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なろう無双  作者: 橘かをる
本編
1/5

翔、投稿す

 その夜(どん)(どん)(とおる)は、甥の初投稿が一位を獲得しているのを目にして驚嘆した。


 地球暦二一世紀初頭。惑星地球の日本国首都東京。

 鉄道であれば東京駅から料金は千円と少し、時間は一時間とちょっとをかけて在来線を西方面へと乗り継ぎ、更に数十分かけて歩いたところに呑々家はあった。そろそろ築百年を迎えようかという古びた、度重なる増改築により十数の部屋を備えた木造瓦屋根の二階建ての家屋と、不燃で断熱にも優れた建材を使用され屋根にはソーラーパネルが設置された地上二階、地下一階の家屋とが並立していた。

 呑々(とおる)は一週間ほどの取材旅行を終えて久々に実家に戻ってきていた。木々が生い茂った山々も含む広大な敷地の東端にある駐車場、その片隅にある身内向けのガレージに愛車のSUVを頭から突っ込んで一息ついた。最寄りのインターチェンジから30分と車の便(べん)は良いのだが早朝からのロングドライブ、最後のサービスエリアで昼食を取って一休憩入れたものの疲労は濃かった。助手席に置いてあったカメラとレンズ数本を納めたショルダーバッグを肩にかけ、丁寧に包装された緑と赤のリボン付きの箱を手にして車を降りると、先日ぬかるんだ山道を走破したせいですっかり泥まみれになった濃緑のボディが目に入った。水の痛さが頭をよぎって気は重かったが、しばらく時間はたっぷりとある。伸びをして体をほぐし、後部ハッチを開けて衣服のつまったバッグを取り出しながら、父や兄夫婦の車も一緒に洗車するかと覚悟を決めた。

 相変わらずの活気を呈す道場の脇を通って木造家屋側の玄関を開け、ただいまと声をあげたものの返事はなかった。鍵はかかっておらず、誰も居ないはずはなかった。(とおる)は靴を脱いで下駄箱に収め、自室へと続く階段を上らずにそのまま板張りの廊下を進むと、ふすまの向こうから男の子の元気な語りが聞こえてきた。

 即興の作り話、そのはずだった。

 しかし詩でも吟じるかのようによどみがなかった。

 (とおる)はジャケットの内ポケットを探ってスマホを取り出し、メモアプリを立ち上げて録音を開始した。仕事柄手慣れていてその動作は速かった。

 以前から両親に聞かされていたが、六歳児、甥の(かける)の才能がこれほどとは(とおる)は思っていなかった。曰く(あくた)(やま)賞作家になるのは堅い、否それは過小評価でネーベル文学賞をもらうに違いなく長生きしたい等々、親馬鹿ならぬ、(じじ)(ばば)馬鹿、孫びいきの戯れ言だと聞き流していた。これだから素人の評は当てにならない。駆け出しといえどフォトジャーナリストを名乗る身、売文を生業としているから分かった。将来などではなくすでに第一級、自分などははるかに超えていると瞬時に悟った。

 幼い笑い声があがった。姪の()()だった。

 畳に鈍くも深く音が響いた。父の(てい)(げき)が拳を打ちつけたのだろう。

 すすり泣きがもれた。母の()()()のものだった。

 上機嫌な歌声が始まった。甥の(きょう)が踊り出したようだった。

 (とおる)は邪魔してはならじと、靴下越しに廊下が体を冷やすのをよそに、じっとスマホを構え続けた。

 そうして(かける)の話は大団円を迎えた。

「――(とおる)、いいぞ。」

 当然ながら自分の気配に気づいていた父の短い呼びかけに、(とおる)はふすまを開けて居間に入った。ストーブの暖気が顔を上気させた。

「とおるだー。」

「おじちゃんだー。」

 爺婆の膝から立ち上がって()()(きょう)が駆け寄った。会うたびにひとまわりもふたまわりも大きくなる三歳の二卵性双生児である。重い荷物を畳に下ろしてふたりをいっぺんに抱き上げその場で回転、「もっとはやくー。」「めがまわるー。」と喜ばせていると、「お帰り(とおる)。そのプレゼントはどうしたの?」と()()()が声をかけてきた。

