携帯が鳴る
その後は自然に静かになった。けれどその真っ白な空間も、三尉のように静かな人と過ごす分には別に気分も悪くない。イーグルみたいに喧しいと黙ってることもできず、体で言葉を示してくるが、そう言うことがないというのであれば、こうやってダンマリした雰囲気も別に悪くはなかった。
車が走る中、自然とその無言の空間が手持ち無沙汰になって、カーラジオをつける。流行りの音楽が流れ始めて、真っ白だった車内にパステルカラーが広がったように感じる。
ハンドルを握る手は自然にリズムを取り、脳内で歌う。
「この歌、いいですよね」
三尉が窓に肘をついて外を眺めながら、話しかけてきた。
相槌を打つと、彼女は自然と話を続ける。
「別れた女の気持ちがよく歌われていると思います」
ラジオで流れている歌は男と別れた女が諦めきれないような気持ちを諦めるまでの過程を歌っている。その気持ちの良いテンポと裏腹な暗い歌詞のギャップにハマっている人も少なくない。
「そうだな、この歌手ってなんでも歌うよな」
「ですね、去年の年末は演歌でしたっけ?」
歌っている歌手はここ最近テレビやラジオで流行りだしたネット出身の若手。なんでも歌うというか、芸風に左右され過ぎない、多種多様なコラボが民衆に支持されている。年末恒例の歌番組でも歌い、貧乏くじを引いた俺は印象がでかく覚えていた。
「そうそう、アラートパッドで見てたけど上手だったなぁ」
「アニソンとかも歌いますよね」
「そうなのか?アニメとかあんまり見ないからなー」
静かだった車内が一人の歌手の歌を切欠に話しが弾んでいく。
三尉は珍しく饒舌に語り、俺が相槌を打つだけだったが、それでも静かだった車内に明るい雰囲気が漂い始めた。
「風見三尉、結局聞かれないんですね?」
「何を」
話が一旦区切られると、三尉がシートベルトをつけたまま首を傾げ、そのショートカットの頭を肩に当ててくる。
「ここまで匂わせば、食いつくと思ったのですが」
「だから、何を!」
いい加減今朝と変わったその不安そうな顔の理由を聞きたいと思ってしまうが、それを言ってしまえば関係がボロボロと音を立てて崩れていきそうで声を飲み込む。
「いいんですよ、聞いても」
「聞かないよ、聞かれたくないんだろ」
「聞いてほしいと言えば、聞いてくれるんですか?」
「考えんでもない」
このまま考えを飲み込んだまま不安な感情を残されても困るが、かといって面倒事を持ち込まれるのも困る。けれど、ずっと不安そうにされているぐらいなら話を聞くだけならば全然問題はないのだ。
「ぷっ、あっははは!」
唐突に肩の上で笑いだした三尉にびっくりして肩を震わすが、そんなことお構いなしに彼女は笑い過ぎて出た涙を抑えるように、上半身を持ち上げる。
「な、何だよ」
「貴方って時々カッコいいですよね」
イーグルにも言われた。何だよ「時々」って。普段がパッとしないみたいな言い方じゃないか、それ。全く誉め言葉になってない。
「で、何なんだ。昼間からうじうじして」
「いえ、私防大主席なんですよ」
キキーッ。
驚きすぎて、思わず車のブレーキを踏んでしまう。車はノロノロと徐行していたがブレーキがかかったことでガクンと頭が下がる。
防大主席って、それすなわち、その年の日本の学生でも片手の指に上がるような学力と体力の文武両道でなければいけないということだ。少なくともお嬢様然とした三尉にはこれっぽちとも想像はつかない。何とも無さげに語るが、少なくとも難易度は馬鹿みたいに高い。それを簡単に言ってしまう三尉の様子は平然としており嘘を言っているようではなかった。
「嘘じゃなくて?」
「嘘つく必要ありますかね」
ジーっと湿った視線に睨まれる。思わず、唸ってしまう。ここで嘘を言う必要はない、そして三尉の様子を見ればどう見ても嘘をついているとは思えない。それぐらい平然と言ってのけたのだ。
「でも、主席ってこう、もっとキャリアに入るんじゃないのか?」
「まぁ、上層部に嫌われたせいですが」
