02
「〈操作〉っ!」
私は、魔法を唱えました。
水を細かくバラバラにして、空気中に――この公園全体に拡散させます。
一瞬で発生する濃霧。
文字通り瞬く間もなく、〈試練〉を戦う全員の視界を奪います。
「何度も同じ手は通用しませんわよ。〈盾〉!」
柔らかな印象の声が聞こえました。
この声は、綾乃さん――常盤さんの〈騎士〉です。
武者小路綾乃さん、風の〈騎士〉で、常盤さんと同じ中学校の二年生です。とっても綺麗な黒髪を背中まで伸ばしていて、柔らかで優しく微笑む素敵なお姉さんです。地平世界の王女である私が言うのもおかしな話ですが、とっても育ちの良いお嬢様なのです。
風の〈騎士〉が使う魔法は、当然『風』です。〈盾〉であれば、小さな竜巻のような風の圧力で攻撃を防ぐのです。
とすれば、その場には風が吹き荒れ――私の魔法が作り出したものだとしても、所詮は霧です――簡単に吹き散らされてしまいます。
「霧が――」
私の声も、霧を留めることはできません。
みるみるうちに視界が晴れてしまいます。
『綾乃さんか――なるほど、考えたな。霧は不発、とすると――温存していたアレを試してみるか』
玖郎くんの呟きが聞こえました。
いつもの悪い笑顔を思い浮かべてしまいそうな――何かとっておきの考えがある、あの声でした。
霧が完全に晴れてしまいました。
そのおかげで、少し離れた私の位置からでも、翔さんに接近する玖郎くんの姿が見えました。
玖郎くんは、戦うつもりはないことを示すかのように、ゆっくりと歩きながら翔さんに近づいて行きます。
『翔さん、ずっと聞きたかったことがあるんですよ』
玖郎くんの声がイヤホンから聞こえます。
翔さんに、何か質問を投げかけるようです。
『〈契約〉の時の話です。確認ですが、翔さんは大学生、向日葵は小学四年生という、ずいぶん年齢差がある状況ですが――それで、向日葵の唇はどんな味だったんですか?』
――。
――――え?
えええっ!?
【玖郎】
「――な? なななっ!?」
僕の質問に、翔は冷静さを失った――それは正に狙い通り、予想通りだ。
狙い通りで予想通りではあるが。
その効果は、僕が想定したものより絶大だった。
良い大人である大学生が、ここまで顔を赤くするような出来事だったとは。
どうも〈魔法少女〉達は、〈騎士〉を引き受ける相手との〈契約〉――その際のキスに過剰な憧れがあるらしい。地球世界の大学生では考えもつかないような、キザでロマンチックな状況を要求されたのかもしれないな。
それはともかく。
条件は整った。
「今だ! 瑠璃!」
僕は、叫ぶと同時に、翔の背後に視線を動かす。
「え? あ、しまっ――」
慌てて後ろを振り返る翔。
ふん。ここまで狙い通りだと、いっそ清々しいな。
『え? あれ? 私ですか?』
イヤホンから聞こえてくる瑠璃の声は、ひとまず無視だ。
僕が用意した〈契約〉の話題で、冷静さを失った人物がもう一人いたということだ。〈契約〉未経験の〈魔法少女〉には刺激が強すぎたか。
期せずして二人の人間を騙してしまったが――そう、僕の叫びは嘘だ。
翔が振り返った先には、誰もいない。
僕は息を止めた。
さあ、ここからが見せ場だ。
ブラフだと気付いた翔が、慌ててもう一度こちらに向き直る。
その動きに直行するように、僕は翔の横を走り抜ける。
これで、〈騎士〉の守りのない向日葵まで一直線だ。
「くっ、させるか――っ」
素晴らしい反射神経を発揮して、翔が僕に手を伸ばす。
紙一重のタイミングではあったが、僕の右手を――つかんだ。
そして。
それこそが、僕の狙いだ。
そう、こちらが本命だ。
僕は、つかまれた右手に移動の勢いを乗せながら、体の位置を入れ替える。
腕を引き下ろし、その回転を利用して、翔の腕を背中に回す。
今でも練習を欠かしていない、『ぐっ、すいっ、くるくる~』の動きだ。
「うわっ」
翔を地面に引き倒して、背中を踏みつけ体重をかければ第一段階は完成だ。
しかし、十分ではない。ここからさらに、翔の動きを完全に止める必要がある。
