07
【玖郎】
唐突に、向日葵がそう言った。
いや、唐突ではないのだろう。
大量のてるてる坊主をたった一人で作り、学校中の人目に付かない場所に逆さに吊るして、必死に雨を願った――その人物を示す情報は十分に絞り込まれている。
四年二組の生徒で、今日一日で吊るす必要があり、雨を願う理由がある人物である。
同じ四年二組の生徒である向日葵なら思い当たることがあるはずだ。
向日葵が思い当たらなかった場合の奥の手も用意していたが、このタイミングで披露する必要はなさそうだ。
それでは、念のため答え合わせをしよう。
「花咲芽衣。そう思った理由は?」
僕の問いに、向日葵は一つ頷くと答えた。
「芽衣ちゃんは、小柄で大人しい女の子で、生物係なの。小さい時から難しい病気にかかっていて、ずっと病院に行ったり薬を飲んだりしてるって言ってた」
向日葵は続けた。
「ここ二・三日は学校をお休みしていて、今日久しぶりに学校に来たの。明日、手術なんだ、って言ってた」
そう言った向日葵の表情は暗い。
なるほど。
元気な盛りのはずの小学校四年生の女子に、難しい病気、病院、薬という言葉が痛々しい。
それに加えて、明日が手術、か。
「それが、『今日一日で吊るす必要があった』理由だって思ったの」
向日葵の答えは理にかなっている。
てるてる坊主を作り逆さに吊るした生徒は、花咲芽衣で間違いないだろう。
とすると――。
「納得できるな。――もう一人の生物係は?」
僕がそう言うと、一瞬きょとんとしてから、向日葵は笑顔を見せた。
「本当に――小泉ちゃんってすごいんだね。瑠璃ちゃん、とっても素敵な〈騎士〉を選んだね」
「え? ええ?」
瑠璃には、今の問いの意味が分からなかったようだ。
確かに、花咲やもう一人の生物係のクラスメートである向日葵にはピンと来るものがあるだろうが、瑠璃には情報不足に過ぎるだろう。
「瑠璃、順番に説明する」
僕は、瑠璃に向かって言う。
「花咲には、てるてる坊主を『今日一日で吊るす必要』があった。手術の日程が決まり、それまでに登校できる日が今日だけだったからだ。そこで、検査の他にはやることもない昨日と一昨日の時間を使って、大量のてるてる坊主を用意し、今日、逆さに吊るした。おそらく間違いないだろう」
僕は言葉を続ける。
「残るは『雨を願う理由』だ。向日葵が説明した花咲の特徴の中で、天候に関係しそうなものは生物係だ。生物係はクラスの花壇の世話を任されている。つまり、アサガオやヘチマに水やりをする仕事だ」
瑠璃が納得を示して頷いた。
それを確認して、僕が続ける。
「花咲が雨になって欲しいと思う理由。それは、手術とその後数日の入院の間、花壇の水やりが心配だからだ。梅雨直前の時期だが、雨が降らなければ水やりが必要だからな」
「逆に言えば、雨が降れば水やりが必要がない、ということですね。それが、逆さまのてるてる坊主の理由、という訳ですね」
瑠璃の言葉に、僕は頷いて見せた。
「そこで疑問が浮かぶ。通常、学級委員長にしても生物係にしても、二人ずつ選ぶものだ。一人が水やりをできないとしても、もう一人がいるから問題ないはずだ」
瑠璃の表情が、疑問から理解に変わった。
「分かりました。だから、もう一人の生物係について聞いたんですね?」
「そう言うことだ」
そこで、ようやく向日葵が僕の問いに答えた。
「もう一人の生物係は、木村拓真くん。芽衣ちゃんとは幼馴染だって聞いたけど、生物係の仕事は全然やらないの。芽衣ちゃんに押し付けて、遊びに行っちゃうみたい」
「そういうこと、か」
状況は理解した。
花咲の、自分が世話をしなくてはいけないという責任感が、大量のてるてる坊主を逆さまに吊るさせたのだ。
よし。
一つずつ状況が整いつつある。
残るは――。
「話を先に進めるぞ。花咲は困っている。それは間違いない。僕達は、彼女を助けたい。しかし、手術は明日だ。僕達に残された時間も今日だけだ」
僕は、要点を口にした。
「では、何をしたら花咲を助けることになる?」
その問いに、瑠璃と向日葵が思案顔になる。
「私の魔法で、土の栄養を一杯にするの。雨が降らなくても枯れないように」
ふむ、第一案としては悪くない。
瑠璃と向日葵が同時に思考を始めると、大抵向日葵が先に口を開く。二人の性格の差と、瑠璃の方が深く思考をしていることが現れているのだろう。
向日葵にも、もっと落ち着いて考えろと言いたいところだが、彼女の場合はほぼ直感で口にした考えの筋が良いものであることが多い。
センスが良い、といったところか。
「雨を降らせることでしょうか? さすがにそんな魔法は使えませんから、〈操作〉で水を運びます。これで花壇の植物は枯れません」
