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初老というにはまだ若い(3)


もう長く住んでいるというのに大して馴染んだわけでもない通りを歩く。

ほとんど家の中で完結する丞の生活の代わりに、近所付き合いなどは全て息子夫婦、特にさとみが担ってくれている。

得体の知れない引きこもりの初老の丞が、不気味がられることもなく迫害されずに済んでいるのもまったくもって彼女たちのおかげである。


丞は近くのホームセンターへ向かった。年寄りの趣味といえば大概はホームセンターに置いてある。

適当に物色してそれを当面の趣味としようと考えていた。


さすがに、丞もこの長いスランプに、焦りを感じていたのである。






ーまずは盆栽か、それとも、釣りか……。


そんなことを思案しながら売り場をうろうろしていると。


「……丞?」

「?」

「やっぱり!丞じゃねえか!」


丞が振り向くと、そこには丞と同じ年頃の男ー旧友、伏瀬良太郎が居た。


「良太郎か。久しぶりじゃないか」

「なーにが久しぶりだ。そう思うなら連絡寄越せよ!」


無遠慮にバンバンと背中を叩きながら、自然な仕草で肩を組む。

このやりとりから、ふたりが気心の知れた間柄であると傍目からもよくわかる。


「せっかくだし、どっか座らねえか。ほら、あそこの店とかどうよ?」

「ああ。そうだね」


連れ立って併設されたカフェに入った。


「オレ、豆乳ラテ。アーモンドシロップとナッツトッピングで。丞は?」

「じゃあ……アイスコーヒーを」





「お前は相変わらずアイスコーヒーだな」


席についた良太郎が言った。


「いやあ……こういうところは、ほとんど来ないものだから。なにがあるのかよくわからなくてね」

「その理由も相変わらずだな。オレの一口飲んでみるか?」

「いいよ。じじいふたりでバカみたいじゃないか」


ハハハ、と笑う。


「お前の本読んでるよ。結構でかい賞もとってるじゃねえか」

「お前こそ。すっかり有名な漫画家先生じゃないか」


伏瀬良太郎は漫画家である。


「息子がお前の漫画集めてるよ。最近のほら、中学生がハッカーになるやつ」

「おお。ありがたいねえ。そういやお前の新しいのはしばらく読んでねえなあ」


その言葉に丞はウッと言葉に詰まった。


「なんだよ?休業中か?」

「いや……書こうとは、してるんだが……」


丞は正直に、今のスランプのことを良太郎に打ち明けた。


「なんだかな。書こうと思うんだが、いざ話を練ろうとすると、なんだかストップがかかってしまってね」

「ほーん」


良太郎はポケットからタバコを取り出しだが店内にある全席禁煙の文字を見て残念そうにまた仕舞った。


「お前がスランプねえ……あの、寝ても覚めてもノートに小説書きなぐってたお前がねえ」


頬杖をついて、まじまじと丞を見る。


「高校で初めてお前と同じクラスになったときにさ。お前、いっつもひとりで席に座ってなんかこそこそやっててな。真面目な顔してノートになんかガリガリ書いてやがるからさ。てっきりガリ勉野郎かと思ってたんだよ。そしたらお前、他人に見られたら学生生活終わるようなえげつない小説書いてんだもんな」

「あれをお前に盗み見られた時は死ぬしかないと思ったよ」


良太郎はカラカラ快活に笑った。


「そんでさ、お前があんまり顔青くするもんだから。オレも焦って自分のノート引っ張り出してお前に見せてさ」

「そうそう。『オレも漫画描いてるんだぜ!』って」

「あーこっ恥ずかしい。黒歴史の塊だぞありゃ」

「でもそれからだな。お互いに色々話すようになって」

「おう。ここの展開がどうとか。ここがつまんねえとか面白えとか散々やったな」


懐かしい、思い出。

共に創作の道を目指す若者で。切磋琢磨する、戦友のような存在だった。


「大学行ってからはお前は文芸部入って。オレは漫研入って」

「そうそう」

「お前は文芸部のやつらに書いたもの見せたらドン引きされて、オレは他のやつらの漫画のつまんねところ指摘しまくって嫌われて。んで、お互い辞めちゃって」

「それで、こうなったらふたりでやろうってことになったんだったな」


活動拠点は互いの家を交換交換に。

講義の無い時間はいつも創作に使っていた。


「一度、合作したよな。お前原作でオレが作画でさ」

「やったやった。喧嘩しながらな」

「オレお前の持ってきた話読んだとき、やべえと思ったもんね。ちょっとビビった」

「ええ?本当か?」

「そうだよ。自信無くしかけたもん。ま、だから燃えたんだけどな」


負けてらんねえと思ってさ。

そう言って、良太郎は昔と変わらないまっすぐな目で丞を見た。


「……こっちも。お前が描いてくるものがどんどん面白くなっていくから。負けていられないと思って、ヒートアップして」


互いの意見を忌憚なくぶつけ合って。

そうじゃないんだ!なんでわからねーんだ!お前が間違ってる、いやこっちのほうが面白い!

