06
「〈仕事〉――だな」
私の心を読んだかのように、玖郎くんが言いました。
「はい。困っている人がいるなら、助けたいです。――それにしても、私の考えていること、よく分かりましたね」
「目の色が変わった。すぐに分かる」
私の願い。
私が地平世界の女王になりたいと思うのは、優しくできる国を作るためです。
例え女王であろうと、相手が誰であろうと、目の前の一人に優しくできる国を作りたいと思っているのです。
だから――。
困っている人がいるかもしれない、そう思うだけで、私はじっとしていられなくなってしまうのです。
そんな私の変化を、玖郎くんは見逃さなかった、ということでしょう。
さすが玖郎くんです。
「向日葵も、誰かが困っているなら助けたいな。でも、小学校の中だから翔ちゃんは呼べないし――私も瑠璃ちゃん達と一緒でも良いかな?」
向日葵ちゃんの言葉に、私は頷きました。
「もちろんです。玖郎くんも、良いですよね?」
「〈仕事〉は競争ではない。問題ない」
「ありがとう」
お礼の言葉と一緒に向けられる向日葵ちゃんの笑顔に、胸の辺りがほわんと温かくなりました。
「さて」
玖郎くんが、気持ちを切り替えるように言いました。
彼の瞳が、ぐっと力を増します。
私では想像もできないような速度で、玖郎くんが思考を始めたのです。
「逆さまのてるてる坊主を用意した誰かを助けたい。しかし、何に悩んでいるのか、誰なのか、現状では分からない。そこで――」
玖郎くんは、私と向日葵ちゃんに頷いて見せました。
「――まずは、状況を整理する」
玖郎くんはそう言いながら、向日葵ちゃんに視線を向けました。
「向日葵は『これを作ったみんな』と言ったが、てるてる坊主を用意したのは一人だ」
「え? 一人……って、どうして?」
向日葵ちゃんが、驚きとともに聞き返します。
私も、全く同じことを聞きたいです。
「全てのてるてる坊主に、共通の特徴がいくつもある」
玖郎くんの言葉に、向日葵ちゃんと私は、机の上に置いた――この教室の窓枠から取り外した、てるてる坊主を改めて見ました。
その特徴は――細かく分析するまでもなく、一目で分かるものです。
「布を使っています。ティッシュペーパーではなく」
「正解だ。てるてる坊主は、簡易的にティッシュペーパーで作る。そちらの方が一般的だろう。向日葵がハンカチでてるてる坊主を作ろうとしたことが疑問だった。わざわざ布を使うとは本格的だ、と。だが、事前に布で作ったてるてる坊主を見ていたとしたら納得できる」
確かにその通りです。
玖郎くんの頭の中では、向日葵ちゃんがハンカチを材料にした瞬間に、別のてるてる坊主を見ていた可能性が浮かんでいたのかもしれません。
さすが玖郎くんです。
「それから、輪ゴムが緑色だね」
「正解だ。学校で入手できる輪ゴムは、一般的な事務用品の黄土色のものだ。緑色の輪ゴムを使うためには、わざわざ学校外で用意する必要がある」
布と輪ゴム。
それだけでは、『一人で作った』という理由には足りないですよね。
まだ見落としている特徴があるはず――。
「あ。これ、糸が白色ではないですね」
「良く気付いた。太めの刺繍糸で、白色ではなくわずかに灰色がかった色のものを使っている。布、輪ゴム、糸という特徴は、向日葵が見つけて、僕達が見て回った逆さまのてるてる坊主、全てに共通していた」
どうやら、学校内を見て回る時に、てるてる坊主の特徴を確認しながら観察していたようです。
さすが玖郎くんです。
「さらに、頭を下にする目的で、重りとしてビー玉が中に入っている。解体はしていないから絶対ではないが、手触りとサイズから、まず間違いないだろう」
このてるてる坊主の頭を握って確かめて見ます。
ええ、確かに球状の固い何かが入っています。
「これだけの共通点がある時点で、少なくとも同じ材料を使って作成されたことは間違いない」
そう考えて間違いなさそうです。
でも、だから一人で作った、というのは少し乱暴な気がします。
私は、疑問を口にします。
「同じ材料を使って、何人かが集まって作ったのではないですか?」
「その可能性もある。何か共通の目的のため、雨が降って欲しい人物が何人か集まって作った訳だ。だが、その可能性を否定する特徴もある。注目すべきは輪ゴムと糸の結び方だ」
言われて注目してみます。
「これ、普通の固結びとかじゃないね」
確かに、向日葵ちゃんの言うとおりです。
輪ゴムに対して糸が直接結びついているのではなく、輪ゴムに通された糸が、糸自身で輪を作っています。
「これは『もやい結び』と言って、ロープや糸の端に大きさの変わらない輪を作る結び方だ。比較的簡単に結べる上に強度もそこそこあるので、色々な用途で使われる。長期間吊るすために、結び目に強度を持たせようとしたのだろう。これも、全てのてるてる坊主に共通した特徴だ」
ロープの結び方に色々種類があることは知っていましたが、私自身はそれこそ『ちょう結び』と『固結び』くらいしか結べませんし、知りません。
あまり一般的でない結び方が、共通した特徴だとすると――。
「複数の人物が、結び方まで統一しててるてる坊主を作成したとは考えにくい。以上の理由で、てるてる坊主を作った人物は一人だ」
玖郎くんは続けます。
「この結び方を知っている人物――加えて、てるてる坊主の作成に使うほど慣れている人物となると、何人もいないはずだ。作成者は、ボーイスカウトで覚えたこの結び方を、ほぼ無意識にできるくらいに練習したんだろう」
私は、なるほど、と納得してしまいます。
ボーイスカウトをやっているなら、小学生でもロープの結び方などに触れる機会があるでしょう。
今回のためにわざわざ結び方を練習したと考えるより、練習したことのある結び方でやってしまったと考える方が自然です。
「次は、その誰かがどんな人物か考える」
え?