「もしかして、厄介な話だったりする?」
「それ以外ないでしょう」
「ならパス、俺そういう話題は耳に入れないようにしているんだわ」
ハンドルを握り直し、車を再発進させるとパチンと肩が叩かれる。車内ミラーで三尉を見ると、頬を膨らませている。顔を赤面させながら、二度目のはたきが肩に入る。頬から貯めていた空気が漏れ出し、リップが揺れた。
め、めんどくせー。
思わずそう呟きそうになるが、ぎりぎりで飲み込む。
「話し始めたんだから、聞いてくださいよ」
「分かったよ、聞く。聞くから」
本当に女って面倒くさいな。男同士だったらこんな深く考えて行動しなくても、結果は出るというのに。
「それで、ですね。私は言わば左遷のような形で警備科に入っているわけですが、この職、やりがいがとてもあるんですよ」
「いいことじゃないか。今時やりがいのある職業なんて珍しい方だろ」
「そうなんですけど、親が!」
「親かー」
そこまで聞いたところでどういう話かようやく納得が行った。
三尉は今の職に満足しているが、成績とかを目に入れている親にとっては納得が行かなくて文句を言われたのだろう。そんなこと一自衛官である三尉に解決は難しいが、両親が話せるのは三尉だけ、そこでしわ寄せが来たのだ。
「で、ですよ!」
話を続けようとした三尉を左手で制止し、右手でハンドルを抑え、サイドブレーキを掛ける。
携帯が震え始めた。
「一ノ瀬三尉、携帯、来てないか?」
「来てますね、トラブルでしょうか」
隣からも着信音が聞こえてきたので指摘すると2人そろって携帯を起動させる。
隊長からの着信であることが分かった。
俺の携帯は切れており、三尉が電話に出る。
「はい、一ノ瀬です。風見三尉ですか?今、車を止めているので出られますが」
そこまで言ったところで三尉は自分の携帯をスピーカーモードに変えて、こちらに向けてきた。
「風見です、隊長何か起きましたか?」
「荷物を置いてこい、そしたらすぐ招集だ」
「了解、30分で行きます」
隊長が電話に出ると簡潔に説明だけしてすぐに切ってしまう。
「一体何が起きたんでしょうか」
「うーん、少しネット覗いてみるか」
そう一言断り自分の携帯をいじってインターネットと繋ぐ。
三本線が入った瞬間に切り替えてブラウザを起動。
馴染みのSNSアカウントにログインさせ、検索画面を開いた。
{宮古空港閉鎖、1機墜落。原因不明、死者不明}
すぐさま声が出る。覗いてきた三尉も何事か分かったのだろう、自分の端末を持って検索を始める。
着陸機はオートパイロットを切る。当然事故の確率も増え、安全のため離着陸の前後数分はパイロットにとって最も集中する瞬間だった。
「宮古島って、すぐそこじゃないですか」
三尉が呟く。
確かにすぐそこだ。今いる伊良部島から橋を一本渡るだけで到着する。
「よし、急ごう」
携帯を斜め読みした俺はまだ情報が集まっていないと感じるとすぐさま電源を消し、サイドブレーキを解除した。
検索を続ける三尉は追加されていく情報を読み上げている。
「墜落機は、那覇、宮古便のエンブラエル、座席数は76」
「EMB170だな、ターボプロップ双発だ」
「航空無線では当該機が着陸寸前に応答せず、そのまま着陸したそうです」
そう言って三尉が写真をこちらに見せてくる。
肩翼のプロペラ機が滑走路に横たわるように不時着している。ギアは壊れて遠くに飛んでおり、胴体から脱出用の空気スロープが伸びていた。周りには人の様子も見える。
まだ、助かった方だ。そう感想を抱いた。宮古空港は中型ジェットも運用する。最大クラスはボーイング737ニュージュネレーションやエアバスA320、そんな100人以上の乗客を乗せるジェット機ではなくターボプロップという低速機が着陸ミスという事故ならば、生存者も多いことはあっても少ないことはない。
重大事故ではあるが、壊滅的な被害ではないはず。それでも、何かがあるということは想像がついた。




