グッバイ・マイドリーム
今日は、待望の嫁が来る日だ。
この日の為に、俺はわざわざ部屋のドアノブを鍵付きの物に付け替えた。
嫁とイチャイチャする夢の時間を無粋な家族に邪魔されたくは無いからな。
ベッドはシングルだが、どうせ隙間も無いくらいギュウギュウに抱きしめて寝る予定だから問題は無いだろう。
布団は一つ、枕は二つって奴だ。
今夜の事を思って一人自室でニヤニヤしていると、今はまだ鍵の掛けられていないドアノブがカチャリと音を鳴らした。
反射的に扉へ顔を向ければ、そこには実の姉が冷やかな目つきで俺を見下ろす姿があった。
な、…何だ?
姉のその、いかにも蔑んでいますというような絶対零度の視線に思わずたじろいでしまう。
こんな風に見られるのは、自分の洗濯物に紛れていた姉の下着を返そうとして逆にいらぬ誤解を招いてしまった時以来だ。
「まさか、アンタにこんな情けない趣味があったなんてね。」
吐き捨てるように言いつつ、姉はさらに扉を開いて左手に持っている物を見せつけるように突き出した。
その物の正体を確認して、俺は恐怖に喉を引き攣らせる。
ひぃっ!
そっ、それは、まさしく今日来る予定だった俺の嫁っ!
アニメヒロインの等身大抱き枕、限定水着バージョン!!
なぜ!どうして、それが姉の手に!?
今日は午後から家族皆予定があるって話だったから、それ以降に届くように指定してあったはずなのに!
まさか、オヤジやオフクロにまで見られたんじゃないだろうな!?
近場でついでがあったのか何なのか知らないが、指定された時間はきちんと守れってんだよ!
社員の教育はどうなってんだ!チクショウ!チクショウ!ドチクショウ!
憎悪、羞恥、恐怖。
混乱に荒れ吹きすさぶ心の中で逃避的に配達員を罵っている俺に、姉は情け容赦無く口撃を仕掛けて来た。
「何よ、このキモい抱き枕。バッカみたい。
いくらリアルでモテないからって、変な物に逃避してんじゃないわよ。
こんな駄枕で自分をダマクラかして楽しいワケ?
ったく、いい年こいて恥ずかしいったらありゃしない。目ぇ覚ましなさいよ。
あと、コレは私が処分しておくからね!」
今日も姉の名刀が俺の急所を的確に切り刻んで来る。
不用意に言い返せばさらに辛辣な一太刀を浴びせられる事は分かっているので、俺は脳内で懸命に叫んだ。
くっそぉぉ、二次元に夢見る事の何が悪いって言うんだ!
リア充な姉貴ならいざ知らず、俺にとっては現実の方が悪夢みたいなもんなんだよぉーっ!
とは言え、そんな俺でも処分という言葉を聞いてはさすがに黙っていられない。
しかし、抗議のために口を開こうとした瞬間、まるで伝説のメドゥーサのような鋭く強烈な睨みを利かされて俺の身体は石像のごとく固まってしまった。
まぁ、一部のまだ一度も鞘から抜かれていないナマクラ息子だけは逆にフニャフニャになっているわけだが、コイツがコチコチだなんて言ったら、俺は実の姉の罵倒に興奮するド変態になってしまう。
くっ…。だが、まだだ。まだ終わらんよっ。
例え今ソイツを処分しようとも、いずれ必ず第二・第三の嫁が…。
瞬間。女特有の恐ろしい第六感とやらで思考を察知されてしまったのか、姉は眉間に皺を寄せてこう言い放った。
「忠告しておくけど…、次は無いわよ。
社会的に葬り去られたくなければ、こんなキモい趣味はスッパリ諦めることね。」
…絶望。
あまりのショックで、一気に目の前がマックラになり、身体から力が抜けヨロヨロと地に伏してしまう。
俺が倒れるのとドアが閉まるのは同時だった。
あぁ、今となっては無用の長物となってしまった鍵付きドアノブが恨めしい…。
ふと嫁を迎える為にマクられた毛布が視界の端に入り、一層俺の中の喪失感を引き立ててくる。
その夜。カマクラのように布団を盛り上がらせて、その中で一人、俺は亡き嫁を想い枕を濡らした。
グッバイ・マイハニー。
グッバイ・マイラブ。
そして…。
永遠にグッバイ…………マイ……ドリーム…。