シザンサスの花言葉
それは、数日後のことだった。
“おはよう!風邪、完全に治ったよ!”
“おはよ、朝から元気ね”
欠伸を交えての言葉に、僕は笑顔で返す。
“今日はね、クロを連れて行きたい場所があるんだ”
“連れて行きたい場所?何処よ”
“それは着いてからのお楽しみだよ”
“トラの所じゃないでしょうね”
“いや、クロを連れてトラの所には行けないでしょ”
二匹の相性の悪さは、もう分かっている。
“風邪が治ったら、クロを連れて行きたいって思ってた場所なんだ”
“答えになってない”
クロは不機嫌な声でそう言うと、立ち上がって伸びをした。
“まぁ、いいわ。行きましょう、そこへ。最近はずっと橋の下にいたしね”
“うぅ…僕が動けなかったばっかりに…ごめんね”
“だから謝らないでってば”
クロがそう言ってくれたので、目的地へ歩き始める。
“ちょっと歩くけど平気?”
“だから、あなたは私のお母さんなの?”
“僕はお父さんがいいなぁ”
“…気になるのはそこなのね”
“…わぁ…”
予想通りの感嘆の声に、僕は嬉しくなる。
“ね、綺麗でしょ?”
一面の花畑。
赤色の敷き詰められた光景は、きっと人間も管理したがるだろう。
でも、人間の手が加わっていない自然の方が、ずっと綺麗だ。
“初めて見た…こんなたくさんの花…”
“感動した?”
“うん…。感動、した”
“中に入ると、もっと綺麗だよ。行く?”
“…行く”
今日のクロは素直だな。
きっと、この花畑に感動しているんだろう。
そう思って、僕はクロを咥えて運ばずに、歩幅を合わせてゆっくりと歩いた。
近付いてみると、赤に混ざって白や桃色の花もある。
“ここに咲いている花はね、シザンサスって言うんだって”
“どうしてそんなこと知ってるの?”
“ここによく来ていたおじいちゃんが教えてくれた。花言葉も”
まだ僕が捨てられて間もない頃、よくここに来た。
花弁の形が蝶に似ていて、遊び相手にちょうど良かったんだ。
その時、僕を攻撃しないおじいさんが、食べ物を分けてくれていた。
そのおじいさんも、どうやら家族に“捨てられた”らしい。
一緒だな、とよく喉を撫でてくれた。
懐かしいなぁ…とおじいさんを思い出していると、急にクロが顔を覗き込んできた。
“花言葉って何だったの?”
クロの瞳は好奇心に揺れている。
時々大人びて見えるけど、耳をピンと立てたその様子はやはり子猫だ。
僕はそれを微笑ましく思いながら、シザンサスを見上げた。
“いつまでも一緒に、だって”
クロの足が止まったことに、クロより数歩進んだところで気付いた。
僕は振り返る。
クロは、ジッと僕を見ていた。
僕は、クロに笑いかける。
“ね、僕らにぴったりでしょ?”
僕らよりも背の高い赤色が、風に揺れる。
クロは、周りの花を見回してから、僕を見た。
“…そうね。私たちに、ぴったりね”
その顔は笑っているように見えて、僕も笑った。
その、夜だった。
クロが……倒れたのは。