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「葛城さん」
授業がすべて終わり、帰宅部の愛乃がさて帰るかと帰り支度をしているところで、突然後ろから名字を呼ばれ、さっきも同じことがあったなあと思いながら、先程と異なる女子生徒の声に振り向いた。
そこには、声でわかっていたのだから当り前ではあるが、予想通りの人物、芦屋桔梗の姿が。周りに《守護者》は連れておらず、おや珍しいと思ってしまったのは仕方のないことだと思う。
「どうかしたの?」
「ちょっと、この後って時間とれるかなと思って……」
「私はいいけど……芦屋さん、部活は? たしかサッカー部のマネージャーだったよね」
攻略対象の一人であるサッカー部員が彼女をマネージャーとして入部させたことはまだ記憶に新しい。に彼女が転校してきたばかり、今から三か月ほど前のことなのだから当り前といえば当り前だが。
桔梗は愛乃の問いに「今日は部活がお休みなの」と答え、「どうかな?」と尋ねる。愛乃はふむと顎に手をかけ、自分に問題はないが《守護者》がどう思うのかなと考え込む。貴重なヒロインの放課後。のどから手が出るほどほしいと思うに決まっているその時間を、ゲームでいえばモブの自分に快く譲るものなのだろうか、と。
ちらり、と愛乃が《守護者》の方を向いたことで、どうやら桔梗は愛乃の悩みに気付いたらしく、「大丈夫」と愛乃に囁いた。
「今日は一人でゆっくりしたいって言ったから問題ないよ」
「それで彼らは納得したの?」
「まさか。だけどどうしても今日、貴女と話をしたかったから、ゆっくりできないのかーそれじゃあ私過労で倒れちゃいそうだなー明日学校休みそうだなーって言っちゃった」
それ、確実に介抱イベントに向かうだろう。
顔をひきつらせながら攻略対象の一人である保険医の顔を思い浮かべ、すぐさまそれを頭から追い払う。
「それなら問題ないわね」と納得したように見せ、スクールバッグからスマホを取り出すと「一件だけメールを送らせて」と桔梗に断ってからいくつか操作をする。それを完了しカバンを手に取れば「それじゃあ行こう」とにっこりほほ笑む桔梗。これならば男子生徒が籠絡するのも無理ないな、なんて一つ頷くと、彼女の隣に並び歩き始めた。
学校から離れた人の少ないカフェ。愛乃はアイスコーヒーを、桔梗はアイスティーを頼んだところでようやく桔梗は愛乃に話しかけた理由を告げた。それまではずっと他愛もない、言ってしまえばどうでもいい話ばかりしていたというのに、だ。落ち着いたからというのもあるだろうが、彼女がこの人の少ないカフェを選んだことから誰かに聞かれたくなかったんだろうと愛乃は推測する。
「あの、葛城さんって、…………本堂君と、仲、いいの?」
顔をひと刷け赤くし尋ねる姿は、どう見ても『恋する乙女』のそれで。
ああなるほどやはりな、と思わず愛乃はうなずいてしまった。それを桔梗は勘違いしたのか、がたがたっとテーブルを揺らし「ほ、本当!?」と驚いたような声を上げたので、「ごめんごめん、そんなことないわ」と安心させようと彼女の手を掴む。
「勘違いさせてしまってごめんなさいね。本堂君とはちぉんと話をしたのは今日が初めてで、今まではクラスの業務連絡や授業程度でしか話したことはないわ」
「ほ、ほんとう……?」
こんどの「ほんとう」は少し弱弱しく、それほどまでに本堂を想っているのか、と楽しくなってしまった。「本当よ」と微笑みながら深くうなずいたところで二人の注文した飲み物が届いたのでそこで一度中断をする。
アイスコーヒーにストローをさし、愛乃がブラックのままそれを口に含んだ姿をみて、アイスティーにガムシロップを一つ入れながら桔梗は「使わないなら貰っても良いかな?」とガムシロップを指差した。いいわよと言う代わりに首肯すれば「ありがとう」と礼を言い愛乃の分のガムシロップもグラスにいれ、ストローで軽くかき混ぜる。甘党のようだ。ヒロインにそんな設定なんてあったかしら、とコーヒーのグラスをコースターの上に載せれば、桔梗がアイスティーを飲んだところでだった。その甘さに満足げな表情をみせると、どうやらそれで落ち着いたようで、恥ずかしそうに「取り乱しちゃってごめんなさい」と頭を下げた。
「別に気にしていないわ。だけど……芦屋さんが本堂君を好きだとは思っていなかったから吃驚しちゃった」
「あ、あのね、お願いがあるんだけど、このこと誰にも……」
「言わないわ。約束する。こう見えて口が堅いの。それに貴女が心配するように、本堂君を狙ったりすることもないしね」
パチンとウィンクをしてみせれば、「で、でも本堂君格好いいし……」と俯いてしまう。
さすが恋する乙女。不安で不安でたまらないらしい。