「少し早い入学祝い兼、お年玉兼、二日遅れのクリスマスプレゼントだよ。」

 (とおる)はそう言いながらしがみ付く()()(きょう)を父母に引き剥がしてもらい、サンタとトナカイと雪だるまのイラストに包まれた箱を畳から取り上げ、上座に座る(かける)に差し出した。(かける)は「わあー、ありがとう。」と大きな声をあげて座布団から立ち上がり、走り寄って箱を受け取った。包装紙をビリビリと破き白い箱を取り出した。()()(きょう)が自分たちもと暴れたが、爺と婆に取り押さえられていた。

 (かける)が今度は丁寧に箱の蓋を持ち上げると、黒い縁取りのタブレット端末が現れた。「わあー。」と一際大きな歓声があがった。(とおる)が以前に約束した一品であった。もうこれで自分のタブレット端末は指紋だらけにされずに済むと思った。

「どれ、()()(きょう)は稽古にしよう。」

「じいじ、いや、いや。」

 (てい)(げき)が手足をバタバタさせている孫の()()を抱えて立ち上がった。

「道着にお着替えしましょ。」

「ばあば、やだ、やだ。」

 ()()()も倣い両手を突っ張る(きょう)を抱えて立ち上がった。

 (かける)の夢中ぶりにふたりを引き離すことにしたよう。老父母がむずかる小さな無法者どもを道場へと連行していった。

「お前も来い。鈍ってないか見てやる。」

 部屋を出るところで(てい)(げき)(とおる)にも声をかけた。

「へいへい、後から行くよ。」

 (とおる)は旅先でも毎朝、時間が取れない日は深夜にと、小一時間かかる鍛錬を欠かしたことはない。とんだとばっちりだったが、余計な心配は払拭してやるかと受諾した。

「準備するから、ちょっと貸しな。」

 (とおる)(かける)からタブレット端末を取り上げると床の間横のコンセントに電源アダプタを差してセットアップを始めた。アカウントの設定などは兄夫婦と相談済みである。(かける)は隣でじっとその操作を見ていた。

「あとこれ。さっきのお話、録音しておいたぞ。」

 (とおる)はスマホを取り出して操作し、クラウドストレージ経由で音声データをコピーした。次いで原稿起こしに重宝しているサービスでテキスト変換を試みると、さすがはプロ仕様、予想よりずっと綺麗な文面ができあがった。()()(きょう)の声も変換されていたが、それはご愛敬であった。

「このデータ、このアプリで直せるの、分かるか?」

 (とおる)がフリーのワープロアプリをダウンロードして立ち上げ、テキストを読み込んでみせると、(かける)は「うん、分かる。」と元気な声でうなずいた。(かける)はタブレット端末を返してもらうと、漢字交じりのテキストをよどみなく読み上げながら編集を始めた。(とおる)はそんな様子を自分が年長のときにできただろうかと感心しながら見守った。自分もひらがな、カタカナは書けた。漢字も幾らかは読み書きができただろう。それでもタブレット端末が変換してくれるとはいえ、(かける)ほどの操作ができた自信はなかった。

「ストーブは消しておくぞ。寒かったら自分の家に戻れ。」

「分かったー。」

 (とおる)はタブレット端末にかぶりついたまま大声で返事をする(かける)を部屋に残して自室に向かった。階段を上る途中、テキスト変換の精度が高いのは(かける)の話し言葉の係り受けが明瞭だったからだと思い当たり、背筋がぞくりとした。


「押忍、トオル、久シブリ!」

「ハロー、ザック! 日本に来てたのか。」

「コンニチワ、トオル、少シ太ッタネ。」

「チャオ、ジューリア、これは筋肉だよ。」

「来タナ、トオル、オ前ノ首ヲモライ受ケニ来タ。」

「ハバーリ、イブラヒム。その物騒な言い回し、誰に教えられたんだ?」

 (とおる)が着替えて道場に顔を出すと、門下生たちから次々と声をかけられた。千年も昔の古武術を今に伝える呑々流。その実戦向きの流儀が格闘技界でも一目置かれているのは飛鳥時代ともいわれる昔から練られた殺人技を元にしているからだが、今では世界中にその門下を広げ、総本山たる呑々家の道場には各国支部の幹部たちが入れ替わり立ち替わり修行に来ていた。この日は国内外からざっと五十人。(とおる)と学生の頃からの顔見知り、ライバルも多かった。

