04 第一章 願いは雨のち晴れ
【瑠璃】
季節は、いよいよ夏に向かっていました。
つい先日まで、暖かくなってきたね、少しずつ暑くなってきたねと話していたはずですが、気づくと日本列島の南の方から順番に梅雨入りが発表され始めています。
私達が住むA県も、ここ数日はぱっとしない天気が続いていました。昨日と違って、今日は雨こそ降っていませんが、灰色の重たい雲が空にかかっています。
春から始まった、私達の王位継承試験――次の女王を決めるための一年間――は、早くもその期間の四分の一が過ぎ去ってしまったことになります。
地平世界から地球世界へと移り住み、小学校に通い、ようやくここでの生活に慣れてきたところですが、のんびりできる時間などないと気を引き締めないといけません。
私は、ちゃんと前に進めているのでしょうか。わずかでも、一歩ずつでも構いません――次の女王へと、近づいているのならば、苦難も努力も気にならないのに。
その実感が感じられないのです。
つい先日も、初めての三つ巴戦を、玖郎くんの策略のおかげで勝利したところです。数多くの〈試練〉をくぐりぬけ、いくつもの〈仕事〉をこなしてはいますが、自分の現在地が見えません。
なんだかもやもやするのです。
玖郎くんに相談したのですが、あまり気にしないように言われただけでした。その時の表情を思い出すに、何か考えがあるのかもしれません。
そんな状況なので。
私はなんとなくもやもやした、今の空模様のようなこの気持ちを抱えたまま、今やるべきことをやるしかないのです。
今この時で言うなら――椎名小学校、五年一組の教室を掃除することです。
「瑠璃ちゃん、手が止まってるよ。ん、何か悩み事?」
考えが顔に出てしまったのか、私と同じく掃除当番の朝美ちゃんが、心配そうに声をかけてくれました。
朝美ちゃん――霧島朝美ちゃんは、五年一組のクラス委員長です。
メガネとお下げがよく似合う、いかにも委員長という外見です。そこから浮かぶ勝手な期待を裏切らずに、頭が良くて気遣いもできる素敵な女の子です。
私の、地球世界での最初の友達――親友、なのです。
「悩み事というほどハッキリと何かある訳じゃないの。なんとなくもやもやしてるというか、気持ちがパキッとしない感じ、かな」
「あー、天気もこんな状態だしね。A県は、梅雨入りはしていないみたいだけど。でも、梅雨が開けたら、いよいよ夏だよ。暑くて大変だけど、楽しいことが一杯だから。なんて言ったって、夏休みがあるからね」
そうですね。
先にある大変なこと、よく分からないことをもやもやと悩むより、先に待っている楽しいことを考えた方が良いですよね。
「夏休み、かぁ」
「そ、夏休み。私も、瑠璃ちゃんを一杯遊びに誘うからね。さ、そろそろ掃除もおしまいかな」
朝美ちゃんは、ふん、と鼻息あらく満足げにそう言いました。
ほうきを構えた彼女の足元には、教室のどこにそれだけの埃があったのか、掃除の成果が小さな山を作っていました。
対する私のほうきは、もやもやと悩み事をし始めたあたりから働いておらず、大した成果を上げていません。
「おー、さすが朝美ちゃん」
私は思わずぱちぱちと手を叩いてしまいます。
悩んで立ち止まってる暇があったら、楽しいことを考えながらでも良いから手を動かせ――そんな教訓になりそうです。
「よ、委員長!」
「霧島さすが」
「委員長最高!」
他の掃除当番の子達も、私につられて拍手をします。
「いやいや~。それほどでも――と、そんな拍手には騙されないわよ。特にそこの男子達! ちっとも掃除してないじゃない! せめて机を元の位置に戻すのやりなさいよ!」
見逃すことなくクラスメートを注意する朝美ちゃん。
