イーグルには聞こえない
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格納庫前にパドルを持った整備士が立ち、ゴールデンイーグルを誘導する。
パドルの指示に合わせ機首を振ると、意識がスラロームローリングするように滑りそうになった。まだ歌は耳に残っていて、ガンガンと脳を刺激するように痛める。スロットルを握りしめるように抑えると出力が収まって、機首がガクンと震えた。
ブレーキを当て、エンジンを停止した後もしばらく足が地に着かないような状態でフラフラして、気持ちが悪い。
ヘルメットを外した時、ようやく落ち着く。
「アテネさん、大丈夫ですか」
「あぁ、おう・・・大丈夫」
気の抜けた声で整備士に返答すると、掛けられた梯子に足を掛けようとしてふと隊長の様子がやけに静かなことに意識が行った。
梯子からしっかりと地面に足をつけると上を向いて後席を見るが、そこには隊長の姿がない。
「アテネさん、着陸してからボーっとしてたんですよ」
機付き整備士の空曹がチェックシートを持って呆れたように言う。
言われても全く分からなかった。疲れが来ているのか、まったく意識が持てなかった。そうか、もう隊長は降りていたのか。
「隊長は?」
「急いでプレハブの方に行きましたよ」
「チェックリストも見ずに?」
隊長は、そういった当たり前のことを当たり前にすることを部下のパイロットたちにも徹底させていたはずだから、それすらも置いて自分の発想に追いすがるように行くなんて珍しい。やっぱりさっきの歌は衝撃的だったのか。あれは一体何だったんだ。
チェックリストを手渡されながら、装備換装の欄にFLIRポッドも追加し、センターパイロンにチェックを入れた。
「もう一度飛ぶんですね」
そう言った整備士は心底不思議そうな顔をしている。
そうか、整備士には何が起きたのか、全く伝えなかったんだ。今の整備士に与えられた情報だけでは、俺たちが宮古空港の事故をチェックした後、何かに怯えるように焦ったり放心しているだけ、何事かと思うだろう。
「いいから乗せろ。サイドワインダーはピンをつけてシーカー冷却」
「了解、あと1時間で再飛行できるようにします」
「頼んだ」肩を叩いてから、足を踏みしめるようにしてゆっくりと歩いていく。疲れているならふらつきそうなものだが、そう言った症状には全く襲われない。
プレハブ小屋に向かって足を進めると、JHCMSのついたヘルメットが重く感じる。おまけに空からは太陽がこれほどでもかというくらいに日光を当ててきた。
対Gスーツの内側、フライトスーツの下は気持ちが悪いぐらいに汗をかいている。
プレハブ小屋の扉を開けると、隊長の声が鳴り響いた。
「アテネ!夜にもう一度飛べるか?」
口調は断定的だった。嫌といってもこの下地島には俺以外のパイロットはいない。隊長は無理してでもその研究欲を満たすため、乗りなれないTA50を操縦して、あの発光体を追いかけるだろう。
「行けますよ」
ソファに座り込みながら、冷蔵庫から冷たいお茶を取り出し飲み干す。二本目を取ろうと手を伸ばすと、目の前にコップを置かれ、そこに麦茶を注がれた。既に薬缶の氷は解けていて冷たくなさそうだったから、冷やしてあるペットボトルを飲もうとしたのだが、三尉は薬缶のお茶を消費してほしかったらしい。
「よし、今から対策会議だ。一ノ瀬三尉、プロジェクター繋いでくれ」
パソコンを持ったまま、デスクからこちらに向かって歩いてくる隊長は、ソファにドスンと腰を掛ける。
「了解です」
応接セットの奥にある白幕を引き出した三尉は、デスクの方からプロジェクターを引き出し、隊長のパソコンと接続した。
プロジェクターから光が出ると、空気中の埃に光が反射してキラキラと光る。
プレハブ小屋のカーテンが閉められて、電気も消されると、パソコンの画面が白幕に映り、偵察ポッドで撮った発光体の動画が読み込まれる。
「防衛省の方に連絡掛けた結果、あの時間あの空域に居た飛行機はない」
「レーダーサイトにも映ってなかったんですよね」
「そうだ」