「ふん、サボってはいないようだな。」

 そんな国際色豊かな門下生を分けて、(てい)(げき)(とおる)に近づいた。この呑々道場の第三十五代師範、六十を過ぎたのにその佇まいは衰えを感じさせなかった。

「最低限の練習は続けてるって。」

 (とおる)はそう答えながらも、()()(きょう)はどうしたのかと道場を見渡した。すると冬の低い陽が差し込む南の窓際で、休憩中と思わしき若手女子数名に稽古をつけられているのを見つけた。自分もあんな風に構ってもらった頃があったなと目が細まった。その瞬間だった。

「おっと。」

 (とおる)は顔に迫る殺気を鼻先で躱し、両腕を上げて構えを取った。

「よそ見をしとる奴に当てられんとは、俺も老いたな。」

「ぬかせ、あと十年は現役を張れるわ。」

 (てい)(げき)の、間合いを計ることに主眼をおいた左拳の牽制を当てさせずに躱せる門下生など限られている。それだけでも師範代に値した。更にそれをよそ見していて躱せるのは(てい)(げき)()()()の子、(とおる)とその兄ぐらいのものだろう。中でもこと気配察知に関しては(とおる)がもっとも秀でていた。(てい)(げき)が道場を(とおる)に継がせたいと思っているのは幹部の誰もが察していたが、(てい)(げき)がそれを口にすることはなかった。

 呑々流は実戦を通して磨かれた武術であるが故、あらゆる条件下での戦いを想定している。故に教えは敵を察知することから始まるが、(とおる)は常日ごろから聴覚、嗅覚、触覚を研ぎ澄まし、呼吸や瞬きをするのと同じようにこなしている。幼い頃からこの道場や山の中で、そうして知覚を張り巡らすのは当たり前だと半ば騙されて鍛えられた。自分が異常な育て方をされたと知ったときには憤慨したものだが、それが今はシャッターチャンスを逃さず捉えるという仕事の上での強力な武器になっているのだから文句も言えなかった。

「スゴイ、師範ガ当テニイッタノニ当タラナイ。」

「完全ニヨソ見ヲシテイタワヨネ。」

「アレダケハ昔カラトオルニカナワナイ。」

 各国支部の師範代の声が聞こえたが、(とおる)は慢心などしない。少し前まで察知能力については人後に落ちぬ自負があったが、今は自分より秀でる者が存在するのを知っている。山での鍛錬で自分より先に狐の親子に気づいた少年。それは兄(かなた)の第一子、(かける)であった。

 そうした父の実力査定をなんなく乗り切ると次は道場に居合わせた門下生たちと乱取り稽古になった。(とおる)といえども自分も技を仕掛けるとなると、相手の技を喰らうのは避けられなかった。体中に痣を増やし勘を取り戻したところで、「今日はここまで。リハビリで精一杯だ。」と白旗を揚げて、()()(きょう)を連れて道場を後にした。

 当番の門下生たちと晩ご飯の下ごしらえをしている()()()を呼び出して()()(きょう)を預けると、自分は道場にあるシャワールームで汗を流して普段着に着替えた。木造家屋に戻りもしかしてと居間をのぞいた。すっかり冷え切った部屋の中で、(かける)がタブレット端末を操作していた。冬の日は短い。液晶の青白い光が幼い男児の顔を照らしていた。

「まだ居たのか。風邪引くぞ。目が悪くなるぞ。」

 (とおる)はそう口にして、我ながら口うるさいと苦笑した。

「うん、もう少し。」

 そんな言葉を意に介さず、(かける)は画面から目を離さなかった。

「お前の母さんに俺が怒られるだろうが。」

 (とおる)は座卓テーブルに置かれたリモコンをピッと押して、タブレット端末をのぞきこんだ。年輪が黒く染み込んだ天井に似つかわしくないLEDシーリングライトが和室を青白く照らした。

「これは。」

 画面を埋め尽くす文字を拾い読みして(とおる)は息を呑んだ。

「これ(かける)が書いた、んだよな。」

「ん。」

 (かける)は生返事をし、(とおる)が渡したテキストデータの編集を続けた。(とおる)がその様子を見ていると、作業は誤変換を訂正するにとどまらず、声色を変えて話した下りに描写を付け足すなど、聴かせる言葉を読ませる文章に変換するところにまで及んでいた。

「できたー。」

 文末までたどり着いて、ようやく(かける)は顔を上げた。

「おじさんに見せて見ろ。」

 (とおる)は甥の返事を待たずにタブレット端末を取り上げた。

「あー、もう。」

 文句を言いながら(かける)は畳の上で大の字になった。

「風邪引くって言ってるだろうが。」

 座卓テーブル横の差布団を二枚ほど(かける)にどすどすとかぶせながら、(とおる)はタブレット画面を読み続けた。流し読みするつもりの、フリックしようと構えた親指は表面ガラスに張り付いたままになった。その流麗な文面に精読せずにはいられなかった。リズミカルで響くような文調は声に出して読みたくなった。

