03
【玖郎】
瑠璃に指示を出して見送ると、僕は綾乃に近付いた。
その彼女はと言うと、僕のデコピンがよほど痛かったのか、ベンチに座った姿勢のままで額を押さえて、まだ肩を震わせている。
両手を額に当てているのを良いことに、左右の手首をまとめて結束バンドで締め、固定してしまう。
「あ、あらら? まだ痛いのですが――って、まあ、どうしましょう」
疑問の声を上げる綾乃を無視して、その両手の固定を、さらにベンチの肘掛け部分に固定する。
本来なら、後ろ手に固定すべきだが、まあ良いことにする。
ついでに足の固定も省略だ。翔の場合と違って、手首がベンチから離れられないので、動きを封じたと判断する。
よし。
残り時間、一分強。
ぎりぎりだが、間に合う。
「あ、あの! 小泉さん!」
急いで瑠璃のいる戦場に駆けつけようと走り出した瞬間、背後から綾乃の声が僕を呼び止めた。
通常なら無視するタイミングだが、声色が必死だったので、足を止めてしまった。
振り返った僕の視線の先で、綾乃が赤く頬を染め、瞳に涙を浮かべた状態でこちらを見ていた。僕の視線と綾乃の視線が、間違いなく一直線に合った。
「あの、スカート。スカートを直して下さい。わたくし、このままではお嫁に行けませんわ」
――。
僕の想像や予想から遥かにかけ離れた内容に、思考が停止しかける。
見ると、確かに膝丈ほどのスカートがめくれあがって、白い太ももがかなり上まで見えてしまっている。
僕が仕掛けた結束バンドから、なんとか脱出できないか色々試してみて、結果こうなってしまった、と。
襲い来る脱力感をなんとかなだめながら、僕は綾乃のスカートを直してやった。
「〈試練〉中です、謝りませんよ」
「ありがとうございます。〈試練〉が終わったら、忘れずに外しに来て下さいね。わたくし待っていますから」
頬を赤くしながら言う綾乃を今度こそ置いて、走り出す。
思考を瞬時に切り替える。
戦況を確認する。
ああ。
まさに、今、瑠璃の魔法――〈操作〉を応用した、ウォーターカッターが向日葵の〈生成〉による塔を切断した。
残り時間は――一分を切っている。
【瑠璃】
私が放った〈操作〉によるウォーターカッターは、向日葵ちゃんが作った塔を、切断しました。
「ええっ!?」
向日葵ちゃんが、驚きの声を上げました。
無理もありません。
私もびっくりしてしまったくらいです。
公園の地面の砂を一握り混ぜた水を、CDのように薄く圧縮して、高速に回転させる魔法――ウォーターカッターは、あまりにも簡単に金属を切断してしまいました。
確かに、はじめて玖郎くんにこの魔法の使い方を教わった時に、巨大な金属の体を持つ〈精霊〉ハガネイカの足を切り飛ばせるほどの威力があることは知っていました。
それにしても、向日葵ちゃんが〈生成〉した、壊されない目的で作られた金属を、こうも簡単に破壊してしまうなんて。
間が抜けた話ですが、自分自身で驚いてしまったために、最初の一歩に出遅れてしまいました。
「〈操作〉っ!」
常盤さんの声に、風が巻き起こります。
〈操作〉で操られた風は、無駄なく収束されていて、私の位置ではそよりとも感じません。砂埃が舞うこともなく、公園の木立が揺れることもありません。
ただ目的の――ターゲットジュエルだけは、文字通り強風に吹き飛ばされるように、常盤さんに向かいます。
いえ。
そうはさせません。
ぎりぎりのタイミングではありますが、間に合わせます。空を飛び、風の道に割り込み、ターゲットジュエルをつかむのです。
手を伸ばして――。
「届きました――きゃっ!」
私の手がターゲットジュエルに触れた瞬間、その周りで渦巻いていた常盤さんの風に弾き飛ばされてしまいました。
ターゲットジュエルも掴み損なってしまいました。
反射的に魔法に意識を集中することで、地面に墜落するようなことはありませんでしたが――それより、ターゲットジュエルは?