動画が再生されると、発光体が上昇してカメラから逃げるような動きが詳細に残っていた。スローで再生しなおすと、一旦停止した後、跳ね返ったように飛ぶ奇妙な動きが見える。
こんな動きをできるのは、それこそアニメや漫画のロボットぐらいなもので、それも中で操作する人間の事はこれっぽちも考えていないものだ。つまり、こんな挙動をできる現実のものを考えたら無人機ぐらいしか想像がつかない。
「事態は急ぎます。宮古空港の事故を調査している筋から話を聞きました」
「一ノ瀬三尉、やっぱり「歌」か?」
「えぇ、空中で飛行している機内で歌が聞こえたそうです。これは隊長と風見三尉が遭遇したものと同じです」
歌が、聞こえた?だから気を失いそうになったが、それが宮古空港の事故を引き起こしたのか。
「ということは、原因はあの発光体と接近したから?」
「そういう見方が強いですね、あの発光体、覚えていないかもしれませんが、風見三尉がインターセプトして気絶した時のスペースデブリと酷似します」
「これで1年前と今回の気絶騒ぎが繋がった」
頷くように言った隊長は、手を叩き、結論を出した。
デスク側にあるホワイトボードを引き出した隊長は、ペンで丁寧に箇条書きしていく。
「まず1年前、宇宙ゴミが落下し、インターセプトしたアテネが気を失った」
「次に、宮古空港にアプローチした民間機が俺と同様の気絶により、墜落」
「そうだ、その尻尾を出した宇宙ゴミを追いかけた俺たちは歌のような何かを耳に入れ気を失いかけた。そしてその歌が録音できた」
動画再生が始まろうとした時、扉が開く音がする。
そちらの方向に振り返ると、イーグルがダイバースーツに着替え、ラッシュガードに身を包んだ姿で入ってきた。
「隊長、イーグルを飛ばすんですか?」
「まぁ、待て。面白い現象が起きたんだよ」
急かす様に聞いた俺をなだめるように言った隊長はイーグルを呼び寄せ、動画を再生するボタンをクリックする前に一言断わる。
「この「歌」のような何かの効果は馬鹿みたいにでかい。5秒までしか耳に入れてはいけない。それ以上は普通に気を失う。この効果は、俺と一ノ瀬三尉で実証済みだ」
「イーグルは?」
「言っただろ、面白い現象が起きたって」
動画が再生された。
物体が発光し、移動している飛行機の中にも関わらず歌が響く。
意識が段々と薄くなり、気が遠くなっていく。
「あの隊長さん、やっぱり私聞こえないんですけど・・・大丈夫ですか?」
イーグルが対面で平然と座る中、俺と隊長はGに耐えるような姿勢になり呼吸が早くなっている。三尉に至っては気を失い、ソファに倒れ掛かった。
動画が止まる。たった5秒、けれど体の中ではとてもじゃないが5・6時間経ったように感じるぐらいに疲れた。
だがイーグルは平然としている。
「・・・うっそだろ?」
「な、面白いだろ?」
コクンと首を縦に振る。
イーグルは何が起きたのかすらわからないまま、平然としていた。その様子は、本当に何もわかっていないようだった。
俺はふらふらと立ち上がって、倒れた三尉を背負い、ソファに座らせる。
「ホントに何が起きてるんですか!」
心底驚いた様子で、隊長を詰問するように近づいたイーグルは答えを聞いた瞬間、素っ頓狂な顔になった。
「イーグルちゃんは気づいてないのかもしれないが、ここでは音響兵器染みた歌が聞こえて、みんな意識が遠くなってるんだよ」
「何にも聞こえませんよ?」
「そう、もしかしたら。聞こえないのかもしれない。何故なら、あの宇宙ゴミとイーグルちゃんは同じ存在だから」
「それはどういう!」
イーグルが強い口調で反応した。俺も、どういう意味か聞き返したかったが、続く言葉に息を呑んだ。
「あの歌の中心に居る発光体は、何故、この歌で気を失わない?」
「イーグルが、あの発光体と同じだから・・・」
「そうだ、今日宮古空港には宇宙ゴミが接近したという報告が届いている」
一年前、星が落ちてきた時にはイーグルが意識を持った。
今日、宇宙ゴミが落ちてきて、それは意識を失う歌を流した。
イーグルにはこの歌は聞こえない。
「イーグルには届かない歌を流したということは、イーグルは俺たちとは別の何か・・・?」




