01 序章 三人の魔法少女
【瑠璃】
今になっても、あの頃のことを思いだします。
この地平世界を離れ、地球世界で過ごした一年間のことを。
ただ必死だった、王位継承試験の日々のことを。
彼と――玖郎くんと一緒だった、あの一時のことを。
今でも、思い出すのです。
ええ、そうですね。
地球世界で過ごした日々は短く、厳密に言えば、わずか一年に満たない時間でした。
宇宙や星の一生。
国の歴史。
そんな雄大な時の流れと比較するまでもなく、ほんのわずかな、短い時間です。私の人生においてすら、短い短い一部分に過ぎません。
それでも。
それでも、忘れられない瞬間は数えきれないくらいあります。
忘れられない経験。
忘れられない時間。
忘れられない言葉。
忘れられない風景。
今になっても、どの瞬間も――どの想い出も、脳裏に鮮明に浮かびます。
例えば。
椎名小学校への転校初日、玖郎くんとぶつかった私は、彼のデコピンのあまりの痛さに、目から星が飛び出るかと思いました。
例えば。
地球世界でできた親友の笑顔。勇気を振り絞って、私と親友になりたいと言ってくれた朝美ちゃん。私も親友になりたいと、そう返事をした時の、彼女の笑顔。
例えば。
琴子さんとカレーライスを一緒に作ったこと。トントンと野菜を刻む音、フタを開けた瞬間に立ち上る湯気、スパイスの香り。
例えば。
一番星を指差す玖郎くんと、夕暮れの公園で話をしました。真剣に話を聞いてくれる彼の表情も、微かに残っているイチゴの爽やかな甘さも、その後の涙も。
例えば。
自分達の作った秘密基地を、ふとした不注意から全焼させてしまった小学生の男の子達。大切なものがなくなってしまったのに、もっと大切な、小さな命が助かったことを心から喜んでいました。
例えば。
小学校の屋上で、茜の生み出す炎にさらされ、瞬く間に乾いていく涙の熱さと、叫んでも叫んでも轟音にかき消される私の声。
例えば――。
ああ、本当に、本当にきりがありません。
数えきれない想い出の数々が、次から次へと、まるで昨日のことのように、思い返されるのです。
そう、例えば。
忘れられない虹があります。
あの夏の日。
玖郎くんと一緒に、とても綺麗な虹を見たのです。
あの虹は――。
きれいで。
夢のようで。
魔法のようなのに。
透明で。
儚くて。
消えてしまいそうで。
まるで幻のようでした。
そんな虹を見上げながら、玖郎くんは言いました。
『なぜ二番目ではダメなのか』と。
きっと、ずっと疑問だったのでしょう。
玖郎くんには、私の願い――二番目ではなく――一番になって、女王になって、優しくできる世界を作りたいという願いを伝えてありました。
彼のことです、すぐ気づいたでしょう。
優しくできる世界を作ることが目的なら、二番目でも構わないはずだ、と。
女王になった茜の下で、大臣として、領主として、実現できるのではないか、と。
優しくできる世界を作れるはずだ、と。
茜だって、私の夢に協力してくれるはずだ、と。
いいえ。
それでは不十分なのです。
それでは、足りないのです。
だから。
私は玖郎くんに話しました。
私の考えを。
一番になりたい理由を。
女王になりたい理由を。
女王にならなければ実現できない、私の考えを。
どのように優しくできる世界を作るつもりなのかを。
話したのです。
あの虹の下で――。
◆ ◆ ◆
【玖郎】
残り五分を切った。
制限時間終了の瞬間にターゲットジュエルを持っていた〈魔法少女〉を勝者とする――これは、そういう〈試練〉だ。
〈試練〉――魔法世界の次の女王を決めるためのテスト、王位継承試験の課題の一つだ。指定された課題を魔法を使って解決するというもので、春先に〈魔法少女〉達がこの世界に来てから既に何度も行われている。
単独で課題をクリアするものから、他の〈魔法少女〉と競争するものまで、その形式は幅広い。
そして、今回の〈試練〉も、その内容から分かるように競争形式のものだ。
試験会場は、A県B市椎名町の、とある児童公園だ。ステゴサウルスに模したジャングルジムがある以外は特徴と呼べるものもないような、ごく普通の公園だ。
昼過ぎの児童公園だというのに、他に人はいない。〈試練〉に関係する魔法の効果だろう。
〈試練〉に参加する〈魔法少女〉と、その〈騎士〉は試験会場の範囲から出ることはできない。
戦況は、僕と瑠璃が一歩リードしている、といったところか。
瑠璃の姿は、小学五年生にしては落ち着いた服装を好む、彼女の普段着ではなく――〈魔法少女〉の衣装だ。