武道の技を不意打ちで使うことで、地面に引き倒すことができたとしても、そのまま封じ続けるには基本となる体力に差がありすぎる。さすがに、大学生と小学五年生の体格差を埋めることは無理だ。
だから、文明の利器を使わせてもらう。
僕は用意しておいた、工具用の結束バンドをウィンドブレーカーのポケットから取り出した。
これは、一般的なホームセンターなら数十本単位で売っている、プラスチックの細いバンドだ。通常は、電気配線やLANケーブルをまとめる時などに使う。
ズボンのベルトのようなイメージで、簡単に輪の形にすることが出来る。引っ張れば輪が締まり、構造上その位置で固定される。外す時はニッパなどで切断するといった、使い捨ての工具だ。
それを使って、翔の腕を背中側で縛る。
「お、おい?」
右手首と左手首をまとめて輪に通して、締める。ついでに、ズボンの腰位置にあるベルト穴とも固定してしまう。
さらに、暴れ出す前に、左右の足首もまとめて別の結束バンドで作った輪に通して締める。
よし、今度こそ完成だ。
僕は、ようやく呼吸を再開した。
「おーい、全然動かないんだけど」
観念したのか、諦めの混じった声色で翔が言った。
「人の力では切ることはまず無理です。ケガをするので力ずくで外そうとはしないことです。〈試練〉が終わったら外しに来ますから、大人しく待っていて下さい」
それだけは言っておいてやる。
『わ。翔さん動けないんですか? 玖郎くん、今度はどんな魔法を使ったんです?』
イヤホンからの疑問の声には、後で答えてやることにして。
今は、より優先順位が高いことがある。
簡潔に言えば――。
「残り二分だ」
【瑠璃】
玖郎くんが、残り二分だと言いました。
この〈試練〉は、十五分の制限時間が終了した瞬間に、ターゲットジュエルを持っていた者が勝ち、というものです。
途中経過も評価されますが、やはり誰が勝利したかが肝心です。つまり、最後の瞬間が最も重要なポイントになります。
当然、終了時刻が近づくにつれ、〈試練〉の内容は――私を含めた三人の〈魔法少女〉達の攻防は、激しくなります。
玖郎くんの活躍で、土の〈騎士〉、翔さんは動けなくなってしまいました。
一人残された向日葵ちゃんは、〈生成〉で作り出した金属の塔の中にターゲットジュエルを確保したまま、防戦に徹しています。
風の〈魔法少女〉と〈騎士〉――常盤さんと綾乃さんの攻撃は激しさを増しています。
ですが、二対一の不利な状況なのに、それでも向日葵ちゃんには有効な一撃が届いていません。
向日葵ちゃんは、〈開門〉で次々と〈精霊〉を呼び出し、自分の周りを守らせているのです。
なるほど。
この状況は、向日葵ちゃんに向いるようです。
制限時間が過ぎるまで、逃げ回るのではなく、一ヶ所に止まって守り抜く――本来であれば、〈騎士〉と協力したとしても、残り二組の〈魔法少女〉を相手にするには厳しい状況でしょう。
しかし、〈開門〉による〈精霊〉の召喚を得意とする彼女ならば、話が違ってきます。
〈精霊〉は、簡単な命令であれば、自分で考えて判断することができます。今回のような状況でも、背中を預けることができる――不意打ちや死角からの攻撃にも対処できるのです。
数の上では向日葵ちゃんが不利と思ったのですが――常盤さん、綾乃さん、それに玖郎くんと私を数に入れても――〈精霊〉を含めた数では、すでに向日葵ちゃんが圧倒的に有利な状況です。
『次は綾乃さんを封じる。瑠璃の右手に見えるベンチまで連れて来れるか?』
玖郎くんの指示が、電波に乗って携帯電話につながったイヤホンから聞こえました。
次の狙いは綾乃さん、ですか。
普通に考えるなら一時的にでも、風の〈魔法少女〉達と共闘して、向日葵ちゃんの防衛網を突破するところですが。
玖郎くんのことです。
何か考えがあるのでしょう。
残り二分を切っています、余計な質問をしている時間はありません。
「やってみます」
了解の返事をイヤホンにつながったマイクに返して、私は再度空中に飛び上がりました。
〈操作〉を応用した飛行です。
玖郎くんに出会ってすぐの頃に教えてもらった、この魔法の使い方は、もうすっかり馴染んでいます。
玖郎くんの指示通り、狙いは綾乃さんです。