確かに、二人の方法なら花咲の心配事は解消される。だが、一つ重大な問題があるとすれば――。
「つまり、花咲に二人が約束するのか? 私が代わりに水をやりますので心配なく、と」
「あ、そっか」
「そう言われると、何か違う気もしますね」
向日葵と瑠璃は、再び思案顔を見せる。
ふむ。
思考を続けさせることは二人にとっては良いことだろうが、残り時間を無駄にしたくない。
ここは、僕の考えを出しておこう。
「もう一人の生物係である木村が、花咲に対して、真面目に水やりの仕事をすると約束することだろうな」
僕の意見に、二人の〈魔法少女〉は目を輝かせて頷いた。
「それ、とっても良い!」
「幸せをもたらすだけでなく、不幸――悩み事も退けています。さすが玖郎くんです」
だが。
そのためには問題が――。
「でも、どうやって? 木村君がどこにいるかも分からないし、どうして水やりをサボっちゃうのか、その理由も分からないよ」
向日葵の言った通りである。
木村の居場所、水やりをしない理由、その二つはどんなに少なく見積もってもクリアする必要がある。木村に水やりを約束させるためには、避けて通れない問題だ。
しかし、現状それを考慮すべき手がかりはない。
さすがのてるてる坊主も、それを示す情報を持ってはいないだろう。
とすると。
「いよいよ奥の手を使うか」
僕は、そう言って携帯電話を取り出した。
さすがに学校にいる間は、電源を落としてランドセルの奥深くにしまっている。携帯電話を操作し、電源を入れると、目的の連絡先を探す。
「奥の手って、琴子さんですか?」
「まさか」
瑠璃の言葉に、僕は思わず彼女の顔を見てしまう。
母さんにこの程度のことで借りを作ったりしたら――この携帯電話を手に入れるために、春頃体験した屈辱的な一時の事は、小さくない傷を僕の自尊心に残している――洒落にならない。
母さんに頼るのは、奥の手を通り越して最後の手段だ。
そのくらいの心づもりで行かないと、自分のプライドを切り売りして瑠璃を女王に据えることになりかねない。
「小学校で起こった事なら、彼女に尋ねるのが一番だ」
あ、と瑠璃の表情に納得の色が浮かぶ。
そこで、先程から呼び出ししていた相手がようやく電話口に出た。
『玖ろ――じゃなかった、小泉。何か用?』
「ああ。委員長、突然電話してすまない。今、大丈夫か?」
電話の相手は、霧島朝美――瑠璃と僕のクラスのクラス委員長だ。
真面目なクラス委員長の姿が仮のものではないかと思うほど、委員長の噂収集能力は高い。僕の知る限り、僕が知りたかった噂話を彼女が知らなかったことはない。
つまるところ――信用しているのだ。
委員長のことを。
『いつでも――こほん。ちょうど家に帰ったところだから。時間もあるし、大丈夫だよ。また何か噂話について?』
「そうだ。教えて欲しいことがある。いつもすまない」
電話の向うに妙な間が開いた。
『い、いいよ。ま、まあ、せっかく誕生日に携帯電話を買ってもらったのに、使わないのももったいないしね。うん。そういうことだから、気にしないで』
「そうだな。僕も、委員長の番号を教えてもらっていて良かった。いつも助かっている」
『ひゃ? そ、そう? まあ、力になれているなら、その、嬉しいけど』
ふむ。
電話口では知っている声も別人に聞こえるというのは良く聞く話だが、どことなく委員長の様子がおかしいようだが。
いや、気のせいか。
「瑠璃と向日葵もここにいる。二人にも通話の内容が聞こえる状態にしようと思うが、問題ないか?」
『うん。向日葵ちゃんの関係だと思ってたからね。問題ないよ』
僕は、瑠璃と向日葵にも聞こえるように、携帯電話をスピーカー通話の状態に操作した。
『ちゃんと聞こえてる?』
「うん、聞こえてるよ。朝美ちゃん、学校終わった後なのにごめんね」
『良いよ。瑠璃ちゃんも、向日葵ちゃんも友達だからね。気にしないで』
二人のやり取りが落ち着いたところで、僕は質問を口にした。
基本的には、僕が会話の主導権を握るべきだろう。
「四年二組の木村拓真を知っているか?」
『うん。花屋さんの隣の子だよね。ああ、そっか。向日葵ちゃんが来ていたもんね。その関係なんだ』
ふむ。
さすが、と言ったところか。
春頃に比較して隙が多くなったように見える委員長だが、真面目な話をしている時の頭の回転の速さは決して鈍ってなどいない。
むしろ鋭さが向上している。
日々、自分に深く速く思考することを課しているのだろう。
僕も見習わなくてはいけない。
「木村の居場所が知りたい。授業後――特に、生物係の仕事をサボった後に行きそうな場所に心当りはないか?」