なんだかんだと文句を言いながら男の子達も手伝って、教室を普段の状態に戻します。
最近、こんな風にぎゃあぎゃあと賑やかな教室の中心に朝美ちゃんがいることが多くなったと思います。
朝美ちゃんは、ちょっとだけ変わりました。ぼーっとしていて、先生から注意されるようになりました。ちょっとだけ前より明るくなりました。
そんなちょっとした変化が原因なのか、教室で私なんかと普通の話をしている時間が増えたことが原因なのか――朝美ちゃんとクラスのみんなの間にあった見えない壁は、いつの間にか、なくなってしまったようでした。
それは、良いことだと思います。
そして、とっても――。
「――嬉しいことなのです」
「何の話だ?」
わ。ちょっとびっくりしてしまいました。
今まで黙々と掃除の終了に向けて机を運んだりしていた玖郎くん――小泉玖郎くんが、突然声をかけて来たからです。
というか――。
「もしかして、私、声に出してましたか?」
私の問いに、玖郎くんは無言で頷きました。
親友が、みんなに認められて、仲良くしていて、嬉しい――なんて、なんだかとっても照れくさいです。
は、恥ずかしいです。
「何か嬉しいことでもあったのか?」
玖郎くんは容赦なく、追及の手を緩めてくれません。
「……つまり、その。そ、そうです」
私は、話を逸らすことにしました。
「玖郎くんは、いかにもクラスの委員長! って感じの女の子をどう思いますか? 好みのタイプでしょうか?」
とっさに頭に浮かんだ質問を、後先考えずに、口に出しました。
「それは委員長――霧島朝美のことか?」
さすが玖郎くん、鋭いです。
「――ではなく、一般論です。例えばです。メガネとお下げ髪が良く似合って、頼りになって、頭も良くて、気遣いもできる、そんな素敵な女の子は、好みでしょうか?」
「ちょちょちょ、ちょっと瑠璃ちゃん! 何、言っちゃってるの!?」
朝美ちゃんが会話に乱入してきました。
状況はさらに混乱を極めてきました。
「何って、一般論です」
「じゃあ、小泉。私も質問! 小泉は、髪は肩に届かないショートカットで、青色が似合う、落ち着いていて、でも表情豊かで、育ちのよさそうな、守ってあげたくなるような女子! そんな子はどう? 好み?」
ななな。
なぜ唐突に朝美ちゃんまでそんな状態になってるのでしょう。
しかも、それって――。
「――瑠璃のことか?」
さすが玖郎くんです。
まるで心を読まれてしまったかのようです。
「じゃなくて! 一般論!」
一般論でした。
「これは、どんな状況なんだ」
さすがの玖郎くんも理解が追いつかないようです。
無理もありません。
当の私も、間違いなく朝美ちゃんも、訳が分からないのですから。
「小泉は――」「玖郎くんは――」
『――どっちが好み――』
「――なの!?」「――なんですか!?」
期せずして、朝美ちゃんと声が重なってしまいました。
そして。
玖郎くんは、ふむ、と頷いて。
やがて。
口を開いて――。
朝美ちゃんと私は、一言も聞き逃すまいと、同時に身を乗り出して――。
「清水さ――あら。まだ掃除中だったのね。ふふ、楽しそうなところ悪いけれど」
その声は。
明らかに玖郎くんのものではありませんでした。
「そろそろ掃除を終わりにしましょうか」
教室前方の扉から顔を出してそう言ったのは、私達五年一組の担任の先生――金谷薫子先生でした。
まだ若くて、やる気に満ちていて、生徒達の人気もとっても高い、素敵な先生です。軽く脱色したショートヘアに、化粧気の薄い顔、フットワークも軽く遊んでくれそうなところも人気の理由かもしれません。
優しい表情で、私達を見てくれています。
「さすが霧島さんの班ね。掃除もとっても丁寧で、教室も綺麗になったわ。さ、終わりにしましょう。みんな気を付けて帰ってね」
