嫌いな思い出
わたしは、大人の顔色ばかり窺っている子どもだった。そうして、計算高く立ち回ったつもりが、魂胆が見え見えで、かえってあざとい嫌な子どもとして大人を白けさせてしまうような、愛されにくい子どもだった。今こうして書いていても嫌になる。
幼稚園のお遊戯会で隣に並んでいた杏奈ちゃんは、小柄で可愛らしい子だった。保護者が見ているその場所で、私たちは(まだ5歳にもならないのに)「しょうらいのゆめ」を語らされるのだが、彼女はそのとき
「わたしは、おはなやさんになりたいです」
と言って、母親たちの顔を緩ませ、好意的なさざめきを親たちの間に巻き起こした。先生も、彼女の後ろから愛おしそうな視線を投げていた。
将来の夢なんて思いつかず、それでも「夢なんてありません」と言えるほど口達者ではなかったので、私は「杏奈ちゃんの真似をすれば、みんな笑って喜んでくれる」と短絡的に信じた。そうして
「わたしも、おはなやさんになりたいです」
会場は、一瞬シンとした。
私の言葉にもなんの反応もないまま、先生は次の順番の子を促した。それで終わりだった。
『人間失格』に、笑われることばかりする主人公が「わざとやっただろう、お前は」と道化を看破され、真っ青になるシーンがあった。……あんな感じだ。
愛しにくい子どもだった、と思う。ただでさえ愛されているのを信じようとしないで、愛されようとする姿が醜かったのだと思う。いま思い出しても、ひたすら気恥ずかしくて哀しい。
この世で自分が一番憎むものがあるとしたら、それは哀れな醜さだ。そればっかりは、本当に体験したくない。置いてきぼりにされたような気恥ずかしさも。