『そんなことで良いの? 多分、拓真くんは、恐竜公園にいるよ。一人でサッカーボールを蹴ってると思う』
やはり委員長は情報を持っていたか。
しかし、恐竜公園という呼称自体はどこかで聞いたことがあったが、具体的にどこか思い浮かばない。
「恐竜公園というと――」
『えーっと、何だっけ? 緑色で背中に野球のベースみたいなトゲがいっぱい生えてる恐竜。あれのジャングルジムがある公園なんだけど』
「ステゴサウルスか。分かった。場所も問題ない」
つい先日、三つ巴の〈試練〉をやった公園だ。
それならば詳細な場所も分かる。
『でもね、あんまり拓真くんを責めないで欲しいな。生物係をサボっちゃうのは悪いけど、気持ちは分からなくないもの』
「その理由にも心当りがあるのか?」
『うーん、これ言って良いのかな。――って、ああ、そっか。芽衣ちゃんの手術明日だっけ。ん、だいたい分かった。そういうことなら教えるね』
一瞬応えるのをためらった委員長は、すぐに一人で納得して、教えてくれることにしたらしい。
『拓真くん、芽衣ちゃんに対する気持ちに、素直に向き合えないのよ。小学四年生の男の子だから、無理もないのかも知れないけど。だから、いじわるしちゃうのよ』
「ふむ。つまり、サボることではなく、花咲を困らせることが主目的ということだな」
『あれ、ちゃんと伝わってるかな? はっきり言うと、拓真くんは、お隣に住む芽衣ちゃんが好きなのよ。多分、今より小さい頃から、ずっとね』
「なるほど」
そういうことか。
となると――。
『……ちゃ、ちゃんと伝わってるかな? こ、小泉はないの? 好きな子に、その、ついつい意地悪しちゃった経験とか』
なぜか、電話の向うの委員長は不安そうだ。
「ない」
『……意地悪したことがないのか、そもそも好きな子がいないのか……』
電話の向うの声が極端に小さくなった。
良く聞き取れない。
「どうした? 良く聞こえない。もう一度言ってくれ」
『た、大したことじゃないから。用件はそれくらい?』
「そうだな。いや、無理を承知で尋ねるが、花咲芽衣の入院している病院や病室も知っているのか?」
「うん。椎名総合病院の、小児病棟の四階の個室――401号室、だったと思う」
本当に。
委員長の噂収集能力だけはあなどれない。
今の情報など、噂話の域を出ているどころか、どんな情報源があれば知りえる情報なのか想像もつかない。
「助かる。よし、聞きたいことは全て聞かせてもらった」
『あ! そうだ。小泉、ちょっと私の質問にも答えて欲しいんだけど。私の噂情報と交換』
なるほど、報酬か。
こんな短時間で収集できるとは思えないほどの情報量だ。報酬として質問に答える程度、全く問題ない。
「構わないぞ。何だ?」
『えーと、どう質問すれば良いかな……うーん。よし。一番最近、小泉が女の子にした意地悪を教えなさい』
ふむ。
委員長がなぜそんなことを知りたがるのか分からないが、こういう意味不明な質問も、彼女の膨大な噂話収集能力に繋がっているのだろう。
委員長なりの報酬の形、なのだろう。
と、言っても。
意地悪、か。
ああ、そう言えば――。
「詳しい事情は話せないが、ある女性の両手を結束バンドで公園のベンチに固定して、身動きの自由を奪った。顔を赤くして、目に涙をためて懇願されたので、めくれ上がった彼女のスカートを、僕が――」
『わああ、ストップストップ』
電話口で、委員長が突然大声を出した。
『め、めちゃくちゃ意地悪してるじゃない! 小泉のバカ! 何考えてるのよ! 一体、誰に――まさか、瑠璃ちゃん? いや、ダメ! 聞きたくないっ! 答えなくて良いから!』
理解不能だ。
彼女がそのような過剰な反応をする理由がまったく浮かばない。
委員長の思考をトレースできない。
「何を怒っている? 委員長が話せと言ったから」
『ううう。私、そんなの無理なんだけど……でもでも――小泉がそういうのが好きなら、わ、私頑張るからっ! またねっ!』
ぶつっ、と通話が切れてしまった。
……何だったんだ、今のは。
個人的興味から言えば、詳しく分析したいところではあるが。
優先順位は――低い。
今は、〈仕事〉が最優先だ。
少なくとも、必要な情報は全て聞いたのだ。
「さて――」
携帯電話の電源をオフにして、瑠璃と向日葵を見ると、なんとも形容し難い表情でこちらを見ていた。
「――なんだ?」
「なんでもないよー。朝美ちゃんがんばれ。もちろん瑠璃ちゃんもね」
「……そっとしておいて下さい」
良く分からないが、向日葵と瑠璃の反応を見る限り、重要度は低そうだ。
改めて。
「さて。これで、条件は整った。あとは、思考通りに行動するだけだ」
僕はようやく、いつもの言葉を口にした。