05
マークには親友が居る。
幼馴染であり、親友でありこの二年間共に同じ戦場を駆け回った戦友だった。
実力に差は有るものの、常に同じ戦場に居て。時が経つごとに彼女だけ自分を置いていくように出世して、隊長となってしまったが彼女と直接背中を預けて戦い続けていたのはきっと自分だっただろうとマークは自惚れている。
マークにとってメディア=リーンという人間はとても大事な人である。
楽しいときも辛いときも。挫けそうなときも。どんなときも彼の話を常に聴いてくれたのはその幼馴染だけだった。
もう一人の幼馴染に惚れたときも。自分でもわけがわからない拙い説明を聞いて、応援して、助言してくれたのは彼女だけであり。どんなときも、彼女は自分の傍で自分を見守るように隣に居てくれる存在だった。かけがえのない存在だった。
つ、と目を覚まして。ああ、潰れてしまったのかと痛む頭を抑えたマークは大きな欠伸をする。
窓の外へと視線を向けてもまだ空は暗く。夜が明けていないことを知る。マークの目の前には同じく酔い潰れたであろうメディアが机に突っ伏してぐっすりと眠っていた。空けた酒瓶は二人にも関わらずこないだ同僚達とうがーっと飲んだ時と同じぐらい空いていた。――どんだけ、飲んだんだ。
頭は痛みを訴えていて、空もまだ暗い。もう一度眠るか一度家に帰るかと考えて、心地よいこの場所に居ようと机の上の自身の腕に顔を埋めた。
「メディア。ありがとう」
右手だけ伸ばして、メディアの頭を軽く撫でる。気持ちよさそうに寝息を立てる彼女がもぞもぞ、と小さく動いた。
――シュリーから話を全部聴いたあと。自分はどうすればいいのか分からなかった。
彼女を怒るべきなのかみっともなくその場で泣き出すべきだったのか、馬鹿みたいに全部受け入れればよかったのか、その場に崩れ落ちるのが正しかったのか。亡くなったものだと思っていたと言った村人達に対しても、どうすればよかったのか分からなかった。
ただ、その場で呆然と立ち尽くしていたマークをメディアが手を引いて、とても怒った表情で、マークの実家に連れて行って、「酒でも飲もう」と此処に連れてきてくれて。
自分の意味が分からない言葉にならない愚痴を、彼女は拾ってくれていた。メディアもつらかった筈なのに。自分は何も口にしないで、ただ自分の言葉を聴いて、一緒に居てくれた。
だからなのかも、しれなかった。
――思っていたよりも断然。気分は悪くなかったのは。
「うー……頭が痛い」
「飲みすぎたんだな。貴様が此処まで潰れるのも珍しい」
目を覚ましたら、日は真上に昇っていて。すっかり寝過ごしてしまったらしく互いに目を合わせ、困ったように笑いあった。
メディアも飲みはしたが、2日酔いにはなっていなかったらしい。頭を抑えて項垂れるマークを横目に昨日飲み散らかした酒の山をテキパキと片付け始める。その合間に、当たり前のように彼女はコップに水を注ぎマークの横にそっと置いた。
そんなメディアを横目で見つめながら、マークはこれからどうしようかなあ。と水を口に含む。冷たくて、頭痛が少しだけ和らいだ気分になる。あくまで気分であって、頭痛は治っていないのだが。
最初は、この村で父の畑を耕すつもりだった。
実際今でも、そうしたいと思ってはいる。けれどこの村で平然とした顔で自分が過ごすには余りにも難しい気がしている。それはマーク自身の問題でもあるし、村人の昨日のような視線に見つめられるのも御免だった。
かといってじゃあ何がしたい。というわけでもない。ただこの村からは暫くの間離れたい。そんなことを考えて、メディアはどうするのだろう。とマークは視線を彼女に向けた。
メディアは酒瓶の片づけを済ませていて、昨夜と同じように椅子に腰をかけて頬杖を付いて此方を見つめていた。
「――え?何?」
「……いや。これからどうするつもりだ?」
「……どうしよっかなー」
こうして、メディアの家に二人でいる分にはとても気が楽だった。昔から慣れ親しんだ光景だし、隅に建っているお陰で昼間でも静かなのが気に入っている。特に今の状況だと、少し外れたとこにあるのがこれでもかってほど幸いでもあった。
だが何時までもメディアの家に居るわけにもいかないし、かといって実家に戻る気にもならなかった。
自分が生きている事を信じていてくれた両親には感謝しているが、村のど真ん中にある実家に足を運ぶには相当の勇気が居る。しかも隣はシュリーの家なのだ。尚行き辛い。
「はあああああ……」
大きくため息をついて、ぺしょりと机に潰れた。そんなマークの頭をぽんぽんとメディアの手が撫でる。
この手が、何十、何百という命を奪ってきたとは思えないほど優しい手つきで。マークは心地よさに目を閉じる。
「――なあ、メディア」
「ん?」
「俺……此処に住んで良い?」
「構わん」
「良いの?」
「ああ。貴様の気持ちの整理がつくまで。どうしたいか決まるまで。ここに居ても構わんよ」
今まで聞いたメディアの声の中で、一番優しかった気がするその声にマークは小さく笑う。
「簡単に男を住ませるなよお前……」
「野宿で何度も隣で眠った男が何を言う。今更だ」
「――そうだな。じゃ、ちょっとだけお世話になるよ」
今更だ。本当に――今更だ。
けれど、それが今のマークには本当に心地よかった。
目の前で、昔から優しかった親友は。きっとこれからも変わらないのだと。
そう実感できて。マークはそっと意識を手放した。
「……寝たのか?」
ぽん、と撫でる手を止める。目の前の幼馴染は二日酔いが響いているのか、先ほどまで眠っていたというのにまたぐっすりと眠り始めていた。昨日恋人に捨てられ、村人にはとっくの昔に死んだものと思われて自棄酒を飲んでいた男とは思えない程気持ちよさそうに眠っていた。
強い男だと、メディアはしみじみ息を吐く。
此処に住みたいと言い出した男のことを少し考えて、買出しにいくかと立ち上がる。
余り率先して村に顔を出したいかといわれたら微妙だが、自分自身のことについてはそれほど傷ついていなかったのだ。
――分かっている。自分が怒ることがおかしいのは。
彼らが自分を死んだと思っている可能性は考えていた。それが当たり前だとも思っていたし、音信不通になったのだから多少覚悟もしていた。だから自分が怒るのは可笑しいのだと、分かっていた。
けれど、目の前に潰れている幼馴染を見るとそんなことも言ってられなかった。帰りを待つと約束してくれた恋人には男も子供も居て、周りの「今更どうして帰ってきた」というマークへの視線に無性に腹だった。死んだ方が良かったのか。帰ってこなかった方が良かったのか。そんな怒りが込み上げて仕方がなかった。
メディアにとってマークは親友だ。
幼馴染であり、親友でありこの二年間共に同じ戦場を駆け回った戦友だった。
ずっと共に育ってきて笑いあった大事な親友だった。それこそ、隣に居るのが当たり前の。
だから、メディアには分かっていた。
マークが今何を支えにしているのか。
それは親友で、幼馴染で、戦友で。ずっと隣に居たメディアという存在であることを。
戦争を必死に生き延びて、一緒に帰ってきた幼馴染を支えにしていることを。
「……あと、二週間か」
それまでに手を打たなければいけないな。
小さく呟いて、買出しに行こうと彼女はそっと家を出た。
最後に、何も無かったかのように幸せそうに眠っている幼馴染をちらりと見つめて。