青色をはじめとして、水色、空色、藍色などの青系統の色をした不思議な質感の布地で作られた、シャツとベストとスカート。フリルやリボンを多用したそれは、可愛らしいと言えるかもしれないが、明らかに普段着ではない。どこか演出めいた、まるで舞台衣装であるかのような印象を受ける。
そして、彼女の瞳と髪の色は、鮮やかな青色をしている。普段の瑠璃は、瞳も髪も、一見普通の日本人と変わらない黒目黒髪であるにもかかわらず、だ。
それが、〈魔法少女〉の衣装――いわゆる『魔法で変身した姿』だった。
繰り返しになるが、戦況を一言で述べるなら、瑠璃と僕が一歩リードしているといった状況だ。
開始直後から、勝利条件であるターゲットジュエルは、瑠璃の手の中にある。僕達が確保し続けているのだ。
とは言え、油断ができる瞬間などありはしない。
なぜなら――。
瑠璃と僕は『土』の〈魔法少女〉と〈騎士〉、それだけでなく、『風』の〈魔法少女〉と〈騎士〉を同時に相手にしているのだ。
――この〈試練〉は三つ巴なのだ。
「もらった!」
「あっ」
状況が動いた。
ステゴサウルス型のジャングルジムの上空。瑠璃の一瞬の隙を突き、風の〈魔法少女〉が、ターゲットジュエルを奪い取ったのだ。
〈操作〉を応用した霧の目くらましと飛行――僕と瑠璃が出会ってすぐに習得した戦術と魔法だが、さすがに限界か。
限られた空間の中で、鬼ごっこのようにひたすら逃げ回ると言うのは、かなり体力を――魔力を消耗する。
例え遊具という障害物がある児童公園が舞台で、空中も含めた立体的な領域が舞台だとしても、だ。
新たにターゲットジュエルを手にしたのは、常盤――風見・ビリジアン・常盤だ。
『風』の魔法を操る〈魔法少女〉で、鮮やかな緑色の髪を後頭部の高い位置で一つにまとめている。その端が、彼女の動きに合わせて、肩のあたりで跳ねていた。髪と同じく鮮やかな緑色の瞳が、手に入れた勝利条件に、嬉しそうに細められた。
瑠璃の衣装と色違い――黄緑色、深緑色、青緑色といった緑系統でまとめられた、〈魔法少女〉の衣装。フリルの量やリボンが控え目であるというちょっとしたデザインの違いで、中学生の彼女の年齢に合った印象になっている。
そう、常盤は中学二年生で少し年上だ。小学五年生の僕や瑠璃よりも体つきが大人に近い。当然体力も勝っている。
加えて、彼女が操る魔法は『風』だ。〈操作〉を応用して、かなり自由度の高い、鋭角な機動の飛行を実現している。風に自分の体を乗せるだけではなく、空気抵抗も操っているかもしれない。
「ふふ、油断大敵さ。さあ、瑠璃、くやしかったら、私に追いついてごら――ああっ」
瑠璃からターゲットジュエルをうばい、誇らしげにそれを掲げて見せた常盤は、次の瞬間悲鳴をあげていた。
上空から急降下してきた黄土色の――グリフォンが、そのくちばしで宝石を奪い取ったのだ。
グリフォン――猛禽類の頭部と翼、猫科の猛獣を思わせる胴体と四肢。
大型犬ほどの大きさを持つそれは、当然、この世界――地球世界に存在する動物ではない。地平世界から〈開門〉を通して召還された〈精霊〉だ。
「やった! グリちゃん、ナイス! こっちに戻ってきて!」
そのグリフォンに指示を出しているのが、向日葵――『土』の〈魔法少女〉だ。
土地・ライムライト・向日葵。
元気に咲き誇る花を思わせる黄色の髪が、頭の両側でふわふわと跳ねている。同じく黄色の瞳にはまだ幼さが残っている。
橙色、檸檬色、クリーム色などの黄色系統で仕上げられた〈魔法少女〉の衣装を身に付け、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
ターゲットジュエルを確保したということは、この〈試練〉に勝利する可能性を手に入れたということだ。飛び跳ねたくなる気持ちもわかる。
まして、彼女は小学四年生――一年だけとは言え、僕や瑠璃より年下だ。そういう素直な感情の発露も無理はない。
「〈生成〉!」
向日葵の詠唱に反応して、地面から金属質の柱が現れた。炎が無限に創り出される『火』の〈魔法少女〉の〈生成〉ほどの勢いはないが、十分に現実離れした光景だった。
鋼の塔は、向日葵の頭ほどの高さまで成長すると、そこで止まった。
グリフォンからターゲットジュエルを受け取ると、向日葵はその塔に、それを置く。
それを待っていたかのように、塔が再び成長した。ターゲットジュエルを飲み込み、さらに上にのびる。
ああ。
どこかで見た形だと思ったけど、シーナタワーか。ここ、A県B市椎名町にある、唯一の観光名所だ。その役割は展望塔を兼ねた電波塔なので、札幌や名古屋にあるテレビ塔、あるいは東京タワーとほとんど変わらない形をしている。
