05
【玖郎】
向日葵とも既に面識がある委員長は、瑠璃への話が留学生同士のものだと理解して、先に帰宅することにしたようだ。
留学生――瑠璃と向日葵は、フラッタース王国という国からの留学生ということになっている。彼女達だけではなく、魔法世界の王位継承試験のためにこの世界に来ている、〈魔法少女〉全員と〈騎士〉一名が留学生という扱いになっているのである。
そのフラッタース王国というのは、この世界に存在しない架空の国なのだが――その話はここでは割愛する。
向日葵が、一日の授業が終わった後に、一学年先輩である瑠璃を訪ねてきたとあれば、それは留学関係のことだと考えるのは自然であり当然である。
その委員長だが、何やら頬を赤くして、「さっきのは忘れて!」と僕に向かって言った後に帰って行ったが――どれを忘れれば良いのか明確でないため期待に応えられそうにない。
ん。
ということは、委員長が急いで帰宅した理由は、留学生同士の話に気を使ったということ以外にもあるのかもしれない。
恐らく――いや、優先順位の低い疑問だと判断して良いだろう。
それより。
「瑠璃ちゃん、お願いがあるの」
向日葵である。
土地・ライムライト・向日葵。
〈魔法少女〉としての彼女は、『土』の魔法を操り、〈開門〉による召喚の才能に溢れている。一騎当千を表すの形容句として『一人にして軍団』のような表現があるが、彼女は文字通り一人いれば軍を――召喚した〈精霊〉の群を用意することができるのだ。
〈魔法少女〉の衣装であれば、咲き誇る花を思わせる黄色の髪と、同じ瞳を持つ彼女だが、普段の姿は黒髪・黒目である。当然、服装も――僕の感覚から言うと、小学四年生にしては幼すぎる気もするが――小柄な彼女に良く似合うものだ。
頭の両側でまとめた髪が、彼女の動きに合わせてふわふわと跳ねている。彼女の大きな瞳は、まさに天真爛漫と表現したくなるような光が映っている。
その向日葵が言うには――。
「ハンカチを見せて欲しいの。今日、瑠璃ちゃんどんなハンカチ持って来てる?」
「ハンカチですか? はい、どうぞ。これが用事だったのですか?」
首を傾げながらも、瑠璃が自分のハンカチを向日葵に差し出す。
それは、縁がレースになった薄い水色のシンプルなハンカチだった。
「水色かぁ。うーん、ちょっと惜しいかな」
ふむ。
「欲しいのはこれだな?」
僕は、偶然にも白いハンカチを持っていたので、それを差し出す。
「わ、すごい!」
向日葵は、差し出された僕のハンカチを見て、大きい目をさらに見開いて驚きを表現した。
「小泉ちゃんすごい! どうして分かったの?」
驚かれるほどのことではない。
「え? どういうことですか?」
ふむ。
瑠璃の頭上にハテナマークが浮かんでいるのが見えた気がしたので、詳細を説明する。
「瑠璃が差し出したハンカチに対して、向日葵は水色だから惜しいと言った。デザインでもサイズでもなく、色が重要らしい。ハンカチに特定の色を求める場合、赤や黄色、白が思い浮かぶ」
「そうなんですか? 何に使うんですか?」
瑠璃の言葉に、僕は頷いて続ける。
「赤と白を使う場合は、手旗信号だな。両手にそれぞれ紅白の旗を持ち、角度をつけた上げ下げの組み合わせてで遠隔地の人間と通信をするんだ。だが、この用途は小学生に限定した場合、可能性は低い。さらに、赤いハンカチが欲しいなら、瑠璃ではなく茜に借りに行くはずだ。以上より、赤ではない」
僕は、瑠璃や向日葵と同じく留学生である――〈魔法少女〉である五年二組の生徒の名前を理由に、赤い色を却下する。
「さらに黄色――まあ、これは冗談だ。古い映画や小説のファン同士なら『今でもあなたを待っています』というメッセージを送れるらしい。まあ、向日葵は知らないだろう。さらに、向日葵のハンカチは黄色だ。わざわざ借りに来る必要はない。違うか?」
「すごーい! うん、今日のハンカチは黄色だよ」
飛び跳ねて感心する向日葵。感情の発露が大げさだが、彼女の個性を考慮すれば、取り立てて不快な反応ではない。
向日葵のハンカチが黄色だと言うのは、半ば当てずっぽうだったが、〈魔法少女〉達はそれぞれのカラーの小物を好んで持ちたがる。経験に基づく断言だが、当っていたようだ。
「最後は白だが――小学生ならこれが一番妥当だろう」
瑠璃と向日葵がぐっと身を乗り出して来る。
長々と喋ったが、答えはとてもシンプルだ。
「――てるてる坊主。明日の晴れを願うための、おまじないだ」
「大正解! すごいね、小泉ちゃん頭良い!」
拍手までして、向日葵は大喜びだ。
頭良い、などと褒められたのはいつ以来だろう――向日葵以外の人間に言われたら苦笑の一つも返すところだが、彼女の人間性なのか、妙に照れ臭い気がする。
向日葵の素直な反応に、瑠璃が嬉しそうにしているのも、この分析しがたい感情の原因かもしれない。
「ハンカチ、もらっちゃって良いの?」
「構わないが――そうだな、そう言うのなら、何か報酬をもらおうか」
僕は、いつもの言葉を口にする。
願い、依頼、頼みごとには報酬を。僕の働きに見合うだけの代償を。
と、ハンカチ一枚にしては大仰になってしまうが。
「報酬?」
「玖郎くんにお願いを聞いてもらおうとするなら、そのお願いに見合った何かを渡さないといけないのです」
なぜ瑠璃が解説する。
しかも、なぜか非常に得意気である。
「じゃあ、向日葵のハンカチあげるね」
ふむ。
実に妥当な報酬である。
「成立だな。では交換だ」
僕は白いハンカチを向日葵に渡し、代わりにオレンジと黄色のチェック柄のハンカチを受け取った。それをそのままズボンのポケットにしまう。
ん?
