色を一緒に眺めたものね。メイリア。)
婦人が教会につくと先客がいるようだった。
近頃ではこの教会によりつく人間は彼女と信仰心の高い街のごく一部の人だけだったので、この時間に旅人風情の人がいるのはとても珍しいことだった。
婦人の存在に気付いた若者は目深に被ったフードを脱いだ。
風になびく長い金色の髪。
深い青と緑の混じった瞳。
夕日に染まる肌。
携えた純白のリアスの花。
「お久しぶりです。リューネスさん。」
ため息が出るほど美しい風貌をした女は微笑みながらそう告げた。
「メイリア――――。そんな。まさか。」
もういるはずのないその人物は荒れ果てた教会の前で微笑んでいた。