反射的に常盤さんを見ると、彼女の視線は別の方向、空中の一点を見ています。
その視線の先を追って――ありました、ターゲットジュエルが、空中を落ちてくるところでした。
どうやら、私が風に割り込んだために、常盤さんの魔法による風がかき乱され、見当違いの方向へターゲットジュエルを運んでしまったようです。
「まだっ!」
常盤さんが、風を駆ってターゲットジュエルへと飛びます。
「――っ!」
私も、同様に空中を移動します。
声を上げる時間もありません。引き結んだ唇から、かすかに呼気がもれました。
空を飛ぶ魔法を比べると、常盤さんの方が速いことは間違いありません。それでも、私の方がターゲットジュエルに近い位置にいます――タイミング的には、五分五分です。
落下を続けるターゲットジュエルに、手を伸ばします。
視界の端で、常盤さんも手を伸ばしています。
おそらく制限時間一杯、これが、最後のチャンスです。
そして――。
紙一重の差でターゲットジュエルに触れたのは――土の〈精霊〉グリフォンでした。
羽ばたき空中を駆ける勢いそのままに、ターゲットジュエルを弾き飛ばしてしまいました。
そして、その先には向日葵ちゃんが――。
『ああっ!』
私と常盤さんの声が同時でした。
ターゲットジュエルは、向日葵ちゃんの両手で間違い無く受け止められました。
そして――。
ピピピピッ!
電子音が響きました。
「っ――そこまでだ」
そして、玖郎くんの息を呑む音と、声。
「十五分、だ。勝者は向日葵――土の〈魔法少女〉と〈騎士〉だな」
「やったー!」
心から嬉しそうな向日葵ちゃんの声が、その児童公園に響いたのでした。
【玖郎】
「あと一手足りなかったな。結果は結果だが、ケガもなく終わって良かった。瑠璃、お疲れさま」
「あ、はい」
壮絶な集中力を必要としたと想像できる空中戦を終え――時間制限で強制的に終了させられた訳だが――地上へと降り立った瑠璃に声をかけた。
勝利が目前だった敗北のせいで、なかなか平常状態に切り替えられないのか、どこかボンヤリしている瑠璃の頭に、ポンと手をのせる。
「ちょっと悔しいですけど、大丈夫です」
くすぐったそうにしながらそう言う瑠璃に、僕は頷きを返した。
ようやく張り詰めた空気が緩んだ気がした。
今回の勝敗の分析や、判断や行動の検証、三つ巴戦から得るものなど、考えるべきことは山積だが――。
さしあたってやるべきは。
「さて、と」
僕は、思考を切り替えて、まずはベンチへと向かった。
「お待たせしてすみません」
綾乃にそう声をかけながら、ウィンドブレーカーのポケットからニッパを取り出して、安全のため取り付けているストッパー兼キャップを取り外した。
見ると、綾乃は顔を赤くして、潤んだ瞳でこっちを見てくる。
なんだ、スカートの一件をまだ気にしているのか?