ふと気づくと、なんだか瑠璃が形容しがたい表情でこちらを見ている。
「どうした?」
「な、なんでもありませんっ」
瑠璃はそう言って、ふいっと横を向いてしまった。
どう見ても『なんでもない』ようには見えないが――本人がそう言うなら、良しとしよう。
向日葵は、てるてる坊主を作るために必要な、輪ゴムや糸などの準備をしていたようだ。
ここで、早速作成を始めるようだ。
布切れを丸めて頭部の芯を作り、僕から入手した白いハンカチをかぶせて形を整える。頭部を輪ゴムで留めれば、ほぼ完成だ。
しかし、僕はその材料に違和感を覚える。
布、か。
僕の思考はそこから考えられる無数の可能性を列挙しはじめる。しかし、そんな僕の胸中とは関係なく、向日葵の作業は続いている。
輪ゴムに糸を結びつければ、出来上がり――材料を見れば、ティッシュペーパーではなく布を使った、上等なてるてる坊主だと言えるが、作り方はいたってシンプルなものだ。
「明日は遠足か?」
「え? ううん、違うよ?」
向日葵の返答は、僕の予想とは違うものだった。
とすると――。
他に晴れを願うような――。
「学校の中で、てるてる坊主がたくさん吊るしてあったのを見つけたの。誰かが一生懸命お願いしてるみたいだから、私も手伝おうと思って」
僕の思考を待たずに、向日葵が経緯を説明した。
それは、〈魔法少女〉らしい発想である。
地平世界に暮らす魔法使いにとって、誰かの不幸を退け、誰かに幸せをもたらすこと――それを〈仕事〉と呼ぶ――は、一種の使命だ。
王位継承試験の一年間における〈仕事〉は、それ自体が採点対象にもなっている。
しかし、もともと〈仕事〉自体は試験の科目というよりは魔法使いの本分とも呼べるものであり、魔法を司る者の役割である。
さらに向日葵の性格上――王位継承試験に加点されるという打算など一切関係なく、純粋に手伝いたいと思ったのだろう。
持っていない色のハンカチを、わざわざ入手してまで手伝いたいと思うあたり、彼女の人の良さがうかがえるというものだ。
人の良さと言えば。
つい先日、初めて三つ巴の競争形式で行われた〈試練〉では、僕の騙し討ちとも言える策略の結果、向日葵は一度は手にしたはずの勝利を逃している。直後こそ悔しそうにしていたが、今日の反応を見る限り、もうすっかり気にしていないようだ。
この人の良さ――度量の大きさは、女王になろうと思う〈女王候補〉には必要なものだろう。
やがて。
わずかな時間の経過を待った後――。
「じゃん! 出来上がりだよっ!」
向日葵が誇らしげに掲げた、そのてるてる坊主は――。
――見事に頭を下にして、雨を願っていた。
【瑠璃】
五年一組の教室で、向日葵ちゃんが作ったてるてる坊主は逆さまでした。
それを受けて――。
「これでは逆さまだ」
「え? これで良いんだよ」
「雨になって欲しいのですか?」
「分からないけど、向日葵が見つけたてるてる坊主は、どこのも全部頭が下だったよ」
「どこのも、だと?」
「全部、ですか?」
――と言うやり取りの後、三人で、それを見に行ったのでした。
向日葵ちゃんの案内で見て回ったのは――驚くことに、その逆さまのてるてる坊主達は、小学校の中の色々な場所にあったのです――人目に付きにくい場所ばかりでした。
まず向日葵ちゃんが向かった場所は、中央階段四階の屋上前でした。
そこには、使っていない古い机が二段に積み重ねられていました。その下の段、奥の方を覗き込むとようやく見える位置に、確かに、二個のてるてる坊主が逆さに吊るされていました。
次は、校門横の茂みの中でした。
しゃがんだ状態でないと見つからないような枝葉の隙間の奥に、五個ありました。
さらに、校舎の東側の陰。
窓枠の下に、校舎の中から隠れるようにして、三個。
そして、玖郎くんが生徒会長の頼みを聞いた報酬として設置してもらったという、図書室の裏手にあるベンチの下です。
ベンチの背もたれを支えている金属部分、座っている人からは完全に死角になる場所に、等間隔に四個ありました。
そして最後は、向日葵ちゃんのクラスである、四年二組の教室の窓枠の下に一個。
これが、全部でした。
「なるほど。確かに全て逆さまだ。間違いなく雨を願っているようだな」
玖郎くんの言う通りでした。
「これで全部か?」
「うん。間違いないと思う。それにしても、これを作ったみんなは、雨になって欲しいのかな?」
向日葵ちゃんが、そう言って首を傾げました。
それにしても。
この状況は――。
「これは、どう考えてもおかしいです」
「うん。ちょっと気味が悪いよね」
「ふむ。一般的な状況でないことは間違いないな」
四年二組の教室の適当なイスに座って、向日葵ちゃん、玖郎くん、そして私の三人は、この状況が異常だという感想を共有したのでした。
雨になって欲しいと思う。
てるてる坊主を逆さに吊るす。
それ自体は、たわいもないおまじないです。
それでも、これだけの数を、こっそり人目につかないように用意したというのは――。
ただ事ではない、必死さを感じます。
もしも何かに困っているのなら。
助けが必要な状況なら。
――助けたいと、そう思います。
「〈仕事〉――だな」
私の心を読んだかのように、玖郎くんが言いました。