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第一条 到着の気配 7

「正直助かった」

 レインは部屋に入るなり手に持っていた外套を床に投げ出し、背中から寝台に飛び込んだ。

 掌で目のあたりを覆って深いため息をつく。

「臭いんだもんよ。もう……カビ臭いっていうか、獣臭いっていうか」

 寝台の上でのたうちまわるレインを尻目にシアは苦笑しながら荷物を解いた。

 シアたちに用意された部屋は、神殿中央の職員宿泊施設ではなく、外壁にほど近い来殿者用の客室だった。重厚な神殿の作りとは違って、清潔な白い壁紙と光沢を放つ木材の家具が置いてある。

 小さいながらも衣類用の収納に書き物が出来る机、何より冷たい水が入室前に用意されていることに思わず心が和んだ。きっと気がつく職員がいるのだろう。ルパートの指示かもしれない。

「こんなもんだろ。そういやレインは他系列の神殿って初めてだっけ」

「研修で空間神殿には行ったよ。なんか、あそこは寒かった気がする」

 レインはひとしきり唸った後、よろよろと起き上って靴を脱ぎ始めた。ふくらはぎに巻きつけていた布が床に落とされる。泥で汚れきったそれをはじによけて「明日洗お」と小さくつぶやいている姿は十六の少年そのものなのだが、ひとたび法律を語らせれば専門課程の教授も真っ青の論客だ。外見はあてにならないと思う。

「明日から、どうする?」

 レインがそんなシアの心を知ってか知らずか、小首を傾げて問いかけてきた。

 青い瞳はころんと丸くなっている。首をすくめるように伸びをしてから、はだしで移動する様はまるで猫のようだった。青い目の黒猫。

「そうだな……こっちは天気も崩れてないし。明日はちょっと村を回ってみようか。さっき神殿長が言ってたのも気になるし」

「ああ、アレね。北コスカスからの調査団だとか言ってたな。コスカスってことはどうせ国防か民間の護衛を引き連れて来てんだろ」

 シアたちは神殿に入るとまず神殿長にあいさつをする機会を得た。

 お決まりの文句で自己紹介をした二人に、神殿長は恰幅の良い身体をゆすりながら歓迎の言葉を述べ、部屋を用意してくれたのだ。実際用意に気を配ってくれたのはルパートだが。

 その際聞いたのが「北コスカスから児童誘拐の可能性があるという理由で調査団が来ている」という話だった。シアは暦を思い浮かべて眉を寄せる。

「それもそろそろ二月だって。派遣団にしちゃ長すぎるよな。調査にどれだけかかってんだ」

「まぁ、一応は「家出」ってことで片がつきそうだってルパートさんは言ってたけどな……家出の結論に二カ月はかかり過ぎだ。遊んでるんじゃねぇの?」

 レインは早速部屋着に着替えると口をとがらせる。

 どうやらコスカス地方にはあまり良い印象は無いらしい。

「シアはコスカスって行ったことあるのか?」

 寝台に腰掛けて自分の鏡を覗き込みながら、レインは瞳に装着していたアルダバ蛇の鱗を取り外していた。視力を補強するものとして数年前から広く使われるようになったその鱗だが、シアはアルダバ蛇そのものを見たことがあるために、どうも気持ちが悪い。なるべく視界に入れないようにしながらレインの問いに「ああ」と答えた。

「ガキの頃、親父があっちの領主だか何だかの会に招かれてな。それ以来数年行き来があった」

「へぇ。そんな話を聞くと、お前も一応貴族の一員なんだなって感じがするよ」

「一応じゃなくて、れっきとした貴族だぜ。それも帝国五指には入る大貴族様だ」

 レインはちらりとこちらを見ると首をすくめた。いたずらっぽく笑う。

「本人ははぐれ貴族じゃん。公務員なんかになっちゃってさ。術力でても登録だけして貴族やってたほうが楽だったんじゃねぇの?」

 あけすけに問いかけるレインだが、これが意外といらつかない。それはレインが心の底から貴族に興味がないのだと分かっているからだろう。彼にとってはその人の髪の毛が長いか短いかくらいの興味しかないのだ。

「お前だって俺とおんなじ立場だったらこっちを選んでるんじゃないか? 毎日着飾って誰かの顔色と政治のタイミングを見て、大きな仕事といえばやれ宰相の息子の剣術の相手だの、将軍の娘のエスコートだの、やんごとなき皇太子殿下の絵本読み上げかかりだの」

「わーたのしそー」

 シアは持っていた布をレインに投げつけた。

「楽しい妄想のまま、風呂に入ってこいよ。なんなら俺様が直々に背中でも流してやろうか? あ?」

「すごむなよ。気持ち悪い」

 レインはやはり裸足のまま部屋の奥にある浴室へと、跳ねるように消えていった。

 その扉が閉まる瞬間、ほんの少しだけレインがこちらを振り向く。その瞳がこちらを鋭く射抜いた。大丈夫、わかっていると視線だけで返す。

 シアはレインが水音を立て始めたのを確認してから、勤めてさりげなく窓を開けた。

 ひとしきり伸びてみたり体を動かしてみたりしてからテーブルに合った赤い果物をかじり、大げさに顔をしかめてからその実を窓から放り投げた。

 三階の部屋から放られた実は、前庭の木と葉を揺らす。一晩の寝床としてその木を選んでいた鳥が数羽、暮れ始めた空に消えていった。

 それを確認してからきっちりと窓を閉め、覆いをかける。

「ろくな趣味じゃねぇな」

 シアは唇だけでにやりと笑った。


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