背後から近付いて、連れ去ってしまうのです。
『後ろから羽交い締めにしたら、何でも良いから綾乃さんに相談事をしてみろ。うまく気を引くことができれば、無抵抗で連れ去れる可能性がある』
「え? 相談事、ですか?」
玖郎くんの言葉に疑問を返しますが、返事を待つ時間はありません。
私は、綾乃さんの背後から、ぎゅっと抱きつきました。
あ、なんだか良い香りがします。
うう、なぜかドキドキしてしまいます。
「きゃっ。あら、瑠璃さんですわね?」
いかにもお嬢様然とした口調で、綾乃さんは言いました。というか、背後から抱きついたのに、私だとバレています。
ああ、そうですね、分かるはずです。〈魔法少女〉の衣装の色くらいは、綾乃さんの位置からでも確認できますから。
水色の袖口が視界に入れば、私だと分かってしまうということです。
そんなことより。
玖郎くんのアドバイスを試すのです。チャンスは今しかありません。
「あの、綾乃さん、ご相談があります。えーと、そうですね。玖郎くんにロマンチックなキスをお願いするにはどうしたら良いと思いますか?」
『こら、妙な相談をするな』
うう、携帯電話の電波を通して、玖郎くんに怒られてしまいました。
だって、とっさにそれしか思い浮かばなかったんですもの。
「それは難しい相談ですわね。小泉さんは、直球でお願いしてもダメなものはダメ、という方ですし」
この状況に似合わないくらい平和そうな声で、綾乃さんが返事をしてくれました。
しかも、とっても普通に相談に乗ってくれています。
私は、それを聞きながらも、綾乃さんをずるずると飛行の魔法で引きずっていきます。
驚きです。
玖郎くんの言うとおり、無抵抗で連れ去れてしまいます。
「そもそもお願いするという時点で、あまりロマンチックとは言えませんわね。かといって、変化球や遠回りな作戦は、いとも簡単に見抜かれてしまいそうですし」
「そうなんです!」
思わず、力が入った返事をしてしまいました。
ずるずるずる、と綾乃さんを引きずりながらではありますが。
「悩ましい問題ですわね。でも、小泉さんが、瑠璃さんのことを憎からず思っていることは間違いありませんわ」
え? 本当ですか?
「そ、そんな風に見えますか?」
思わず嬉しくなって、確認してしまいます。もう一度、同じ内容で良いのでもう一度言ってください。
それはそれとして。
玖郎くんの指示通り、ベンチまで連れてきました。そのまま座ってもらいます。
相談事ついでに、私も隣に座ってしまいます。
「ふふ。小泉さん、瑠璃さんのことを見ている時は、なんと表現したら良いでしょうか……真剣なといいますか、険しげなといいますか、優しそうでいて、胸の内には熱い想いを秘めていそうな――」
えええ、そ、そうなんですか?
「ああ、そうですわ。良いことを思いつきましたわ。瑠璃さん、常盤さんと同じく一人暮らしですわよね? 何か口実を見つけ――」
びしっ。
――と、音が響きました。
「妙なことを吹き込まないで下さい」
玖郎くんのデコピンが炸裂した音でした。
「ああっ、今とっても良いところでしたのに」
思わずそう言ってしまって、玖郎くんににらまれてしまいました。
それにしても、ああ、あれはとっても痛いのです。
中学生とは言え、綾乃さんも女の子です。あまりの痛みに声も出せずに、額を押さえてプルプルしてしまっても無理もないと思います。
「あまり時間がない。ウォーターカッターを覚えているな? あの鋼の塔を切断しろ。見たところ、土の〈精霊〉達は、壊される心配がない塔ではなく、向日葵を守るように配置されている。包囲網の外側から仕掛ければ、おそらく塔に攻撃が届く」
言いながら、玖郎くんがペットボトルを手渡してくれます。
「わ、わかりました」
「頼んだ。僕もすぐに向かう」
玖郎くんは何やら白いプラスチック製のヒモのようなものを、すちゃっ、と取り出しながら言いました。
デコピンの衝撃に動けない綾乃さんに、一体何をするつもりなのか、とっても気になりますが、我慢です。
さあ。
気持ちを切り替えます。
終了時刻は目前です。
ターゲットジュエルを奪い返さなくては。