 引き込まれる出だしだった。

 魅力的な主人公だった。

 唸らされる展開だった。

 考えさせられる結末だった。

 作品を読み終えるのが寂しくなった。

 三十分。一万文字の作品をじっくりと読みこんだ。

「なあ(かける)、これ、ネットにアップしよう。」

 興奮を隠さずに、(とおる)は小学校入学前の甥に進言した。


 久しぶりの実家での夕食は、父母、甥姪三人に、門下生二十名が加わった賑やかなものであった。近年は交通の便も良くなり呑々家に寝泊まりして修行するものはほとんどいなくなっていたが、食事をしていくものは多かった。皆が思い思いに地元の食材を差し入れるので、料理は国際色豊かになるのが常だった。加えて()()()は創作料理が趣味で書籍を数冊出しているくらいである。食べてみないと味の分からない品々がテーブルに乱舞した。

 常在戦場にも限度というものがあるだろうと(とおる)は常々思っていた。呑々流の教えは食事にも及ぶ。戦場では思うように食事にありつけない場合もある。栄養になる食材、腹を壊さない食材を嗅ぎ分け、調理して口に詰め込むのも修行の一環であった。さすがに三歳の()()(きょう)は別の献立だが、六歳の(かける)は謎料理を残さず食べさせられた。それは(とおる)も通った道であった。もう世界中の郷土料理を食べ尽くしたはずだが、それらを美味しいと感じるかはまた別だった。時にはそのような食材を持ち込んだ門下生に皆が苦渋をもらし、文化論に発展した。毎度異なる国々の幹部たちが議論をしたあげく、最大の下手物料理は卵かけご飯だと結論づけられるのが常であった。

 (とおる)は食事のあともしばらく(かける)()()(きょう)の遊び相手をし、兄夫婦が仕事納めの飲み会から帰宅したところで引き渡した。(かける)の小説の話をしたかったが時刻も遅く、タブレット端末を贈ったことだけにとどめた。それから自室以外は空き部屋になっている二階に上がり、仕事道具のカメラの手入れを始めた。それが終わると押し入れから布団を引き出し、ストーブの火を落として潜り込んだ。

 眠りにつく前に枕もとのスマホをたぐり寄せ、その画面を灯した。食事前に(かける)の小説を日本一の小説投稿サイト『作家になろう』に投稿した。気は早いがその反響を確認したくなったのだ。翔のアカウントは把握している。それを用いてサービスにログインした。

 早速作品情報を確認したが(とおる)はにわかに信じられなかった。作品評価が十万ポイントを超えているのだ。投稿してから四時間と経っていなかった。ブックマークは一万と数千個あった。評価者数はそれより一割ほど少なかったが、平均評価点は満点である十点だった。つまり全員が満点を投じていた。(とおる)もネットサービスの事情に通じているわけではない。だが異常に多いように思えた。

 ページを遷移しランキングを参照してみると、果たして日間のそれは一位になっていた。ランキングはジャンル毎に別れていたが、総合で一位だった。更に画面の下方を親指でたぐり上げると週間も一位、月間も一位だった。四半期になってようやく四位にと順位を下げた。

 さすがにそんなにうまい話はない、六歳児の作品が並み居る作品を押しのけるほど甘い世界ではないのだと(とおる)は心を落ち着けた。月間一位のまぐれで上出来だと思った。スマホの画面を落とした。

 冷え始めた肩を布団に潜らせ、(とおる)(かける)の才能が育まれた理由に思いを馳せた。闘いをひたすら極め続ける呑々一族、しかし全員が武道に身を投じているわけではない。

 (かける)の父、(とおる)の兄である(かなた)は、音楽学部楽理科を修めたのち演奏や学会で名をあげ映像分野にも手を広げ、今ではAudio&Visual業界の一大権威になっている。隣の新築家屋の地下一階にはその総額を聞くと気を失いそうになる高級機を取りそろえたホームシアターがあり、日々、楽器や音響機器の製造メーカー技術者、映像作品の制作者、専門雑誌の編集者たちが出入りをしていた。(かける)も幼い頃からそれこそ浴びるように古今東西の映像や音楽を鑑賞している。(とおる)もたまにシアターを堪能させてもらうが、そこで得られる鑑賞体験は映画館などの比ではなかった。現実と見紛うばかりの美麗な映像、魂の奥底にまで届く鮮烈な音響、子どもに光の激しい明滅はよろしくないと(かける)はそのポテンシャルを最大限に体験してはいないが、それでも作家としての才能に大きく寄与しているのは間違いなかった。