パチンと結束バンドを切断する。
「あっ――。……ふぅ」
何やら小さく声をあげて、それから大きくため息をついた。
「小泉さん、無骨な工具で問答無用に拘束するなんて、女性に対する紳士的な行いとは言えませんわ。まったく信じられません、ひどいですわ」
拘束を解かれ、いつものお嬢様口調はそのままだが、怒っていることを言葉の端々ににじませながら、綾乃はそう言った。
手首をさすりながら、赤くなった頬と潤んだ瞳でじっと睨んでくる。
「綾乃、大丈夫だったか? すぐに助けに来れなくてごめん。ああ、ちょっと跡になってるじゃないか! おい小泉!」
常盤が、綾乃の様子を見ながら、こちらに向けて非難の声を上げて来る。
ふん、甘い事を声高に言うな。
「〈試練〉のうえ、実戦、乱戦中です。謝りませんよ。綾乃さん、次に同じ目に合いたくなかったら、頭で考え、体を動かすことです」
僕は謝罪の言葉を口にせずに、そう言った。
お互い真剣に戦った〈試練〉の結果なのだから、謝ったりしたらそれこそ失礼だ、と僕は思う。
「んっ――。ええ、努力いたしますわ。ですから、次からも手加減、容赦、遠慮は不要ですわ」
「得意げに宣言するほどのことではないですね。当然のことです」
「あっ――。と、常盤さんも、そういうことですから。でも、わたくしのために怒ってくれて、ありがとうございます。わたくし、とっても嬉しかったですわ」
「うーん、まあ、綾乃が良いなら、それで良いけど」
仲の良いことで、綾乃は常盤の陰に隠れるようにしながら、こちらを見てくる。
例の潤んだ上目遣いで、何事が呟いた。
「このせいで、――になってしまったら、――とっていただきますわよ」
小声で良く聞き取れなかった。
「何です? 良く聞こえません。明瞭に話して下さい」
「はぅ――。な、なんでもありませんわ。それより、飯島さんも拘束を解いて差し上げて下さいませ」
ふむ。
では、気にしないことにして、翔のところに向かおう。
「おーい、早く来いー。俺も向日葵と喜びたいー。走れー走れー小泉少年ー」
走るほどの距離はない。
妙な節を付けて怪しげな歌を歌うな。
そして、じたばたと動くな。
「無駄に体を動かさないで下さい。結束バンドが切れません」
「早く、早く! せっかく〈試練〉に勝ったんだから、早く翔ちゃんと喜びたいよっ!」
隣でぴょんぴょん跳ねる向日葵も、相当テンションが上がってしまっている。
勝ったのがよっぽど嬉しかったのだろう。
確かに、三つ巴という特殊な条件で、しかも最後の数分は自分一人で戦い抜いたと言っても良い。ここで転がされている〈騎士〉と比較するまでもなく、大活躍だ。
喜ぶのも、褒められるのも、当然の権利だ。
さすがの僕も、ほんの少しだけ良心が痛むというものだ。
パチン、パチンと、結束バンドをニッパで切断する。
「ふー、大変な目にあったぜ。それにしても、小泉少年、なんでそんなもの持ち歩いてるんだよ? どう考えても普通の小学生のランドセルには入れる必要がないものだろ。工具だぞ工具」
何を訳の分からないことを。
「当然、〈試練〉のために用意したに決まっています」
「うわ。こんなこともあろうかと思って、か。怖っ。すげーな、水の〈騎士〉。ま、次はお手柔らかにな」
と、しばらく拘束されていたことに恨み言の一つもなく、翔がニカッと笑った。
なんというか、土のペアの持つこの天真爛漫なところは、実は少し苦手かもしれない。なけなしの良心が疼くような気がしてしまう。
「そんなことより、翔ちゃん! ほら、見て見て! ターゲットジュエル! 私が勝ったんだよ!」
「おおおっ! やったぜ向日葵!」
大げさにガッツポーズなどして、翔が向日葵を持ち上げる。高い高ーい、とまるで仲の良い親子のようだ。きゃー、という向日葵の悲鳴も、完全に嬉しいだけの悲鳴になっている。
「ふむ――」
さて。
「ところで、そのターゲットジュエル、何の宝石なんですか?」
僕は、用意しておいた質問を翔に投げかける。
「ん? いや、俺に聞かれても。向日葵、ちょっと見せてくれるか?」
「うん」
僕の質問に、翔がターゲットジュエルを受け取って手のひらに乗せ、まじまじと見た。
集まってきた瑠璃や、常盤や綾乃も興味深そうにそれを覗き込んだ。
やはり、最年長でも中学生とはいえ、女子は宝石に興味があるんだな。向日葵すら、どことなくキラキラした瞳で、翔の手の中を覗き込んでいる。