私にもそんな時期があったなあ、と思考を飛ばしていたらつい、
「攻略対象を迷惑そうにしていたのは、やっぱりこれが原因だったのね」
とつぶやいてしまった。
桔梗がこれに驚き再びテーブルを揺らしかけたので、両手を使ってテーブルを抑え揺れをとめる。彼女が反応したのは前者か後者か。
その疑問は、すぐに解消されることとなる。
「こ、攻略対象って、な、なんで、なんでしってる、の?」
という桔梗自身の言葉によって。
驚くのも無理ないかと思いながらも、きれいに笑みを浮かべ「知っているから知っているの」と答える。我ながらてきとうな回答すぎるだろう、と思ったが、混乱している桔梗はどうやらそれで納得してしまったらしく「知ってるから、知ってるんだね……」と愛乃の言葉を自分の言葉で繰り返してしまった。そしてアイスティーをストローから一気に呷り飲み干すと「おかわりお願いします!」と店員に声をかけた。自棄酒ならぬ自棄紅茶らしい。酒に比べれば危険はないが、甘党らしい彼女のことだから今度もまたガムシロップをいれることだろう。愛乃の余った分はないから今度は店員に多く持ってくるよう頼んで。先程は自分の文と愛乃の余った分だけということで二つだったが、店員に持ってきてもらうとなれば二つじゃあすまないような気がしてならない。
「芦屋さん、一度落ち着いて。ね」
アイスティーが届いたところで店員にガムシロップの追加をしようとした桔梗を止め、店員にはこれだけで十分だからと下がってもらう。
ガムシロップ一つの状態でゆっくりと桔梗にアイスティーを飲ませれば、なんとか落ち着きを取り戻したようで「わ、私ったら……ごめんなさい……」と両の手の指先を擦りあわせた。気にしていないことを告げると、愛乃は本題に戻ろうと一言、
「芦屋さんも、この世界が乙女ゲームの世界だって、知っているわよね」
と桔梗に尋ねた。今度は慌てることも焦ることもなく、桔梗は指先を合わせたままこくりと一つ頷き、「私もってことは、葛城さんも……?」と尋ね返す。
「えぇ知っているわ」
「でも、どうして私がヒロインに転成したって気付いたの? ヒロインというキャラクターだと思っても不思議じゃないと思うんだけど……」
桔梗は不思議そうにしているが、愛乃はなぜ彼女がそんな表情を見せるのかが分からない。短く「見ていればすぐにわかるわよ」と言い、それから「それなのにどうしてあんな表情をするのかはわからないけど」と続ける。
だが桔梗は愛乃の言葉の意味が分からなかったようで、しきりに首をかしげた。その表情から、愛乃は「まさか……」と考えてはいたがでもそんなことはないだろうと推測していたことを、口に出した。
「芦屋さん、もしかして、ゲームをやったことがなかったり、する?」
「……うん。ストーリーはおろか、キャラクターのフルネームもよくわからないんだ。ゲームタイトルと、それから学校の名前、キャラクターのふわふわっとした顔と下の名前だけは覚えていたから、もしかしてとは思ったけど……本当にあの乙女ゲームだったんだ」
「ストーリーは知らなくても貴女の今置かれている状況で乙女ゲームに結びつかない人間、転生者の中にいるわけないと思うわよ」
「…………やっぱり?」
首肯を一つしてやれば「認めたくなかった、なかったのにぃぃぃ」と悲痛な声が上がった。どうやら乙女ゲームのヒロインになったことを喜んでいないらしい。本堂というモブキャラといってもいいような立ち位置の男に恋をするくらいだから当り前と言えば当り前だが。
「でも、ゲームを知らないにしては貴女やけにストーリー攻略順調よね。私は一つのルートしかクリアしなかったからプレイしていない他のルートの記憶はあいまいだけど、それでも途中まではこのゲームでは同じストーリーのはずだから、この時期までに終わらせるイベントはすべて網羅していると太鼓判を押してあげられるわ」
今現在進んでいる『ストーリー』のもとになった『物語』は、もとは一つのルートからなっており、そこから枝分かれするように各キャラクターへ分岐する、という構成となっていた。今の時期ではまだ各キャラクターのルートへ分岐する時点ではなかったと愛乃は記憶しているので、問題なく太鼓判を押せる。
「だからあんなに男子が群がってきているの……。ヒロイン補正みたいなので自然と寄ってきているんだと思ってた……」
「それもないとは言い切れないけど……でも私の記憶にあるセリフを貴女たまに言っていたから、補正はそれほど関係ないんじゃない?」
ついには頭を抱え込み悩む桔梗に、言い過ぎたかと反省しつつ一口コーヒーを啜る。しかしそれを告げないという選択肢が愛乃にあるはずもなく、伝えてやることこそ桔梗のためになるのだと自分を納得させた。
次話は28日19時更新です