 (かける)の母、義姉の(はや)()は絵本や童話を書いている。作家兼絵師、兄とは大学の同級生で、美術学部絵画科卒。(とおる)もフリーへ転身の際に出版社を紹介してもらって助けられ、頭のあがらない存在の一人であった。この母親、機会を見つけては(かける)にさまざまな作品を読み聞かせているのだが、初めてその様子を目にしたときには驚いた。話が一段落つく都度に、話は理解できたか、次の展開はどうなると予想するか、知りたいと思っている謎は何かなど、幼い(かける)に次々と問いかけるのだ。自分の作品を推敲するために(かける)を試金石にしているのであろうが、他者の作品であろうとただ漫然と聴くことを許さなかった。(かける)(かける)でそうしたある面物語を台無しにする母に、はきはきと非凡な答えを返していた。

 (かける)の祖父、(とおる)の父、(てい)(げき)と呑々道場の影響は考えるまでもなかった。呑々流の稽古は道場内にとどまらない。時には山に分け入っての修行もある。身体のみならず、五感すべてを鍛える。まだ子どもなので前者は成長を妨げないよう気が払われていたが、後者については大人たちと変わらぬ訓練を受け、(とおる)を上回る才能をのぞかせていた。そして世界各国から次々訪れる師範代を始めとした幹部たちの存在。(とおる)もそうだが呑々家に生まれると自然と国際感覚が磨かれた。

 (かける)の祖母、(とおる)の母である()()()はどうか。趣味の領域を超えて久しい料理、その腕自体は良い。しかし常に新レシピに挑む姿勢には閉口せざるを得なかった。夫たる(てい)(げき)はそのような()()()の料理を美味いとしか言わなかった。おかけで(とおる)(かなた)は保育園に入園するまで「美味しい」の正しい意味を分かっていなかった。(かける)の両親は不在がちで、(かける)は爺婆に預けられるとそうした料理と向き合わなければならない。少なくともどの国に行っても食べるに困らなくなっているはずだが、文才への影響は推し量ることはできなかった。

 二卵性の妹弟、()()(きょう)の存在も(かける)の想像力育成に好影響を与えているだろう。今日の昼のように、(かける)はふたりの遊び相手をよくしている。ただ(てい)(げき)()()()が本当に耳を傾けるほどに話し上手だとは、(とおる)も気づいていなかった。そういえば近所の友だちとの遊びでも(かける)は人気者のようだ。特にごっこ遊び。(かける)が即興で舞台と配役を設定し、アニメや特撮の正義の味方を演じているのを耳にしたことがあった。

 改めて(とおる)がスマホで時刻を確認すると日が変わっていた。朝の鍛錬は父に付き合わされるだろう。口元まで布団を引き上げた。古い造りの部屋は冷えが早い。子どもたちが居なくなった家屋に、軋みがみしっと走った。


 呑々家の朝は早い。

 (とおる)がスマホを点けると五時を少し過ぎていた。いつも通りだった。体に刻まれたリズムでアラームがなくてもこの時刻に目を覚ます。寒さにめげずに身を起こし、布団をはねのけ畳み片付けて、道着に袖を通したところでまだ時間に余裕はあった。机に退避させていたスマホを手にして小説投稿サイトを確認した。

 評価点は一桁増え百万ポイントを超えていた。平均は依然十点満点のままだった。画面をタップし今度はランキングを参照した。日間、週間、月間が一位のままなのを素早く確認し、そこからゆっくりスワイプすると四半期集計も一位になっていた。それは半ば予想通りだったが、二位以下の作品がちらほらと削除されているのが目に入った。どういうことかと(とおる)は訝しんだが見当もつかなかった。続けて画面をたぐると累計も一位になっていた。そして二位以下の作品は軒並み削除されていた。六位の作品は残っていたがその得点がおかしかった。十万ポイントギリギリ、昨夜時点の(かける)のポイントより少ないのだ。(とおる)はネットを探って何が起こっているのかを知りたかったがそこまでの時間はなかった。スマホを置き一階へと降りていった。