「宝石、って言うくらいだから、確かに透明感があって綺麗だな。油絵よりも水彩で描きたい感じだ」
翔のそれは、なかなか美大生らしい表現だ。
この外見とこの性格からは非常に意外ではあるが、翔の絵はなかなかのものだ。点描を多用した画風で、精密でありながら印象派の作品のようにも見える。
と、偉そうなことを言うが、知識はともかく自分の芸術的センスは信頼していないので――僕は翔の絵が嫌いではない、という表現に留めておこう。
「構成物質はこの世界のものと同じですか? 赤い宝石ですが、ルビーにしては透明度が高いですね。それに、内側に妙な乱反射が見えます――ちょっと貸してもらえますか?」
「おお、小泉少年、宝石とかにも詳しいのか。ほら」
僕の言葉に、感心したように翔が頷き、ターゲットジュエルを手渡してくれる。
陽光にかざしてみると、やはり反射の様子がおかしい気がする。内部で大きく密度が違う場所があるのだろうか。
色味だけ見れば、自然の鉱石というよりは、着色されたガラスをイメージさせる。物質の印象としては、そういう安っぽさとは真逆の重厚感を持っているのに、不思議だ。
さすが魔法世界の――地平世界の宝石、といったところだ。
さて、そろそろか。
「瑠璃、見てみるか?」
「あ、はい」
瑠璃が両手でターゲットジュエルを受け取った。
そこで。
僕は、瑠璃の両手を、手渡した宝石ごと掴んだ。不自然にならないよう心掛けて、優しく、両手で包み込む。
「え? あ、あの――?」
みるみる赤くなる瑠璃の頬。
「あー、瑠璃ちゃん、赤くなってるー」
「なんだなんだ、小泉少年、そんなこともできるのか」
「うわぁ、なんだかとってもロマンチックですわ。瑠璃さん、例の話、今がチャンスかもしれません」
「何で唐突にそんな空気になってんだ? 小泉、頭でも打ったか?」
外野達が煩い。ちなみに、喋った順は、向日葵、翔、綾乃に常盤だ。
少し静かにして欲しいな。
そうでないと――。
「く、く、玖郎くん……」
顔を赤くして、それでも僕の手を振りほどけずに、瑠璃がこちらを見て来る。
ああ、状況が分かっていない人物がもう一人いたようだ。
だが、それはそれで良い。
瑠璃の表情がどう変化するか、一見の価値ありだ。
「これは、その、一体――?」
「そのまま、しっかり握り続けろ。直前で気付いて奪われたりしたら、せっかくの作戦が台無しだろ」
そう。
既に条件は整っている。思考通りに行動し――必要な時間は、あとわずか――数秒。
さあ、静かにしてくれよ――。
「――っ?」
僕の心中が聞こえた訳ではないだろうが、誰もが言葉を発しなかった。
僕の言葉の意味を理解し、その場の全員が同時に息をのんだのだ。
――そう、静かにしないと、肝心の音が聞こえない。
ピピピピッ!
電子音が、再び響いた。
僕は言う。
「〈試練〉開始から十五分です。お気の毒ですが、ターゲットジュエルは僕達の手の中です」
ああ。
きっと、今僕の顔に浮かんでいるのは、いつもの悪い笑顔なんだろう。
狙い通りの結末、策略通りの勝利だった。
そのために、時間を意識させないように、何度も霧を発生させた。
そのために、戦局が停滞しないように、思考する隙を与えないように行動した。
そのために、終了時刻より三分早く一回目のアラームを鳴らした。
そのために、わざわざ一度拘束してから解放した。
全ては、この結末ため――この勝利のためだ。
「――残念でしたね」
僕の言葉に合わせたように、ポンっと空中に〈精霊〉が現れた。
緑色の毛玉――子どもの頭部ほどの大きさの緑色の毛玉に、短い手足が直接ついているという外見で。シルクハットとステッキを持っている。可愛らしいその見かけとは裏腹に、〈精霊〉達と地平世界の人間との交渉役をしている、高位の〈精霊〉だと聞いている。
ジャッジメント・オリジン――〈魔法少女〉達には、ジャッ爺と親しげに呼ばれている。
そして、王位継承試験の審判である。
ジャッジメントは、高らかに宣言した。
「この〈試練〉はここまで! 勝者は瑠璃姫じゃ!」
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2番目の魔法少女[2] 予定にない嵐
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