そんなことが分かるような特徴が、このてるてる坊主にあるのでしょうか。
「一人であれだけの数のてるてる坊主を、今日だけで吊るし終えたことを考えると、事前に用意していた可能性が高い」
ええ?
ちょっと待ってください。
「え? 今日だけで吊るし終えた? 数も多かったし、何か所にもあったし、何日かに分けて吊るしたんじゃないの?」
向日葵ちゃんも全く同じ疑問を感じたようです。
それを素直に口にする分、向日葵ちゃんの方が先に聞き返す形になりました。
「昨日の天気は?」
「雨ですが――あ」
玖郎くんの問いに答える途中で、思い至りました。
逆さまのてるてる坊主は、全て布で作られています。水に触れれば――まして、昨日の雨の中、屋外に吊るされていれば、必ず湿っているはずです。
「どれも湿っていなかったのですね?」
「正解だ。間違いなく乾いていた。屋内のものだけでなく、屋外のものも、全てだ」
つまり。
今日一日で吊るされたと考えられるのです。
「待ってよ。外のものだけ今日吊るして、それ以外は何日かに分けて吊るしたんじゃない?」
少し驚いたように、玖郎くんが向日葵ちゃんの顔を見ました。
「良く考えたな。だが、おそらく違う。予想に過ぎないが、というレベルだが、反論はこうだ。てるてる坊主を吊るした順番は、四年二組、屋上前、校舎東側、ベンチ、校門横の茂みの順番だ」
うう。
玖郎くんの思考についていけません。
確かに、四年二組をスタートして、全ての場所を回ろうとした場合、その順番が自然です。
でも――。
「もしかして、てるてる坊主の数? 順番に増えているから?」
あ。
そう言うことですか。
確か、四年二組の教室の窓枠の下に一個、中央階段四階の屋上前に二個、校舎の東側の陰に三個、図書室の裏手にあるベンチの下に四個、校門横の茂みの中に五個――確かに、そう考えると、一から順に増えています。
「大正解だ」
玖郎くんが、向日葵ちゃんの頭に、ポンと手をのせました。
向日葵ちゃんが、くすぐったそうにはにかみます。
――い、いーなー……。
「この順番だとするなら、最初と最後――教室の窓の外と、茂みの中のてるてる坊主が乾いていることが、一日で吊るした根拠になるはずだ」
玖郎くんは、そこで言葉を切り、続けました。
「一日であれだけの量のてるてる坊主を吊るす――しかも、色々な場所に用意するとなると、作成自体は学校以外の場所で行い、持ってきた可能性が高い。どれくらい時間をかけてあの数を用意したのか分からないが、それなりに時間に余裕のある人物がやったと考えられる」
時間に余裕のある人物、ですか。
「だが、それは人物の絞り込みには弱い。ここで注目すべきは、『今日一日で吊るす必要があった』という部分だろう。まるで、今日願っておかないと、もう願えないかのようだ――それが糸口かもしれない」
ふん、と玖郎くんが鼻をならしました。
「次は、別の切り口で考える。雨をわざわざ願うのは不自然だ」
「?」
私の頭の上に、クエスチョンマークが見えたのかもしれません。玖郎くんが言い直してくれました。
「昨日も雨で、今日も曇り、梅雨入りが発表されるような状況で、なぜそこまで雨を願うのか。――雨になって欲しい理由は何だ?」
私は、うーん、と唸ってしまいます。
雨になって欲しい理由。
晴れて欲しくない理由。
雨なら嬉しい。
晴れると困る。
「すぐ思い浮かぶのは、運動会が嫌だ、プールが嫌だ、遠足が嫌だ、ですね」
「確かに。その発想は悪くない。ただし、運動会は秋だし、プールはもう少し先だ。さらに、四年生の遠足もない」
そう言えば、向日葵ちゃんがそんなことを言っていました。
「他の学年はどうなんでしょうね?」
「ん? それは考慮する意味がない――ああ、言っていなかったか。その人物は、四年二組の生徒だ」
えええ?
どうして、そんなことが断言できるのでしょう。
「校舎の中にまで吊るしてあることから、その人物は自然に学校に出入りできる人物に絞られる。生徒か先生、用務員、事務員、清掃業者といったところだな」
なるほど。
用務員さんや、事務員さん、掃除の業者もですね。
とっさに生徒と先生しか思い浮かびませんでした。
さすがは玖郎くんです。
「ここで、てるてる坊主が吊るしてある高さを思いだしてくれ。低い位置ばかりだった。僕の身長より高い場所は一ヶ所もなかった。大人が作業したと考えると不自然だ。そもそも、てるてる坊主という発想自体が子どものものだ」
玖郎くんは続けます。
「大人ではない――生徒であると考えると、自分のクラス以外の教室に入るのは、それなりに勇気が必要だ。それならば自分の教室で、と考えるのは自然だろう。そして、教室の窓にてるてる坊主が吊るされていたのは、四年二組だけだ」
さすが玖郎くんです。
そうスラスラと説明されると、もうそうとしか思えなくなってしまいます。
玖郎くんには、思考を停止するなと怒られてしまいそうですが――こんな風に自分の考えを語る玖郎くんは、その、格好良くて、なんだかぼーっとしてしまうのです。
「まとめると、てるてる坊主を吊るしたのは――」
「芽衣ちゃん――花咲芽衣ちゃんだよ」