 玄関先にはすでに(てい)(げき)がいて、(かける)も父(かなた)に連れられて新築家屋を出てきた。皆厚手の道着を着こんで、革製のグローブ、五本指に分かれた手袋をはめている。

「おじいちゃん、(とおる)おじさん、お父さん、おはようございます。」

 挨拶も武道の基本、(かける)の元気な挨拶に皆が応じると、(てい)(げき)を先頭に四人で山に向かって走り出した。陽はまだ顔を出しておらず、街路灯が道を照らした。

 山にはロープや木材を使ったさまざまな障害物が仕掛けられている。自然を利用したアスレチックコースである。(かける)も木を登ったり丸太の上を走ったりと、体のできあがっていない子ども向けに用意された運動神経を鍛えるメニューをこなしていった。(かなた)(とおる)もこれで鍛えられた。皮手袋は手を切らないようにするためである。大人たちには筋力を要し危険度も増す実践的な動作や道具が更に加わった。

 小一時間ほど体を動かし呑々家に戻ってくると、このタイミングを待っていたのだろう、(かける)(とおる)に話かけた。タブレット端末に設けられた制限時間が短すぎて小説投稿サイトの感想を読み切れない、延ばして欲しいという訴えだった。(とおる)がどこから答えたものかと考えていると、(かなた)が先に口を開いた

「それはお父さん、お母さんから、おじさんにお願いしたんだ。これでも時間を長めにしたんだぞ。」

 それはその通りだった。朝八時から夜七時まで、保育園児にはむしろ長すぎる設定。だが問題はそこではなかった。

「兄さん、(かける)。時間を延ばしたって、あれは読み切れないよ。」

 (とおる)はそう言って(かなた)ややりとりを聞いていた(てい)(げき)に、昨日(かける)の小説をネットに投稿したこと、それが大反響を起こしているらしきことを説明した。感想も数万件上がっていると報告した。

「一晩で十数万? それはすごいな。」

 (かなた)はネットに詳しくはないが、音楽や映像系の専門誌に記事を書いている。ある程度の数字感覚は持ち合わせていた。

「さすが、俺の孫だ。」

 (てい)(げき)もそう言ったが、(とおる)は分かっていないだろうと思った。門下生の人数を比較対象にしているのかもしれなかった。呑々流は玄人好み、軍の特殊部隊やシークレットサービスの訓練には取り入れられているものの、格闘技未経験者がかじれるような代物ではなかった。百カ国以上に支部はあったが、門下生は数十万人程度のはずだった。

「おじさん、日本の人口って一億だよね。」

 そのような大人たちの反応をよそに、(かける)は口をとがらせて言った。

「そうだよ。一億の中で十万人以上。ざっと千人に一人が(かける)のお話を読んでくれた計算になるな。」

 そう話しながら(とおる)はとんでもない数字だと改めて思った。ところがである。

 (かける)の表情は険しく、拳を握りしめて身を震わせていた。その様子を見て(とおる)(かなた)は顔を見合わせた。呑々家の男児に涙は御法度である。(とおる)(かなた)も何度(てい)(げき)に鉄拳を喰らわされたか分からない。

「ちょっと待ってくれ、父さん。」

 (かなた)(かける)(てい)(げき)の間に体を入れた。

「お前はどいていろ。」

 (てい)(げき)(かなた)を押しのけ、(かける)の前にしゃがんだ。

「どうしたんだ(かける)? じいちゃんに言ってみなさい。」

 (かける)には優しげな声色だった。(かなた)(とおる)は固唾を呑んで見守った。(とおる)は自分が投稿を持ちかけたのが発端、いざとなったら自分が殴られると覚悟を決めた。

 (かける)は声を震わせて言った。

「ぼく、悔しいんだ。千人に一人しかお話を読んでくれないなんて、ぼく、悔しいんだ。」

 必至に堪えていたが遂に涙がこぼれ出した。(てい)(げき)(とおる)らの心配をよそにそれを優しく拭いた。

「そうか。もっと良いお話を書いて、みんなに読んでもらおうな。(かける)はきっと日本一になれる。」

 (かける)の頭を撫でて立ち上がると、

「お前らと違って、(かける)は泣く理由もスケールが大きいな。」

 とふたりの息子を睨みつけ、木造家屋に向かっていった。

「ただの孫びいきだろ。」

 (とおる)は悪態をついたが、玄関をくぐる父の背が小さくて、寂しくなった。


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