金谷先生の言葉に、掃除を終えていた私達は、それぞれがランドセルを背負います。今日はこれで解散、学校はお終いなのです。
掃除当番の生徒達は、先生にさよならを言って教室を出て行きます。
直前まで大騒ぎをしていたせいで、朝美ちゃんと私、それに玖郎くんの三人は、少し出遅れてしまいました。
そんな三人に、金谷先生が声をかけてきました。
「それにしても、あなた達、そんな状態になっていたのね。気づかないなんて、先生、うかつだったわ」
朝美ちゃんと私、それに玖郎くんを順番に見て、金谷先生はそう言いました。
いたずらっぽい笑顔と一緒に。
つまりそれは、こんな状態のことでしょうか。
「そんな状態、とは?」
玖郎くんが、ずばり疑問を口にしました。
そ、それを聞いてしまうのですか。
いえ、ちょっと待ってください。
もしかすると――。
玖郎くんは、あまりこの状態のことを分かっていないのかもしれません。
でも、まさか玖郎くんが――。
いいえ、逆に玖郎くんだからこそ――。
「あら? うーん、そういうことね」
玖郎くんの問いを受けて、金谷先生は右手を頬に当てて見せました。いかにも『どうしようかしら』と思案する仕草ですが、不思議と似合うのです。
さすが先生です。
今の一言で、状況をさらに詳細に把握したようです。
「でも、ちょっと気持ち分かるわ。小泉くんに真剣に迫られたりしたら、私だって禁断の関係になってしまいそうだもの」
玖郎くんの問いを無視する形で、金谷先生は、朝美ちゃんと私にそう言いました。
って――。
え?
えええええっ!?
「せ、先生、まさか玖郎くんが――?」
確かに、玖郎くんには年上の女性にモテモテという疑惑があるのですが。金谷先生までとは、さすが玖郎くんです。と言って良いのでしょうか。
「と言うより、さすがにそれは――つまり、その年齢差とか、立場とか――!」
朝美ちゃんは、私の一歩先を考えて、あわあわしているようです。
「だって、考えてもみなさいよ?」
金谷先生が、朝美ちゃんと私の顔に、真剣な表情で顔をよせてこっそりささやきました。
「小泉くんが、彼の頭脳と知略の全てを駆使して迫ってきたら、大人とは言え三十路前のコムスメ程度じゃ、太刀打ちできないと思わない?」
その言葉に。
私は思わず想像してしまいす。
玖郎くんが。
頭脳と知略の全てを駆使して。
私に。
迫ってきたら――。
――きゃー!
「……」
ふと、朝美ちゃんを見ると、彼女も全く同じタイミングでこちらを見たところでした。
顔が、赤くなっています。
それを隠すように、頬に両手を当てています。
私と全く同じ状態で――。
「二人とも、妙な想像をするな」
うう。玖郎くんに怒られてしまいました。
「そんなことより、先生」
玖郎くんは、いち早く混乱状態を脱したようです。
いつもの冷静な口調で、金谷先生に何事か言い始めました。
「教室に顔を出した時、名前を呼びかけていましたが、瑠璃に用事があったのでは?」
その言葉に。
金谷先生は、ぽん、と手を合わせました。
「そうだったわ。からかってごめんなさいね。清水さん、廊下でお友達が待っているわよ」
やっぱり、からかわれていたのですね。
仕方ありません。
むしろ、金谷先生まで玖郎くん狙いでなかったことを喜ぶべき――ではなく。
私を待っている、友達?
私がその言葉に廊下を見ると――。
「四年生の土地さん。わざわざ五年生の教室まで来てくれたのよ」
――向日葵ちゃんが、いつもの笑顔で手を振っていました。
土地・ライムライト・向日葵、彼女は、私と同じく王位継承試験のために地平世界からこの地球世界に来ている、〈魔法少女〉の一人でした。