そのシーナタワーで言えば展望台の位置にターゲットジュエルを格納し、鋼の塔が完成した。
「また固そうなものを――〈操作〉っ!」
常盤の声に応じて、真空の刃が飛ぶ。風を操る魔法ならではの、カマイタチ現象だ。
しかし、硬質の音を響かせて、その攻撃は鋼の塔に弾かれてしまう。見た目の印象より、ずっと堅牢な金属で構成されているようだ。
「瑠璃、〈操作〉だ。水の弾丸、狙いは向日葵が作った塔の展望台下だ」
僕は、左耳に装着しているイヤホンと一体化しているマイクに向かって言う。携帯電話の電波の向こうの、瑠璃に声が届いたはずだ。
僕は、身に着けたウィンドブレーカー――一見すると黒色に見えるが、その色は紺色だ――のポケットから、ペットボトルを取り出して水を撒く。
地面に水が跳ねた瞬間、水は意志を持った生物のように空中へと飛び上がる。
瑠璃の魔法――〈操作〉だ。
瞬時に圧縮された水は、三発の弾丸の形に形成される。そして、この世界の物理現象を無視するように、空中に止まった状態から瞬間的に加速される。
そう認識した瞬間には、狙い通りの場所に着弾していた。
しかし――。
【瑠璃】
「――ダメです」
向日葵ちゃんが作った金属の塔は、揺らぎもせずに私の魔法をはねのけてしまいました。
『驚くべき強度だな。だが問題ない。魔法が破れないなら、〈魔法少女〉をなんとかするまでだ』
玖郎くんの声がイヤホンから聞こえてきました。
同時に、玖郎くんが走り出しています。
これは多分、いつもの攻撃パターンです。
一瞬の隙をついて、〈魔法少女〉に直接攻撃――デコピンを放ち、魔法の集中を途切れさせるのです。
だから、私は玖郎くんを信じて、塔に向かうのが正解です。
せっかく向日葵ちゃんの魔法が解除できても、ターゲットジュエルを取り返せなければ意味がありません。
この〈試練〉に勝てないのです。
だから、私はもう一度だけ玖郎くんを見ると――あ、いけません。
「玖郎くん! 真横から攻撃です、止まって下さい!」
声が届いた瞬間に、玖郎くんは反応してくれました。
体全体を沈み込ませるような動きでブレーキをかけ、なんとか止まります。
そして、走り続けていたら直撃していた位置――そこからさらに一歩先に、〈騎士〉の〈剣〉が振り下ろされました。
「うちのお姫様に攻撃したければ、俺を倒してからにしてくれよ?」
攻撃と声の主は、翔さんでした。
飯島翔さん、向日葵ちゃんの――『土』の〈騎士〉です。
ほんの少しだけ明るく染めた髪を、男性にしては珍しいのですが、後ろでちょんと縛っています。背がすらっと高くて、前髪が伸びた様子も良く似合っています。美術大学に通う学生さんだと聞いた時は不思議と納得してしまいました。
大人の考えと体格を持つ翔さんは、小学生の私達にとっては、それだけで強敵でした。
もっとも、本人はとっても穏やかで優しい人ですが。
「相変わらず甘いですね。今の〈剣〉は、僕の突撃を止めることだけが目的でしょう。どうせ剣を振るうなら、僕を直接狙う覚悟で来ることですね」
玖郎くんの言うとおり、翔さんの〈剣〉は、玖郎くんが止まれずに走り続けていたとしても、直撃するものではありませんでした。
「はは、そっちは相変わらず生意気だな、小泉少年。そう嫌わずに、もう少し俺と遊んでいけよ――〈剣〉っ!」
掛け声とともに振るわれる、金属質の剣。土の〈騎士〉の攻撃魔法です。
これも、牽制でした。
玖郎くんが軽く後ろに下がると、簡単にかわしてしまえる攻撃です。それでも、このままでは、玖郎くんは向日葵ちゃんまで到達できません。
ターゲットジュエルは、向日葵ちゃんが確保したままになってしまいます。
『厄介な〈騎士〉は迂回するに限る。瑠璃、霧をたのむ。範囲は公園全体だ』
イヤホンからの声に、私は集中します。
魔法には、イメージが必要です。
手足を動かす時とは違って、強く、正確なイメージが必要です。イメージの強さが、そのまま魔法の強度になるのです。イメージの正確さが、魔法によって物理法則を捻じ曲げ、現実世界に実現させる現象の精度となるのです。
〈生成〉ならば、物質が――私の場合なら『水』が――湧き出るイメージ。
〈操作〉ならば、その物質が意のままに動くイメージ。
〈開門〉ならば、物質を通して別の場所に繋がるイメージ。
そう、イメージが必要なのです。
玖郎くんが、ペットボトルを翔さんに向けて投げました。翔さんが、そのペットボトルを反射的に〈剣〉で切り払います。
ペットボトルの断面から、宙に水滴が舞うのが見えました。
――今です。
「〈操作〉っ!」