なんて、怒鳴り合って。

時には手が出ることもあるくらいに揉めて。顔や体のあちこちに青アザが出来ていた。

ふたりとも、若かったのだ。


「楽しかったよなあ。大変だったけど」


そう。

それでも、死ぬほど楽しかった。


今ではあの時、もうどんな話を書いたのかも思い出せない。

けれど、夢中になって書いていたことは覚えている。


書いても書いても足りなくて。

胸にごうごうと火が燃えているようで。


青春時代がいつかと尋ねられたら、迷わずこの頃を言うだろう。





「そんなお前が、スランプとはね」


おどけたように良太郎が言う。


「ああ。……あまりにも書けないもんだからね。最近じゃエッセイなんか勧められてるよ」

「おー。いいじゃんエッセイ。やってみろよ」

「いや書くことなんかないんだよ。編集はね、趣味のこととか書けと言うんだが。そもそも趣味も無いし」

「あー。それでお前、ホームセンターなんか居たのか!盆栽か、フナ釣りでも始めよう~みたいな?」


まさにその通りである。


「やめとけやめとけ。お前らしくもない」

「らしくってなんだよ。余所の年寄りはみんなそういうの立派に楽しんでるだろ」

「年老いた男の趣味ってか?」

「……まあ」

「お前なあ。そりゃあオレらがガキの頃の年寄りの話だろ!今時はすげえんだぞ。なんかのサークル入ってコンパしたりさ」

「ハハ。私にそういうのは無理だよ」

「それ」

「?」

「それだよ!なんなんだよそれは」


良太郎がピシッと指を向けて言った。


「なんだよ。《私》って」

「え?」

「それこそお前らしくねえ。文化人気取りか?」

「いや、別にそういうわけじゃ……」

「さっきから気になってたんだよ。お前、そんなんじゃなかっただろ?」


良太郎は眉間に皺を寄せながら詰める。


「なに年寄りぶってんだ」

「ぶるもなにも。私にはもう孫も居るし。名実共に立派なじじいだよ」

「大人しい老人のふりなんかしやがって。鬼才とまで呼ばれた藤木丞がよ」

「鬼才ってなあ……」


丞が困ったように苦笑いする。


「息子の嫁さんがな、すごくいい人なんだよ。それに孫の勇斗もなついてくれている。みんな、これ以上無いくらいに良くしてくれるんだよ」

「…………」

「だから私もいい年寄りになろうと思ってな。迷惑をかけないよう、穏やかに暮らそうとしてるんだ」

「それが書けねえ理由じゃねえのか?」


丞の動きがピタリと止まる。


「あったかい家族に囲まれてちゃ、尖ったお前の文章は書けないか」

「…………」


薄々、気付いてはいた。

原因が今のこの環境にあることを。


決して一般向けではないが、自分の作風を恥じたことなどない。

しかし、書こうとすると一瞬、思う。


家族に、引かれてしまうのでは、と。


孫の顔を見てしまうとどうしても子供をなぶる話は書けない。

息子の嫁、さとみと話すと女を凌辱する話が書けなくなる。


自分の人格思想と作風は別物なのだが、もしも同一に思われてしまったらと思うとそのふたりからの軽蔑が怖くて思考が止まってしまう。


黙りこんでしまった丞に、良太郎は淡々と話し始めた。


「実はオレさ、近々引っ越そうと思っててな」

「……え?」

「今の所も手狭になってきたし。仕事場兼自宅にどっか借りようと思ってさ」

「へえ」

「お前も一緒に住もうぜ」

「は!?」


丞は目が点になった。


「いーじゃん。そこでならお前も書けるようになるかもよ」

「いやいや……急すぎるだろ……」

「なんだよ。今の、優しいじいさんとしての生活のが大事か?」

「…………」

「このままじゃお前の文才が死んでいくぞ」


ズン、と心に重く響く。


「オレにはわかるぜ。いくら装ったってさ。だってよ、さっき、昔の話してたお前の目。それが年寄りの目かよ」


書きたいんだろ?


良太郎がニヤリと笑う。


「オレをビビらせたような小説書けよ。おどろおどろしいやつを」


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